こんな時だからこそ愛をこめて海を漕ぐ
前回、このnote に「マウイのためにできること」という文章を書いたのが10月3日だったので、もう2ヶ月ちかくも何も書いていない。
日々の暮らしを喜ぶことも、楽しむこともできないほどに、
つねに暗い影がさしているような気持ちの日々が続いている、、、
マウイのオハナのことも心配でたまらないけども、
10月7日のあの日から、、、今もこの地球上で起きてることを思うと
何も言葉にならない、、、というのが、この数週間の日々のわたしなのかもしれない。
ただ目の前にあることに真剣に取り組み、誠心誠意海に祈る、、、
そんな日々が続いてる。
わたしだけでなく、そういう人はきっと多いと思う。このnoteを読んでる人の中では、
いまこうして暖かく守られた安心で安全な場所で椅子に座り、コーヒーを飲みながら、このことに関して文字を書くことさえもはばかれるのだ、ためらいさえ感じてしまっていた。
カヌークラブとして皆が一つになり、古代の海洋民族とのつながりを大切にする時期だったにも関わらず、そしてわたし個人としてもなすべきプロジェクトを抱えていた中、もっともっと自分の思いを今まで以上に力をこめて発信し活動しなければいけない大切な時期だったにも関わらず、なんにも手につかず自分が置かれている何不自由ない生ぬるい幸福な生活環境に罪の意識さえ感じてた。そして今も感じている、
同じこの地球に生きる人として民として、何も直接力になれない虚しさを日々感じていた。
不甲斐なさを感じていた。
秋晴れの青い空を見ても、
多くの仲間と海にでて一体感と調和を感じても、
言葉にならないほど美しい秋は夕暮れに感動し、
夕焼けをバックに浮き出るような美しい富士山を見ても、
こんな恵まれた至福の時間を仲間とシェアできる環境で海に出れることさえも、わたしの心の片隅の深いところにある部分が申し訳ない気分でいたたまれなくなってしまう。
家族や仲間と集まり食事をしたりお酒を飲んで楽しむことさえもはばかれる。
わたしたちはこんなに幸福でいいのだろうかと、、、
のんきに普通に暮らしていていいのだろうかと、
絶望的な気持ちになり地球人でいるのが嫌になり、ほかの星に逃げたい気持ちさえおこってしまう、
でもそんなときこそまた海に出る、
海に出るときの祈り、母なる地球に感謝の祈りを捧げながら、一こぎ一こぎ海に触れながら全力で愛をこの母なる地球にそそぎ込むとき、
母なる地球の鼓動をたしかに感じ、地球との一体感を強く感じながら、その驚嘆するような青い地球の美しさに涙が流れる、
海に向かって、子供たちの感謝の歌声や笑顔がそそがれ海がキラキラと反応して喜び輝いてるさまが見えるとき、
そんなときは不思議にわたしは安堵するのだ。
よし、そうだ、この想い、願い、祈りは、中東のガザで苦しんでる子供たち、病院で治療を受けてる人々、着の身着のままで爆撃から逃れの避難している人たちの心に少しでも安心感を与える何らかのエネルギー、波動として、伝わっていると、、、思える瞬間がかある。
ガザは子供たちの墓場となりつつある、
10分に一人の子供が死亡しているらしい、、、
そんなニュースをみるたびに、
わたしたちになにができるのだろうか、
といかける日々が続いているのは変わらない。
反対デモをするわけでもないし、「人道支援」とはよべるような素晴らしい活動ではないけども、
祈ることは誰にでもできることだと思う。
ここにいながら、海に日々出ながらも私たちにできることがあると感じるのだ。
海を漕ぎながらマウイのオハナたちにアロハを伝えるのと同じように、ガザで命の危機にひんしている子供たちに対してできることが必ずある。
今この戦闘休止が一日でも長く続き、そして休戦合意される日がくることを祈る、
私たちにも誠心誠意心を込めて、祈り、願い、必ずできることがある
今この瀕死の状態のこの母なる地球を蘇らせることさえできる感覚になる時がある。
それを皆に伝えたい。
頑固なクプナ(長老)の自分勝手な妄想とおもいこみだよ、と聞く人が聞いたらそう思うかもしれない。
世俗にどっぷりとつかり、目に見える、手に触れるものだけを信じ、経済的な成功を目指してあいもかわらず物質至上主義で、人からどう見られるかと外見ばかり気にして生きてる人たち、自分の手を汚さない、大いなる存在へ祈ることや母なる地球への感謝の歌を子供たちと歌うことさえも鼻で笑いものにする人がいるのも知っている。
この母なる地球に、自然に対する畏敬の念をわすれ、日々愚痴をいい不満を顔にだす人もいる
初めて海を仲間と漕いだ感動や航海をしたときの感謝の気持ちを忘れ、仲間に対する謙虚さをわすれてしまった人たちもいる、
そんなヴァアの調和を乱すひと、
今の社会、自分の欲望や感情を大切にすることだけで精一杯で、他人や、それも会ったこともない遠くの人へ、それも目に見えないエネルギーとして愛を伝えることなんて現実的ではないという、そんな人もいるでしょう。
でも、やらずにはいられない。
わたしは祈りの力、愛と感謝の力、調和の力を信じている。
海にでるたびに、わたしはこの母なる地球の一部で、すべてが一つでつながっていると感じているのだから。
中東からすると、こんな地理的にも遠く離れ、生活環境も思想も、宗教観、世界観もまったく違うわたしたちだけど、そんなわたしたちの愛のうたや祈りが、ここ葉山の海で、砂浜で、祈る「神」とよばれる「大いなる存在」、人類を含めるすべての生きとし生けるものの「創造主」への語りかけが、必ず何らかの変化をおこし、この地球をいい方向に導く、調和と平和へ軌道修正してくれると心の底からわたしは信じています。
私たちの祈りの輪が時空を越えて、苦しみ哀しむ人たちを暖かく優しい光で包み込むイメージができるのだから。
いま、この地球上では現在進行している中東での戦争、ウクライナ、ロシア、スーダンでの紛争による人為的被害だけでなく、9月のモロッコでの死者2000人を超える地震による被害も深刻です。
そして私たち西側先進諸国の物質経済主義がまねいた発展途上国の国々の地球沸騰化とも言われるほどの温暖化による難民の救済も急務です。
もちろんこの母なる地球のアンバランスは今に始まったことではなく、私たち日本人もまだ記憶に新しい東日本大震災による被災者、そしてヒロシマ、ナガサキの原爆により30万人を超える民間人が殺され東京大空襲では10万人以上の民間人が犠牲になっている。太平洋戦争では100万人もの柱が犠牲になり今も海に沈んだままだとも言われている。
この地球という惑星でわたしたちヒトが関わることで地球のバランスが崩れてしまい起こったことに対して、私たちは取り戻すこともできないし助けることもできない、冥福を祈ることしかできない。すべての魂や精霊に愛を伝えるしかすべがない。
バランスをうしなったすべての命、魂を癒やし愛します。
いままさに深刻に問題にしなければならないのは、この地球を支配していると勘違いしているのヒトのこれからの発達なのだ。進化といってもいいかもしれないが、
人類としての覚醒が必要と言っても過言ではない。
わたしたちはこれからも、神の創造物を破壊し、ヒトがたがいに争いあい、考えの相違だけで殺し合い、神の惑星「母なる地球」にすむヒト以外の生き物をも傷つけながら生きるのか?
あるいはヒト同士が調和し、
他の生きとし生けるものと調和し、
自然界と調和し、
この地球と調和して生きる道をみつけるのか?
それが重要なのだ。
ヒトという種の未来にとってだけでなく、
あなた自身の未来にとっても、そのことが重要なのだ。
E hoe pū me ke aloha エホエプーメケアロハ
「アロハ(愛)をこめて海を漕ぐ」
『母なる地球は愛を必要としている。
だからわたしたちは愛をこめて海を漕ぐ。
その愛の波動は海を浄化し、母なる地球を癒やし、世界中の生きとし生けるものすべてを癒してくれる』
わたしはそんなことを思いながら、未来の子供たちのために、未来の母なる地球のために、海を漕ぎ続けたい。
そう願う仲間を一人でも多く育てたいと心から思うのだ。
協力して、助け合って、思い合って、
海を漕ぐヴァアという乗り物、
精霊を宿すことができる唯一の乗り物、
海を旅するヴァアは、宇宙を旅する地球そのものなんだから、
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