ヒロシマ・ナガサキDAY4

DAY 4
4月1日(月)

山口県岩国市潮風公園みなとオアシスゆう

ビー玉海岸

逗子が浜

陸奥海水浴場

片添ヶ浜海水浴場

昨日Day 3
3人の希望の光たち、葉山のオーシャンヴァアというカヌークラブから参加してきたオピオ(中学生)たちは野良犬のように濡れながら寒さに震えなから広島出身のパパと一緒に帰って行った、

彼らオピオだけでなく母親たちと参加してきた小学生の子供たちにとってこの数日間の出来事、世界感

ハワイのアンクルとの交流や爆心地での祈りや厳しい環境のなかでの信頼できる仲間と漕いだことなど、ああいう経験が彼らのこれからの人生にどんな風に役立つのだろうか、と考えていた、

たんなるイベントとして終わらず、はじまりの始まりになるといいなあ、とわたしは願うのだった、

これからの彼らの人生、今はまだ親がひいてくれた道を歩いてるだけかもしれないけども、これからたくさん自分で選択し選んで進む機会がなんども訪れるのだろう、そんな時に今回の経験や感覚が彼らを良い選択に進ませてくれたらと思う、この母なる地球という人類にとって唯一無二で共通の故郷の蒼いカヌーをよりよい方向にナビゲートして道を見出していく(ウェイファウンダー)になってくれたらと心のそこからそう願うのだ


子供たちがひとりひとりいなくなる、、、
帰っていく、

わたしの心のろうそくの炎が消えそうな気分になる、こどもたちはこの母なる地球の希望の光りでもあるけど、わたしにとっても大切な希望の光でもあるのだった、こどもたちが1人また1人、、と葉山に帰っていくと、張り合いがなくなるようで、寂しいものだ、こどもはその大きなポジティブのエネルギーと存在だけで、ただいるだけで癒やしと浄化になる、それはきっとこの母なる地球にとってもそうなんだろう、

昨日、そのあとに残ったワヒネ(女性)数人だけで周防大島まであと10キロほど漕いで行こうとも思ったけども、あまりにもオアシスゆうから見える島なみの景色と海と空の色が美しすぎて見惚れてしまい、

舟出は止めてこのほんとにオアシスみたいな浜辺にとどまることにしたのは導き以外の何ものでもなかった


Pilialohaだけを浜に置き、車で周防大島に乗り入れたと同時に、わたしたちを待ってました、というような感じで雨が振り出したのだった

その後バケツをひっくり返したような浄化と清めの大雨と稲光の激しさは異常だった、

わたしたちの慰霊巡礼の旅の念をいっきに洗い去る勢いの尋常じゃない熱帯地方によくあるような豪雨と稲光だった

まさにその雨を境にわたしの中にあった息苦しすぎるヒロシマ原爆の被災者の霊魂のおもりがスーと清められていくようだったことをここに記したい

Day 4からはまた新たな空気感での祈りの航海の始まりのようでもあった

しかし、あの豪雨と稲光のなか海にいなくてほんとによかったと胸をなでおろした、

わたしたちに必要な航海がつねに用意され、その時がタイミングよく与えれているということをこのときも感じた

人間が勝手につくったスケジュールとおりに進まない
それを心がけながら航海をつづけのだ

ここまでは前日DAY3の続き

DAY4 は

オアシスゆうから周防大島のビー玉海岸まで漕いだレグで始まった

新たな祈りの航海の幕開けのような気分でもあり、豪雨と稲光によるまさに浄化の作用もあったのだろう、空も海もまた昨日とはまるで違って清々しく感じた、

周防大島とは町の名称で島の名前は屋代島

その島に向けて漕ぎ進んだ、

いつも島に向けて漕ぐのは気分がいい
ワクワクする
知らない新たな土地、新天地を目指す気分なのだ

干満のタイミング的に大島大橋の下の海峡を通らないで南西の風を避けるように屋代島をぐるっと北側から時計まわりに漕いだ

この判断もよかった、と我ながら思う、

この選択が今後のこの島で過ごした数日間にいい影響をあたえていくことはこの時点ではもちろん知る由もない

驚いたのは入江が多く、いたるところにテトラもコンクリートの防波堤を入れられていない自然の白い砂浜が点在していることだった

もちろん人口の砂浜や漁港にはコンクリートの堤防などで覆われてるとこはあるけども、手つかずの山と海がなんの隔たりもなくつながってる海岸や砂浜がたくさんあるのだ 

高い建物やコンビナートも海岸線にはまったくと言っていいほどに建ってない

海亀(ホヌ)と同じでヴァアは人の手が加えられていない自然の砂浜を好む

リラックスしていたPili Alohaは終始ご機嫌のようだった、もちろんわたしも気分はよかった、こころはホヌの気分できれいな砂浜に見とれていた

そしてアンクルもAina を欲しい、土地を買いたい、、と言いだした

考えていることは同じなんだなあ、

海亀Honuがアウマクアのわたしとアンクルは同じことを考えていたようだった


ひとり、またひとり、と仲間が離れて帰っていく

この日、葉山から春休みを利用して参加していた子どもたちはついに全員いなくなってしまった

砂浜で走りまわりプーを吹鳴らす子どもたちがいなくなることは寂しくて元気の源がなくなる気分で張り合いがなくなるけども

まだまだ祈りの航海は始まったばかりなのだ

この日逗子が浜から半島をまわり瀬戸を越えて片添えが浜まで3人だけで漕いだ、

漕ぎてがいないのだ、

アンクルを乗せて、車を運転する人も必要なので仕方ないことだけど、これからもこんなことは続くだろうし、最初からそのつもりでいた

祈りの航海、

海を渡ることが安全であれば、わたし1人ででもPilialoha を漕いで進むつもりでいた

速さは全く重要ではない

海を漂うだけでもいい、そのほうが海にアロハをつたえながら撫でる時間がふえるのだ

浜から次の浜え漕ぎ進み、大地に、空に、宇宙に、母なる地球のバランスが調うようにアロハをこめて海を漕ぎ、祈りを捧げるのが目的

そして清らかな山の湧水を、たくさんの人たちの魂とともに献水として海と浜に注ぎ、浄化と循環のエネルギーをうながすのだ

それが目的なのだ

それが 今回の祈りの航海

E Hoe Pu Me Ke Aloha なのだ

周防大島を半周するようにこいだこの日は、ひとけもなく

淋しくもあり

瀬戸内海と島々のクプナ(祖先)にあたたかく見護られながら

神々に照らし導かれるような

そんな祈りそのものの

至福の海とそしてPilialoha とのふかい時間だった

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