イケ カイ

ここにike kai イケ カイという名前のカノー(小笠原では丸木舟のことをカノーと呼ぶのだ)がある

わたしは数年前に、このイケカイという名前がついた、外洋航海が可能な14メートルを超える長さがあり6人で漕ぐハワイアン アウトリガーカヌー(ヴァア)をこの小笠原父島に納める光栄な役目をさせてもらったのだ、

島での進水式にも参加させてもらった、
南洋の植物たちがヴァアを飾りたてて、それは、それは、羨ましいほどに盛大なものだった


記録がある島の歴史としては、1830年に5人の欧米人と20人のカナカ人がサンドゥイッチアイランズから母島と父島に入植し定住を始めたのがこの島々の成り立ちらしい、

サンドゥイッチアイランズとはその当時そう呼ばれていたハワイ諸島のこと

カナカ人とはハワイ系のポリネシア人のことで一昔前は差別用語だったらしく今はその名称は使われていない、

話は変わるけど、わたしの duke という呼び名もわたしが若かりしころに住んでいた南カリフォルニアでは差別用語として使われ、わたしは海でそう呼ばれていたのだった、
わたしは英語がわかるようになって気づいたけども、気に入ってたし、逆にハワイアンとしては光栄な呼び名だと思っていたから、それからもdukeと呼ばれ続けることを意に介さずに海の仲間と過ごしたのを思い出した、

話をもとにもどそう、

小笠原諸島は昔からハワイやミクロネシアの影響をうけ、アウトリガーカヌーが生活の一部としてあり、漁や運搬や交通のための大切な存在だった、
おそらく日本の沿岸や島々はどこでも、手漕ぎの舟で海を渡ることが生活に欠かせないことだったはずだけども、ここ小笠原諸島は太平洋のど真ん中、今でも船に揺られ25時間の船旅をしなければたどり着くことができないという時間的には日本(都心)から一番遠い場所だ、地球の反対と言われるブラジルに行くよりも時間がかかるのだ、

日本の島というよりも、ミクロネシアの島のようで、実際に昔はサイパンやグアムに高校は行ってたらしく、急病人も東京ではなくサイパンの病院に行ってたらしい

戦後アメリカから日本に返還された後も、腕利きの島の船大工さんというよりもカヌービルダーがアウトリガーカヌーを作り、ハワイに輸出していたほどに、頻繁にカノーづくりがおこなわれていたのだった、

水も豊富で土壌も豊かな島なので、先史時代から、島には人間が住み着き、そしてまた無人島になる、ということを繰り返してきたらしいのだ、

そして島には縄文時代のころの遺跡もあり、あまり開発されていないので、いまでも古代の石器などがゴロゴロといたるところで見つかるらしい、
この太平洋の真ん中の海洋島に先史から人が丸木舟で行き来していたのは確からしく、わたしがこの島の砂浜に立ちクプナ(先人たち)に祈りをささげヴァアで海に漕ぎ出せば、クプナたちが どー と話しかけてくる、
笑いながらカノーを漕ぎ、並槽してくる姿がみえてくる、

陽が暮れるころになると扇浦や小港の湾内全体に無数の大小のヴァアが停泊している、まるで時間がとまったような空気が今もただよっている、そんな場所なのだ、

飛行機の便もなく、大型船も冬の時期は週に1回しかないし、もちろん高速道路もない、渋滞もない、コンビニもない、自衛隊や米軍の基地もない、大型のリゾート施設やホテルもない、ないないずくしなので、静かでピュアな空気がいつも漂っているのだ、
大陸から遠く離れている太平洋の穏やかな風や潮流の影響もあり、まったくといっていいほどに淀んだ空気感がないのだ、
この時期、海を漕げば船や人よりもクジラやホヌに遭遇する可能性のほうが高い、ある意味豊かで恵まれた島なのだ
もちろん小笠原丸が停泊していない日(観光客が島に少ない時)はスーパーやレストランもほとんど閉まっていて、買い物もできないけども、それでも何も困らない、それだけこの島のマナが豊かなのだ、

足りないものはなにもないのだ、

そしてMoananuiakea 大海の、太平洋のエネルギーに満ち溢れている、それはそうだろう、日本のどの島よりも大陸から離れていて周りは海に囲まれているのだから、

もしも、日本人が、日本列島人がこの島のような暮らし方をすれば、国内のエネルギー問題も教育問題でさえも、なにもかも解決するような気がする

世界中のすべての国の住民が、この島での暮らしのような、地球に負荷をかけない生き方をすれば、温暖化などの環境問題もごみ問題も水不足も、難民の問題さえも、貧困も戦争も紛争もなくなるだろう、破壊寸前の母なる地球は調和をとりもどし、元気をとりもどし清められ、人も精神的に豊かな気持ちで、母なる地球に感謝の気持ちをもちながら日々の暮らしをおくれるに違いない

ほんとにそう思う、

でも現代人はすでに麻薬のような物質的な豊かさと便利さのとりこになってしまっている、必需品と思わされて不必要なものを購入し、母なる地球とつながる感覚を忘れた人々は、それによる精神的な虚しさを物を得ることで補おうとしている、

人々をコントロールして支配し続けたいという一部の物質至上主義者の誘惑や詐欺同然のプロパガンダに洗脳された固定観念を植え付けられてしまっている、

でも、もうわたしたちは少しづつ意識の世界にめざめ始めている、自然界とのつながりを求め始めている、

意識の力を使うことで、わたしたちが生きる現実世界をかえることが可能なのだ、

人として、この母なる地球の乗組員として、
なにが、ほんとうに豊かに生きることなのかに気づき始めているのだ

He moku he wa'a
He wa'a he moku
島はカヌー、
カヌーは島、
そしてこの母なる地球も宇宙を旅する唯一無二のカヌーなのだ


わたしは、この父島と母島のカノーにまつわるすべてのことをBonin Va'a ボニンヴァアと呼んでいる、

Bonin とは無人がなまった言葉らしく、Munin とよんでた時期もあるらしい、
今でも西洋の地図にはOgasawara Islands ではなく、Bonin Islands と明記されているのだ、

ボニンなんて、なんとロマンのある呼び名だろう、音も最高!

江戸時代のころに、誰かに聞いたら、あれば無人島だよ!て答えたその音をBonin と名前にしたらしいのだけど、
桃源郷(ハワイキヌイ)を探して海を漕いで渡っていた、そんな先史時代の
海洋民族の世界観が蘇ってくるみたいな響きなんだよね、新天地の島、のようで、夢のある名称だと僕は思う、

木をくり抜いて作った丸木舟で、クジラやホヌやイルカさんたちと心を通わせながら太平洋を漕いで渡っていたクプナたちの姿が蘇ってくるような名前じゃないか、

そのBonin Va'a 、父島のヴァア、イケ カイに話をもどそう、

IKE (イケ)とは見る
KAI(カイ)は海

*イケ、には父島の人たちが心に刻んでいる名詞の意味もあるけど、
それはここでは述べないことにしよう、

イケカイ、

というハワイ語のなまえがついてる父島のカノーのことだ、

イケとはたんに三次元の世界で 目で「見る」だけではなく

意識の世界で「みる」という意味がある

今までのように海を人間の社会活動のために有用な資源とか、レジャーやスポーツのためのフィールドとして利用するための対象としてみるのではなく、

古代のハワイアンやわたしたちの遠い祖先がそうだったように

意識の世界で

海を人と同じ生命体として「みる」ことで、海と人とが心でつながる

クジラやイルカやホヌや海に生きるすべての生き物たちと心がかよう、

それが「母なる地球をいたわり愛しむ」ことになる

それをハワイの先住民の言霊で 「マラマホヌア」という

わたしたちは意識の力がどれほどにパワフルなのか気づき始めている
現実を変え、世界を変えるような大きな力になるということに気づき始めている、


島のカノー、このイケカイは、
いまこそわたしたちに必要な意識の覚醒めを促している、

この大陸から遠く離れた、太平洋の真っ只中にある小笠原諸島という大海原を皆が力を合わせ、調和してイケカイで漕いでわたる、

ひと漕ぎひと漕ぎと手で撫でるように海を漕ぐ、
漕ぎ手の調和の意識が海に伝わることで、海は浄化され、母なる地球は癒やされる、

それはまさに古代のハワイアンがヴァアを漕ぐことで海を鎮め、津波や台風や地震などの災害が起こらないようにと意識の世界で海とつながり、クジラやイルカやホヌたちと心を通わせながら、潮に乗り、風におされるようにして旅をするという霊的な儀式と同じなのだ、
ヴァアが戦いのためや、釣りや、運搬や、交通手段としてだけ使われるずっとずっと前のことだ、


Bonin Va'a のオハナたちと、最初にわたしが会ったのは、
2007年にホクレアと出会ってから2年後だったと思う

ホクレアのスピリットと同じスピリットを持ち、ホクレアと同じヴァアという古代から存在する原始的な舟で太平洋を撫でながら癒やしたい、小笠原諸島と日本列島本島を漕いでつなげたい、そのための理解者を募るためにわたしが小笠原父島にやってきたのがBoninヴァアとの最初の出会いだった

それ以来もう14,5年になるけども、まだその航海は達成できないでいる、

でも、今その日が近づいてきているのを強く感じるのは確かなのだ、

これが自分のクレアナ(使命)だと言い続けてもう何年になるだろう、

小笠原諸島と日本列島本島(内地と島の人やいう)の間の海を漕いでわたることは危険を伴うことではあるけども、
その航海をしないでいることのほうがどれだけ自分や家族や、子供たちや未来の子供たちにとって、この地球に生きる森羅万象、生きとし生けるもの、すべてにとって危険で危機的なことなのか、

自分の信念とクレアナに向き合わないことは、もっと危険なことなんだと、わたしは今回の小笠原父島、母島へのマラマホヌア交流会で確信できるようになった

自分ができる最大限のマナをそそいで、この母なる地球のために、未来の子供たちのために、やるべきことをやる、
Bonin Va'a 父島、母島の皆とこの海を漕ぐ、

その日が近づいてきているのだ

海は何年もの間、人間により略奪され破壊され続けている、

わたしたちは、海に影響をうけ、すべてが海でつながっているのに、 


わたしたちの一呼吸一呼吸は太平洋とつながり、
ひと漕ぎひと漕ぎ海を撫で、太平洋を愛で調和をとりもどす、

そんな日がもうそこまで来ているのだ



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