E ola na ohana ka wa’a moana 『大海原に棲むカヌー家族』no.4

サンゴ礁とテトラに囲まれた底戸海岸まえの入り江を出たとたんに大きなウネリが襲ってきた、昨日までの強風のおきみやげ、南東方向からの大きな外洋特有のウネリだ。

海面はまだ真っ黒いだけだったけども、進行方向の右がわ、東の空が数秒ごとに明るみ、紫色から赤紫に変わり、オレンジ色に变化していった。それと同時に海面もオレンジ色に輝きはじめた。そんな自然の秒刻みの変様と神秘なほどの美しさに見惚れるひまもなく、僕らが向かう方向のずっとさきの海面に西から東に吹き抜けていくのを僕は感じておもわず身震いがした。

僕の身体の神経、五感だけでなく六感も総動員されてヴァアと海にじわじわと溶け込んでいくのを感じた。

そんな時に進行方向からすると左がわにある神湊(かみなと)漁港から忠兵衛丸とそれに乗ったオハナたちの叫び声にもにた声援が聞こえてきた。

このサポート応援があれば、どこまでも漕げる、
どんなコンディションでも漕ぎ続けることができる、

と自分に言い聞かせながら、高揚を抑えるように手を大きく振って答えた。

八丈島の東の海底を島伝いにスーとすべり抜けて行くような潮の流れに乗って、kupuna と僕らは南東のウネリにも押されて、快適な速度でリズムよく漕ぎ進んでいくのも束の間、ピラミッドの様な形の八丈小島という名前がついた無人島が八丈島の島影から抜けるタイミングで進行方向の西に姿を現したころには八丈富士という名前の山のおかげで遮られていた西からの風がドーンと前方から吹き込んできた。

それと時を同じくして確実に潮の流れも変化してきた。右後方のからの南東のウネリはさらに大きくなり僕らを日本列島の本島、伊豆半島にむけて押してくれてはいたけども、潮の流れは西から東に流れ、風は北北西からの風、アップウインドだった。後方からのウネリの山に僕らのヴァアkupunaと漕ぎ手が乗るたびにカヌーの船艇を風が八丈島に向けて押し戻そうとする、黒潮の潮流が東へと大きく押し流そうとする、そんな状態がこのあと10時間ちかく続くことになる。

一番に心待ちにしていた黒潮は、西から東に流れていた。舵をとられるほどの急流ではないが、終始3~4ノット位で僕らとkupunaを東に東に、、と押し続けていく、少しでも舵を取りそこねると、スーと気持ちよく北東方向に流れていくので、常に西より西よりにカヌーの船首を向けて進行することになる。目視できるようになった島、御蔵島、三宅島に向かって漕ぎたくなるような気持ちを押し殺して、御蔵島よりもはるか20°~30°西方向にむけて進み続けるのだ。目的地の新島はその時はまだ見えないが、角度的に神津島よりもはるか西方向に船首を向け続けて舵をとり続けながら僕らは北上し進むのだった。

ほぼ正面からの強い北北西の風と西から東に流れる黒潮に阻まれて、kupunaの速度は確実に落ちていく。良くて7ノット、4ノット出ないときもある。快晴、太陽の愛のあたたかさに見守られながら漕ぎ続ける。進行方向からの風のお蔭で体温はさほど上がらず、疲れはそれほど感じない。そしてなんと言っても、伴走船、忠兵衛丸からの応援、声援、法螺貝の音に勇気をもらい不思議と僕のマナが絶えることがない。気力も十分で最高のボヤージング日和『the day 』だと自分に言い聞かせながら漕ぎ続けた。

弓ヶ浜と葉山で待つオハナたちのマナの力も僕を奮い立たせた。海を通して、空を通してオハナたちの安全の航海を祈る想いと愛が僕らを包み込んでいるという感覚に酔いながら僕らは漕ぎ続けた。


4時間ほど経ってだっただろうか、忠兵衛丸の大船長と打ち合わせをするために僕は息子kenny とpeperuを交代した。僕自身の体調も気力も快調だった、パワーも全快だった、が、ヴァアの進み具合が黒潮と向かい風の影響で、予想以上にスローだったが、それは僕的には想定内のことだった。

このままのスピードだと新島到着が夜中になる可能性もある。太陽が出ているうちに新島に到着するのは無理との大船長の見解だ、GPSとコンピューターが叩き出した予想だった。
僕自身は新島で待つオハナのために、このまま進み続ける。辺りが暗くなっても漕ぐぞ!それがボヤージングの醍醐味だ!なんて内心ワクワク、ウキウキしながらも、、、
『ぜんぜん凪じゃないじゃないか!!』と恐れおおくも大船長に冗談交じりでクレームする勢いで船に上がって来たが、、、

今はまだ黒潮の分流が流れる海域、黒潮本流は三宅島と新島の間の海峡を流れているという予測だったことを思い出した。どんな流れになるのか想像もつかない。同時に新島だけでなく周辺の、式根島、早島、地内島周辺などの、海底が浅い海域の潮の流れを思い浮かべた。1年間島に住みながらV-1でひたすら漕ぎ続けた新島周辺の海域、、、
あの海域を暗闇の中漕ぐだけでなく、クルーを交代するのはあまりにも危険すぎる。無謀といわれても仕方ないほどの複雑な潮の流れと岩礁の数々、、、そして、暗闇の海を漕ぐ準備をしてきていない、ということもあり、
結局、僕は新島で待つオハナの顔を思い浮かべながら、kupuna に戻るタイミングで、交代して伴走船に戻るkenny に目で合図しながら、意思を交換し、今日の新島行きを諦め、初日の目的地を三宅島に変更したのだった。そしてkenny がその意思を大船長に伝えた。

目的地が150キロ先の新島から110キロ先の三宅島になった。ということもあるのだろう、クルー皆の不安げな硬い顔が、明るくなったように感じる。元気になるというよりも、逆に安堵感と疲れで船の上で寝始める人もチラホラ、、、
相変わらず法螺貝を吹き、声を枯らしながら応援する人はいつも同じ人たち(笑)。

目的地は近くなったとは言っても、黒潮の中の10時間以上の漕ぎ、ボヤージング。相変わらず晴天、太陽と愛のひかりに包まれた、時空を越えた、人知を超越した至福の時だった。

『いきるために漕ぐ、』

『いのちを燃やし続けるために漕ぐ、』

そんな、声がどこからともなく聞こえてくる、


太古の僕らの祖先は、この海を、


新天地を求めて、
そして、移動のために、

その日の糧を得るために、
漁のために海を漕いだ、

そんな時代もあったと思う、


でもそれよりも、気が遠くなるほど遥か遠い遠い昔のこと、


僕らの祖先が、

もっと今の人類よりもはるかに崇高で、

母なる地球とつながり、

父なる太陽の愛を肉体と魂のすべてで感じていた、

そんな時代のこと、、、、


日々東から昇る太陽に感謝し祈りを捧げ、

西に沈む太陽に感動し涙を流していた時代のこと、


ただただ、日々を愛に溢れ、あたたかく、輝かしくいきるために、

いのちを燃やし続けるために、、、

無意識に呼吸をするように、

この太平洋の大海原を縦横無尽に漕いで渡っていた、


きっとそんな民族が存在した時代があったんだ、

と僕は思い想像しながら漕ぎつづけた、
   
つづく、

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