日本の公園

わたしが孫娘たちと遊ぶ葉山公園の話ではありません、

息子たちとよく行った辻堂海浜公園のはなしでもありません

デートでよく行った井の頭公園や代々木公園でもありません

親父とよく走っていた大濠公園、
長崎の平和公園のはなしでもありません 笑

日本で一番おおきな公園のはなしです

「日本は世界の公園である、平戸は日本の公園である」

漂泊の俳人と呼ばれた種田山頭火(さんとうか)が平戸を訪れたさいに日記に詠んだ言葉だそうだ、


昭和7年というからずいぶん昔の話し、1977年に平戸大橋で九州本土とつながる前の話しだ、

わたしも子どもの頃、九州側の田平にある平戸口桟橋から何度もフェリーに乗ったことがあるけども、その時は平戸島の沿岸を船で通ってただけで、あまり印象がないかな、、、

大人になってからも何度か平戸島に行ったけども、いつも祖父の墓参りのために生月に行くのが目的だったりして平戸島で時間を過ごすことがあっても、日本のどこの港町によくある島の中心地や、観光地に行くだけだったから、あまり「日本の公園」だ、なんて感じたことはなかった、


わたし自身があまりにも若く、アメリカ文化や大都会(死語だね)に憧れていたので、今のように自然に対する感受性がなかったからなのかもしれない、もったいない残念なことをしたな、、と今回あらためて思った、

まだ九州本土とつながる前の平戸を心に刻みたかった、と残念に思うのだ、


その時代のことで、わたしが平戸で印象に残っているのは、わたしがまだ小学生のころ、夏休みはいつも祖先への墓参りもかねて、おじいちゃま、おばあちゃま、と呼んでた祖父と祖母の家に長期であずけられていた時のことだ、

その頃は平戸大橋も生月大橋もなかった時代なので、祖父祖母が住む生月島(いきつき)はわたしが住む長崎から遠い遠い場所だった、

同じ県内なのにドアーtoドアーで6時間以上かかっていたと思う、


祖父は漁師や船団を束ねる代々網元の家に丁稚(でっち)奉公で入り、寝る間もないほどにこきつかわれながら苦労して働き、4年生までしか小学校に通わせてもらえなかった祖父は、みるからに海の男で声も大きく、いつも水夫や漁師たちを怒鳴りまくり(方言がそう聞こえただけかもしれない)叩き上げの見るからに厳格で、信心深い人だったけども、私たち孫にはすごく優しい観音様のようなおじいちゃまだった、

そして、よく私たち孫を小さな和船にのせて海に連れ出してくれたのだった、

和船でどのくらい時間がかかったのか記憶にはないのだけど、

わたしたちはいつも「ねしこ」という不思議な響きで呼ばれていた遠浅の白砂の浜に連れていってもらっていたのだ、そこは夢のようなふわふわした砂浜だったのを子供ながらに覚えている

あまりにも美しい砂浜だったので、「ねしこ」と呼ばれる砂浜は生月島よりもずっと沖にある無人島にある砂浜だとずっと長い間信じていた

その砂浜が平戸島にある砂浜「根獅子の浜」だと知ったの ”おじいちゃま” が亡くなってから、わたしが大人になってからのことだった

それほどに、根獅子(ねしこ)がある平戸島は美しい自然豊かで開放的な島だったのだ、

「平戸は日本の公園」

日本中の自然豊かな場所を訪ね歩きその感動を俳句にして詠んでいた山頭火がそういう言葉を残すほどに美しい自然豊かな島だったのだ

1977年に平戸大橋で本土とつながってからは、ちょうどその時代の高度成長期の大きな流れに島がのみ込まれるように、美しい自然を破壊して日本列島を改造し人間に都合のいいコンクリートだらけにするという号令のもと、金権政治家と土建屋のための土建国家政策の”恩恵”という人も一部いるとは思うけども、海や山からしたら大迷惑な人間の自分勝手な開発という名のもと、平戸も多くの場所をコンクリーとアスファルトで必要以上に覆われてしまった、

海をすべての生命の源(みなもと)と見るのではなく、

人のための資源とみなし、その海と陸(おか)の境目にある神聖な砂浜はあっという間にコンクリートに覆われてしまった、

わたしが小学生の時におじいちゃまと毎年夏になるたびに訪れていた根獅子の砂浜にも、ほんの少数の漁船のためだけに大きなコンクリートの堤防ができテトラまで入れられて見るも無惨に死んでしまった、


潜伏キリシタンにとっては聖地とよんでも過言ではない砂浜なのに、

わたしたち孫とおじいちゃまとの大切な思い出の場所なのに、

抑圧されたエネルギーを宇宙にむけて解放できるような砂浜だったのに、

あの時代、人の心や感動や昔の思い出よりも、
お金が一番大切、懐にいれるものが大切な時代があった、
誰もがそれを目指して鼻息荒く進んでいた高度成長期、

全国津々浦々がコンクリートで埋め尽くされることに誰も声をあげる人はいない、そんな時代があったのだ、

そんな場所をたくさんヒロシマ、ナガサキ愛と祈りの航海でわたしは見てきた、ああ、ここにはかつて美しい砂浜があったんだろうな、綺麗な入江があったんだろうな、というコンクリートに覆われてテトラに埋め尽くされた海岸線を恨めしいきもちで眺めながら漕いできた、

日本は誰もが豊かになり便利になり、誰もがスマホですべての自分が知りたいことを即座に知ることができるような時代になった、

でもそれとひきかえに、心が、思い出が、多くの自然が失われていった、

知らず知らずのうちにうちに、皆んなの考えや意識さえも統一されつつある、

同時に海と山は壊され汚されていった

人が本来持っていた能力や生命力はどんどん失われて行く

誰もが生まれた時から持っている神とつながるような宇宙的意識をも失いつつある



自然界のおのずからのありかたに従い行動する人はいなくなっていった

おひさまや、おほしさまとおつきさまに感謝の気持ちを日々つたえる人もいなくなった

海に愛をつたえる人もいなくなった

母なる地球とつながる感覚を失った人たちが増え


そうして人は知らず知らずのうちにうちにストレスをかかえ、いつも不安と恐怖をかかえ、意識の解放を求めながら、生き方に苦痛を感じる人が増えていった、


社会の風潮や画一的な考えに流され、自分自身の考えさえも持てない人が増えていった、

日本全体が精神疾患におちいっているようだ、


そして誰もが魂でのつながりを求めている

自分はいったい何のためにこの星に生まれたのか?

どうしていまここにいるのか?

それを自分自身に問いかける人たちが増えていった、


そんな人たちは平戸島を訪ねてみるといい、



でもそんな簡単に気軽に旅行で来れる場所ではないのも確かだ、

それなりに覚悟がないと訪れることができない地なのだ

不便過ぎるから、島だから、

お金にならないから守られている

そのハードルがあるからなのか、仕事(金のため)じゃないかぎり、導かれた人だけが来ることができる場所、そんな気がする

日本の西の果てにある島、今でも最寄りの長崎空港からでも3時間弱はかかる、バスも電車の本数も少なく、過疎化がすすみ人も少なく、
観光地としてもさほど賑わっていない、
だからこそ今でも大自然のマナが健在だ

この島には古代からある
母なる地球とつながるような
宇宙に解放するような
大自然のマナが今もなお健在なのだ、

昔からその大自然のマナに包まれるようにして天地創造の神を信じる切支丹(キリシタン)たちが隠れ、潜伏し、険しい山や谷や浦に潜み続けることができた、

そしてさらなる弾圧と迫害から逃れるように、新天地を求めて、この平戸島からいつも見える一番近い島、宇久島や野崎島、そして小値賀島へと解放のエネルギーの流れに乗るように漕いで渡っていった、そして五島列島に拡散して行った

今回実際に根獅子から宇久島(うくじま)、野崎島(のざきじま)、と海を漕いで渡り、そのことを身を以て強く感じることができたのだ

この地理的に日本最西端の海、西海と呼ばれるこの海と大地は、

抑圧され迫害された切支丹だけでなく、
近代日本全体が長い間抱え、抑圧されてきた、大きな封じ込めのエネルギーを宇宙に向けて解放できる場所なのだと強く感じたのだ



だからこそ、
平戸島は、遠い昔、長い間、日本の玄関口だったのだ、

南蛮貿易の拠点の島だった時代もある

長い間、帆船が交通の主役だった時代まで、西洋世界や中国大陸から見ると平戸島はいつも日本のゲートウェイだったのだ、

あの空海も、この地から宇宙のメッセージ(真言)を求めて船出していった、

倭寇とよばれた海賊たちも、この島を拠点に勇猛果敢に東シナ海、南洋の海に何かを求めて漕ぎ出していった、

そんな特別な場所、平戸島

切支丹(キリシタン)たちの宇宙とつながる祈りのエネルギーとともに

海に拓けて生きた古代海洋民族の巣窟のマナが今も多くの入江に眠る島、


母なる地球とつながりながら生きた古代の海洋民族の魂、わたしがよく言う ”クプナ” の魂が息づいている島なのだ

目覚めることを待っている日本海洋民族の魂と

愛と平和を願う、自由と解放を願う、沈黙の祈りのエネルギー

があちらこちらに眠っている

それは海を優しく撫でながら漕ぐことをクレアナ(使命)として活動しているわたしにとっては、ある意味 夢 のような場所、

この西海の海と島を撫で、海に愛を伝え癒し続けることで、日本全体を封じ込めている栓のようなエネルギーが外され、日本全体を大きななにかから解き放つことができるような気がする

それは、この母なる地球にとって大切な古き良き日本の精神性なのかもしれない、 いまは、まだよくわからない

今 根獅子の隣のすぐとなりの浜、
原始の自然が今も残る、塩炊き屋さんがある鹿島浜には
ワンラブ、一つの愛という名前がついたPili Alohaが静かに佇んでいる

ヒロシマ、ナガサキ愛と祈りの航海にわたしたちを導いてくれた、
自分のクレアナ(使命)を理解しているPili Aloha というヴァアが、なぜこの島に導かれたのか、その理由がやっと今回わかったような気がする、

時空をこえて、宇宙とつながるようなこの島で、
皆の愛(アロハ)を、おおきくまあるいワンラブにしてくれる
ピリアロハ



今も不必要な自然環境破壊や汚染がなおも止まらない、放射能を含む汚染水を平気で海に垂れ流す日本の姿を見て、それを見て見ぬふりをしている多くの人達を見て、山頭火が生きていたら、
悲しいかな「日本は世界の公園」とは決して言わないだろう

山頭火が言う”公園”とは、単に物質的な概念として、場所としての公園ではなく、
彼にはその宇宙に解き放たれるようなマナ、エネルギーの流れをこの平戸という自然豊かな島に感じていたのだとわたしは思う

そして、今のこの平戸の地をみて山頭火は何と言うだろう、

わたしは同じことを彼は言うと思う、

「平戸は日本の公園だ」

日本の心のオアシスだ、

とね、














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