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ほっちのロッヂの記録12:共に感じてくれる人を増やす

2月から、ほっちのロッヂで過ごしています。

続けられるかわからないけど、記録できる日はnoteに記録していこうと思います。
今日は2つ、2つ目!


まなび:共に感じてくれる人を増やすこと

子どもの現場を見学にきてくれた人がいた。
見学者は、子どもが過ごしている様子をじっと見ていた。外で遊んでいるときは、はじめは部屋の中から、途中からは外に出て少し近くから、そりすべりをみて拍手したり、一緒に笑ったりしてくれた。

「子どもの様子をみる」姿勢。なんとなく、子どもや活動が見世物みたいに感じる部分があったと、働き手が話してくれた。子どもの活動を見せる、動物園じゃないんだけどな、と。

現場に足を運んでくれたのはとても嬉しいことだと思う。子どもをちゃんとみて、関わろうとしてくれている。
でも、外側から、目線を合わせるようなこともあまりなく、一緒に遊ぼうとか、子どもにあいさつするようなこともない。
ここでの子どもの営みが他人事。

現場で子どもと時間を共有し、「楽しい」や「頑張る」に向き合って過ごしている働き手からすると、こういう見学者はもやもやする。違和感を感じる。

私はというと、数か月前は見学者だった。子どもを目の前にして、何をしたらいいかわからない。だからじっと見ているしかないし、観察する人になってしまう。

でも、子どもと一緒に過ごして、好きなもの、うれしいこと、しんどいこと、頑張っていること、この子のいろんな表情を少しずつ感じられるようになった。
今は、外側からただ観ている人じゃなくて、子どもと共に感じて過ごせるようになった。

社会にこういう人が増えていくといいと思う。
当事者は「困りごとを抱えているひと」というラベルを貼られ、外部の人は目の前の人間を「支援の対象」としてしか見ない。
そこの距離感、壁は厚くて、支援者ー受益者の二項をつくってしまう。
その必要性は、どこにあるのかな。
目の前の人の大切なところが見えなくなり、本当に困っている部分に手が届かなくなる。

そうじゃなくて、ただ一緒にいまここを楽しむ、感じる、おもしろがる。そのほうがよっぽどハッピーなはず。

この現場に見学に来る人も多い。そういう人に対して、ここの働き手がとる姿勢によっては、「支援者」「外部者」だった人が、少しずつでも「共に感じるひと」になっていく可能性がある。

子どもと共に感じ、子どもを知ってくれる人が社会に増えることは、子どもにとっていいことだと思っている。
となりにいるのがどんな人でも、大切にできる人が増える。助け合える人が増える。そういう社会をつくらいといけない。
頑張ろうーー


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