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歌曲を受け継ぐ

「花」   
              武島羽衣 作詩
              瀧廉太郎 作曲

春のうららの 隅田すみだ
のぼりくだりの 船人ふなびと
かいのしずくも 花と散る
眺めを何に たとうべき

見ずやあけぼの 露びて
われにもの言う 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳あおやぎ

りなす 長堤ちょうてい
暮るればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
眺めを何に たとうべき


歌詞について

♢1番
1番で描かれるのは、春の日中帯の隅田川です。
かい」というのは、船を漕ぐための道具です。

船人が行き交う隅田川。船人がもつ櫂の先に滴るしずくが、桜の花びらのように落ちていく。その光景は、ほかに喩えようがないほど美しい、とうたわれています。

♢2番
2番で描かれるのは、夜明けと夕暮れ、空がうっすらとオレンジがかる時間帯の隅田川です。

「見ずや」は見てごらん、という意味です。

隅田川沿いに植えてある、桜や柳の木の様子が擬人的に描かれています。
朝には露をあびた桜木が語りかけてくる、夕方には柳の木が風になびいて手招きしてくる、その様子を見てごらん、とうたわれています。

♢3番
3番で描かれるのは、夜の隅田川です。

「錦織りなす長堤」とは、織られた錦のような堤防のことです。
「げに」は、漢字にすると「実に」。感動を表す副詞です。

桜や柳の配色がまるで錦のように対をなしている堤防に囲まれた隅田川には、おぼろ月が昇っている。
本当に、ほんの一時も金には換えられないほど美しく、その眺めを何に喩えることができようか、いや、できない、とうたわれています。

歌曲を受け継ぐ意義

「花」は、1900(明治33)年に、滝廉太郎の歌曲集『四季』に掲載されました。滝廉太郎が21歳のときです。
学校の音楽の授業では、必ずと言っていいほど取り扱われる作品です。

「花」に描かれる隅田堤は、特に江戸時代は桜の名所として知られており、浮世絵に描かれたり、漢詩に詠まれたりと、多くの芸術家たちが杖をいた場所だったそうです。

広重『江都名所 隅田川はな盛』
【参考】国立国会図書館webサイト
2022/1/22 閲覧



ところで私は、仕事の都合上、休日以外ほぼ毎日と言っていいほど隅田川を眺めます。

隅田川沿いをランニングする人、日向ぼっこをする人。今も昔も、人々の憩いの場になっていることは変わりません。

一方で、隅田川の上を走る高速道路や、隅田川沿いに広がる無数の建物をみていると、少し悲しくなってしまうことがあるのです。

本当に、「花」に描かれていた光景が、昔は広がっていたのだろうか?と。

もちろん、こういったインフラから、自分も日常的に恩恵を受けている身ですから、責めることはできません。

しかし、本当に人々が歌曲を愛し、そこに描かれた光景を慈しみ、その美しさをいつまでも残していこうという心があったなら。
もしかしたら、目にうつる景色は違っていたかもしれないと、どうしても思ってしまうのです。


音楽科教諭としてこれから、「花」に代表されるような芸術歌曲を受け継いでいく意義は、ここにあります。
歌曲を受け継ぐことは、残したい風景や、心を受け継ぐことに繋がります。

音楽や文学、様々な面から、歌曲のよさにアプローチできる授業を展開できるように、研究していきたいと思います。

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