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気まぐれな断想 #34

 最近、ある本を読んで(より正確には拾い読みして)、びっくりした、そして考え込んでしまった経験を書き留めておきたい。

 それは、著名な出版社から公認心理師に関わる授業科目のテキストとして刊行されている本である。その本の章の一つが、精神分析的心理療法を扱った章で、そこを拾い読みしてみたのだ。

 びっくりしたことは、いろいろあるのだが、一例として、本文中に登場する人名を登場順に挙げてみよう。タスティン、アルバレズ、ビオン、メルツァー、コフート、グリンバーグ(ジェイ・グリーンバーグではない)、メニンガー、以上ですべてである。また、章末にキーワードとして挙げられているのは、精神力動論、転移、自己対象転移、逆転移、投影-逆-同一化、中核葛藤テーマ、タスティン、ビオン、基底的想定グループ、α要素・β要素、メルツァー、これも以上ですべてである。

 本文中にも、私としては、「えっ?」とびっくりするような記述が頻出する。本の名前を伏せて書いているので、本文を直接引用することは控えるが、例えば、面接が原則として一定の枠組みで継続的に行われる意味についての説明や、プレイセラピーの意義や、応答技法としての明確化の意図などなど・・・「???」である。ある特定の考え方に基づく実践においては(あるいはこの章の著者の理解では)、そういうことになっているのかもしれないが、精神分析的心理療法一般についての説明としては、この本の記述は適切なものではないように、私には思われた。

 もう一度書いておくが、この本は、大学の学部段階の公認心理師養成カリキュラムの必修科目用のテキストと銘打たれたものである。この科目を履修するそれなりの数の学部生(数千人?)が、この本をテキストとして学び、この章を読むことが精神分析的心理療法とのファースト・コンタクトになるだろうことを想像すると、慄然としないではいられないというのが、私の正直な気持ちだ。

 この本の編者は原稿のチェックをしなかったのだろうか? いや、たぶん、チェックをしたうえで、OKを出しているのだろう。だから、最終的には、編者が責任を負うべきことだと思う。著者や編者が、自身の主義主張を込めて原稿を書くなり本を出版するなりするのは、もっともなことである。しかし、国家資格の養成カリキュラムでの使用を前提としたテキストにおいては、自ずと正確さとバランス感覚と節度が求められるのではないだろうか?(KT)

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