雑記帳45:時間
ある心理職の人から、こんな言葉をきいた。「自分の考えや必要なことを言うときは5分以内にまとめること。」 職場ではそのようなコミュニケーションを心がけるべきだ、という話である。
確かに、周りの人にしてみれば、だらだらとまとまりのない話をされるのは迷惑だろうし、時間の無駄かもしれない。忙しい職場ほどそうだろう。話す側にしてみても、自分が何を考えているのか、今ここで何を伝える必要があるのかについて、時間をかけて整理し、まとめてみることはとても大切なことだ。
でも、どうしても呑み込めないものがあった。呑み込もうとしても喉にひっかかるのだ。
言いたいことを急いでコンパクトにしなければならない時、「手垢のついた言葉」「借り物の言葉」にとどまることになりやすい。でも、簡単に言葉にできないものの中にこそ、見逃されてきた何かや、新しい何か、あるいはその人の個別的な心が胚胎しているのではないか。効率的であること、端的であること、シンプルであることを求めるほど、それらは確実に死んでいく気がする。
差し当たりてっとり早い表現で伝えることになったとしても、その後に対話の時間が続くならいいけれど、それがあるようには思えなかった。
同時にこんな話もあった。その人の職場では、心理支援は明確な目的のもとに進められねばならないという。バッケージをもたない関与は不十分で未熟であるというニュアンスがちらついた。目的のない支援が目をつむって車を運転するようなことになったら危険だけれど、「それが目的とは思えない」とか「それとは別の目的があると思う」といった話が生まれてくることの貴重さはあるはず。いざそうした局面が訪れて、それが思いも寄らないものだったら、その人はどうするのだろうと考え込んでしまった。パッケージ外のものだからという理由で見ないふりはしないでほしい。
「5分以内」の話と「明確な目的」の話は、きっと地下茎で繋がっている。
明確な目的意識のもとに、無駄なくコンパクトな伝達を効率的に行うこと。いわば、自己完結式パッケージング。それは、職場のスタッフ間だけでなく、クライエントとのコミュニケーションでも、当たり前のように求められ、良いことだと信じ知られているのかもしれない。ある面ではそうだとしても、すべてがそれになるのは恐怖でしかない。
心がぐるぐるしてきた。
もしかして、それってこちら側の都合なんじゃないか。そうしなければ業務が回らないという現実があるとしても、それはこちらの事情だ。クライエントには関係ない。クライエントはそういうこちら側の都合を察知して、それにあわせて、自分の心を殺していくかもしれないのに。
へんな感覚だ。
「5分以内」「明確な目的」を繋ぐ地下茎の中を進んでいくと、そこには有名な政治家たちがいた。ここ数年の一強政治における「ものの言えなさ」がこっそり、しかし強力に作用している気がした。あと、そこには「モモ」に登場する灰色の男たち(時間泥棒)もわらわらといた。時間を取り戻すモモは見つけられなかった。
やれやれと思っていたら、星野智幸が立ってこちらをみていた。言葉と無謬性の記事が頭に残っていたからだろうか。
そう言えば、少し前に映画「夜明けのすべて」を見たのだった。PMS(月経前症候群)の女性とパニック障害の男性の物語。女性は「月に一度」という時間を軸に、男性は「この先いつどうなるかわからない」という時間について苦悩を抱えていた。この二人が出会い、ある大切な時間を過ごし、自分の時間と出会い直していった。みんな「時間」をめぐって苦労し、傷ついているような気がする。
我ながら錯綜しているが、こういう輻輳的な世界に埋め込まれている時間のほうに、豊かさと心地よさを感じる。が、心理の世界では流行らないということなのか。(W)
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