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おじいちゃんとの思い出

祖父は、寡黙で頑固な人だった。

朗らかで口数が多い祖母とは正反対で、いつも難しい顔をして座っていた。

だから、小さい頃の私は祖父のことが怖かった。

そんな祖父の印象が大きく変わったのは、中学生の時だった。

塾の宿題がどうしても解けなかった時、祖父が「見せてみろ」と言ってきた。

祖父はその時60代後半だったと思う。私が解いていた問題は、中学生にしてはやや難しい数学の問題だった。

流石に解けるわけないだろう、と思いつつも、頑固な祖父の前でその言葉を口にする訳にはいかない。すごすごと問題を祖父に渡した。

すると・・・。

祖父はあっという間に問題を解いてしまった。出てきた解答を半信半疑で確認すると、まさかの正解。

心から驚いた。照れ臭そうに、だけどどこか得意げに祖父が笑う。

その時から、私は祖父に憧れるようになった。

祖父は、たくさんのことを知っていた。いつも新聞を読んで、新しい知識を取り入れていた。

印象的な思い出がある。

お盆に親族が祖父の家に集まっていた時のことだった。従兄弟とひとまわり歳が離れていた私は、お酒を飲んで盛り上がる従兄弟たちに馴染むことができず、静かな部屋でテレビを見ていた。

しばらくテレビを見ていると、いつの間にか祖父が部屋に入ってきた。

やれやれ、酔ったな。なんて呟きながら、祖父は私が見ていたテレビ番組を見始めた。

テレビ番組は季節柄もあってか、戦争のことを取り上げていた。

祖父はその番組を見ながら、時々私に話しかけてきた。私が知らないことを教えてくれたり、私の意見を聞いてくれたり。

私の何倍も長く生きてきた祖父はたくさんの知識を持っていた。それらは祖父の経験に基づいて、個々に分断されるのではなく緩やかに繋がっているようだった。

こんな大人になりたいと思った。

祖父は子供の頃から頭がよかったらしい。

だけど、祖父の実家は貧しかった。学力的には大学に進学してもおかしくないくらいだったそうだが、家庭の経済状況がそれを許さなかった。

高校を卒業した後は、肉体労働を伴う仕事をしていた。泥まみれになって働いていた。

すごく悔しかった。祖父はそう言っていたらしい。

ある日、知人に公務員試験を受験するように勧められた。勉強ができた祖父は試験にすぐに合格して、それからは公務員として、住民のために奔走をしていたらしい。

そんな経緯があったからか、私が大学に進学することをまるで自分のことのように考えてくれた。

当初は、祖父は私が受験しようとしていた大学のことを否定的に考えていた。

祖父だけには理解して欲しくて、私は一生懸命、この大学に進学したい理由を説明した。

祖父はうーんと唸っていた。それから何日かして、祖父はその大学を受験することを応援してくれた。

祖父はその大学のことを自分でも調べて、どんなことを学べるのか、どんな教授がいたのかを確認していたそうだ。

最後には「この大学はすごい、すごいところを目指しているんだ!」と、当初の反対からはうってかわって、本当に心から応援してくれた。

それからしばらくして、私は無事に志望校に合格した。

祖父はとても喜んでくれた。電話で大学に合格したことを伝えると、聞いたことのないうわずった祖父の声が聞こえた。滅多に見ることがない、綻んだ顔をして話してくれている様子が頭に思い浮かんだ。

進学が決まって自分のことのように喜んだ祖父は、遠く離れた大学の入学式に一緒に参加することになった。

割と規模の大きな大学に進学したので、入学式の会場も大きかった。

学生と保護者は違う場所に座るので、当日式が終わってから母と祖父と合流した。

式が終わってから、祖父と2人で撮った写真。私よりも嬉しそうな顔をしていた。

本当に自分のことのように喜んでいるようだった。


この時の写真が、祖父の遺影になるとは思ってもみなかった。

私が故郷を離れて大学に進学してからも、祖父は時々メールで連絡をくれた。私も時々電話をして、大学での勉強のことやサークルのことを祖父母に話していた。


それは突然のことだった。

朝、いつものように大学に行こうとすると、母から電話があった。

「おじいちゃん、昨日倒れて今入院している。」

そう伝えられた。

前の日に、家の中で倒れていたそうだ。祖母は耳が遠くてすぐに祖父の異変に気づくことができなかった。祖父の唸り声に気づいてからも、家のどこに祖父がいるのかわからなかったらしい。

祖父は救急車で病院に運ばれた。連絡を受けて、母も病院に合流した。祖父はこの時まで意識があったそうだ。

だけど、それからは意識がなくなってしまった。脳の病気だった。

この話を聞いた時、私は吐きそうになった。

この知らせを聞いた前日・・・つまり、祖父が倒れたその日。

私は祖母と電話をしていた。

いつものように大学の話をして、ひととおり話し終えたところで「おじいちゃんはいるの?」と聞いた。鮮明に覚えている。

祖母は「あれ、家におるはずなんやけどどこにいるかわからん」と答えた。

その時、祖父が何をしていたのか、本当のところはわからない。

だけど・・・私が電話したせいで、祖母が祖父の異変に気づけなかったんじゃないか?もし私がもっと強く祖父に電話を代わってくれと頼んでいたら・・・?

行き場のない思いで、頭が一杯になった。

祖父はその日から、病院で寝たきりの生活が続いた。意識は戻らないままだった。

それから月日が流れた。

大学4年生の4月。就活生になった私は、採用選考を受けるために、全国各地を移動し回っていた。

そんなある日のことだった。母から着信があった。

「おじいちゃん、今亡くなった・・・。本当に急だったから・・・」

頭が真っ白になった。おじいちゃんが死んだ?

それからはよく覚えていない。お通夜に出るため、急いで新幹線に乗って実家に帰った。

母に連れられて祖父母の家に行くと、白装束を着た祖父がまるで眠っているかのように横たわっていた。

何も考えられなかった。私の目から涙がぼろりとこぼれた。

お葬式には参加できなかった。企業の選考の日程と被ってしまった。

祖母と母と相談して、選考を優先することにした。

きっと、祖父ならそれを望むだろうと思ったから。

就職活動は無事に終了した。

教育系の仕事に就くことになった。教育格差をなくしたいと言う思いが軸にあったから。

祖父の話を聞いた時から、ずっとその思いがあった。

休職を経験しても、その思いだけはずっと変わらない。

学びたい意欲がある人が、住んでいる場所や経済的な状況に左右されることなく、学ぶことができるように。

そんな環境を整えることに携わっていくことが、祖父への恩返しだと思っている。

祖父はたくさんの知識をくれた。

学ぼうとする私を、応援してくれた。一緒になって考えてくれた。


祖父がくれたものを、今度は私が次の世代に渡していく番だ。



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