見出し画像

衣|野良着を自分で縫う

4年越しに出来上がった藍染のはかま

今年になって、4年越しの藍染のはかま(ズボン)が完成した。9月から始めた畑に合わせて、新しい農作業用のユニフォームが欲しくなって、4年間も放置していた作品づくりに取り掛かったのだ。このはかまは大学を卒業して就職した最初の1年目の春に縫い始めたのだが、慣れない8時間労働の日々の中、こういう藍染の服を縫ったり着る気分になれず、ほったらかしていた。そんなこんなでコロナ禍を経て、気づいたら4年の時の経っていたのだが、やっと自分ではかまを縫いたいと思えるくらいの心の余裕が生まれた。ここに至るまでの道のりは厳しかったので、とても感慨深い…

この藍染のはかまは、岐阜県の石徹白という集落にある石徹白洋品店というお店が販売するキットから作ったものだ。キットには、作り方のレシピと藍染の生地がセットで入っており、購入者は自分ではかまを作る=自分の衣を作る体験ができる仕組みになっている。

石徹白洋品店との出会い

私がそもそも「石徹白洋品店」と「はかま」に出会ったのは大学4年生の時だった。石徹白洋品店を特集した雑誌の記事を読んで、その土地に伝わる「たつけ」や「はかま」と呼ばれる民衣をベースにした服を生み出しているお店で、生地や染めの原料にもこだわり、できるだけ身の回りの草木や昔からその土地に存在しているものを使う。そんな土地に根ざした生産・ライフスタイルに強く共感をした。ちょうどその頃、頭を悩ませていた卒論のテーマが伝統工芸だったことから、石徹白洋品店の理念とライフスタイルからヒントをもらえそうな気がして、大学4年の夏休みに「たつけづくり」のワークショップに参加したのだった。

たつけワークショップ

夏の石徹白の集落で開催されたワークショップでは、「たつけ」と呼ばれる石徹白の民衣であるズボンを3日間かけて縫い上げるという内容だった。途中、石徹白のおじいさんから昔の石徹白での暮らし方や道具、そして民衣についてお話を伺ったり、石徹白神社に参拝に行ったりして、石徹白の集落の暮らしや歴史に触れ合ことで、その土地の民衣である「たつけ」を生み出した背景を含めて実感を持って学ぶことができるようなプログラムになっていた。

洋服を家でただ作るだけだと、その背景にある歴史やストーリーを知ることはなかなかできないけれど、そもそも衣とはその暮らしに必要で合ったから生み出され、作業に適するようにデザインされ直してきた道具である。そのことをワークショップを通じて学ぶことができた。

そもそも「洋服」という言葉からも想像ができるように、今私たちが身につける「洋服」はもとは海の向こうから渡ってきた形で、実は身の回りに持っと日常の作業をする時の私たちの体の動きに合った形をした「衣」があるのだ。その一つが、石徹白洋品店でも作っている「たつけ」や「はかま」であり、生地を直線断ちし、並縫いでひたすら手縫いをしていけば出来上がる非常にシンプルなものなのだった。形もお尻の部分が深くなっていることから、田植えや畑作業の時にかがんでも不自由のなく、とても動きやすい。日常の動きに適した道具としての衣を自分たちの手で作っていたこともあるのに、いつから身体を包む衣は、私たちの手から遠く離れてしまったのだろうか。チクチクと「たつけ」を縫いながら、そんなことを考えた3日間だった。

インターンで卒論を再考する

夏の石徹白洋品でのワークショップの後、私は八王子織物を例に、現代における伝統工芸の継承と振興の意義について、卒業論文を書き上げた(卒論の内容についてはまたどこかでご紹介をします)卒業論文の結論では下記のような文章で締め括った。

今一度生活の中に伝統工芸を取り入れること。この産業文化に関わり、個人のライフスタイルとして実践する人が各地域に1人でも増えること。それが大量生産と消費を繰り返す現代社会に代わるオルタナティブな産業や生活の形を生み出すことに繋がると考える。

言葉の定義上、論文では「伝統工芸」という言葉を用いているが、仮に「手仕事」という言葉に置き換えた時、石徹白洋品店が自らが作る衣やワークショップを通じて実践しようとしていることが、まさに私が卒論で理想として描いた産業やライフスタイルの形だった。だからこそ、もう一度深くこの考え方を体験したくて、今度は就職を控える大学4年生の3月に1ヶ月間石徹白洋品店でインターンをさせてもらった。

インターンの期間中、書き上げたばかりの卒論に沢山の不備があることに気づいて自分の考えの至らなさに落ち込んでいたのだけれど、中でも尾州にある織物工場に連れて行ってもらった時に大きな思い違いに気付かされた。

私は卒論の中で、「手仕事」にフォーカスをしすぎて、結論のところで「みんなが自分の手を使って衣を自分で作ったらいい」みたいな乱暴な書き方をしてしまったのだけど、この織物工場に行ったとき、その考え方はあまりに乱暴だったと反省をした。生地の折り目一つでニュアンスが変わってしまうような繊細な仕事を、この織物工場では機械という動力を使って行っていた。動力を使っているとはいえ、その仕事はとても緻密で、それは間違いなく手仕事であった。現場を知らないと、よく理解しえなかったことだった。

加えて、卒論のキーワードにしていた「伝統工芸」という言葉のフレームにも再考するべきであると気づいた。「伝統工芸」と土地に根差した手仕事くくることで、その枠組みから外れる名前のない民衣たちの存在を知ったからである。かつ、工程が「手作業である」であればあるほど良いとされる認識の枠組みにも客観的に一度再考すべきかと考えた。本来は素朴で身近な手仕事を、一つのブランド品へと商品化していく流れに加担することにもなり得るのではと、ぼんやり感じたからだ(ここら辺はまた別の回で詳しくかきます)

もちろん自分で衣を作ることは、手の記憶を取り戻すためにとても重要なことではあるけれど、今ある技術と生地もまた、かけがいのないものだ。手仕事とそうでないものというくくりを超えて、ものの作り方とストーリーに視線を向けること。そのことが重要であったのだと気付かされたのだった。

自分で縫った「はかま」を履いて野良仕事をする。

とはいえ、今は就職をして普段は誰が作ったのわからないスーツを着ているのだが、畑に行くときぐらい自分で作ったものを着てみたい、と思って久しぶりに石徹白洋品店のキットで藍染の「はかま」を作ってみたのだ。自分の考えを表すユニフォーム的な野良着として、大切に着ていきたい(破けても自分で繕えるという安心感もある)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?