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憧れと好きは似て非なるもの

こんにちは、ジュンです。

今回は、憧れることと実際に自分がそうなりたいかは別のお話ということについて考えてみます。

私にはないものを持っている人を見て「可愛いなぁ、あんなふうになりたいなぁ」と思っても、じゃあ本当にそうなりたい?って自分に問うと「う~ん、なんか違うかな」と思ったことってありませんか?

最近私の中ではよく起こるこの食い違い。
どういうことなんでしょう?

私の苦手なこと

いや、苦手なことなんて腐るほどあるんですよ。

これまでの記事の中にも書きましたし、それ以外でも無数に!

今回は、大勢の中にいること、音が複数・複雑にある場所が苦手ということに焦点を当ててみたいと思います。

私は低音障害型感音性難聴という症状があります。
右耳の聴力が落ちていて聞き取りづらいという症状です。

病名は私の場合は蝸牛性メニエール病です。

実際には左耳が問題ないのでそれほど聞き取ることに支障はありません。

ただ、ですね。
大勢の人があちこちで話しているような場面、ガヤガヤしている場所、音が複数・複雑にある場所では目の前の人の言葉すらも聞こえません。

複数の人が同時に話していると、一番大きくて声の通る人の言葉しか聞き取れません。

周りが静かで一人ずつ話すというのは大丈夫。
1対1での会話も大丈夫。

普段の生活では耳鳴り以外は何も気にならないんです。

ですが、上記の通り大勢で賑やかな場所はとても苦手です。

聞こえないので、聞き取ることに集中しすぎて疲れちゃうんですね。

なので、静かな場所でゆったりとお話する方が好きです。

私の憧れるもの

私は人見知りが激しく、自分から進んで誰かと関わるということも苦手です。

なので、大勢の中で人に囲まれてキャッキャしながら楽しそうにキラキラしている人を見ると羨ましいなぁ、私もそうなれたら楽しいだろうなぁと思います。

みんなが集まってくるだけの魅力があって、楽しませることができる人と思えるからですかね。

いつも教室の隅で、周りに誰もいない、静かにひっそり過ごすことの多かった私には住む世界が違って見えました。

ですが、そんな人になりたいか?って自分に聞いてみると「それは違う」と返ってきます。

大勢の人の中心にいてみんなの人気者、キラキラしていてとても楽しそうに見える姿を羨ましいと思っているのにです。

私がその人になった姿を想像すると、そのときの感覚は「疲れちゃう」でした笑

聞き取ることにエネルギーを使うこと
周りの人たちにエネルギーを使うこと

いろんなものが疲れちゃうみたいです^^

私の好きってなんだろう

たくさんの人に囲まれるような人気者を羨ましいと思っても、そうなりたいわけではないらしい。

じゃあ私は何が好きなんだろう。

私はもともと自分から積極的に話すよりも、楽しそうに話している姿を見る方が好きです。

なので、いつも聞き側。

私が合間に発する言葉は、ほぼうなずき・相づちです。

全く苦ではないので、相手は話しっぱなしです^^

たぶん、賑やかに楽しんでいる人の傍らで、その姿を静かに見守っていることが好きなんでしょう。

その場面をイメージすると、すごくほっこりして落ち着くんですよ。

やっぱりね、自分が一番落ち着く立ち位置ってあるんですね。

周りの人たちが楽しんでいる姿を見ているのが好き。

このとき見えた私の最高の姿とも重なる気がします。

好きから見えた私の在り方

これまでのことから見えたことは、憧れは憧れであって、私が本当になりたい姿とはちょっと違ったということです。

憧れと好きは似て非なるもの

目立つ存在になりたいとか、注目の的になりたいとか、輪の中心にいたいとか、一見憧れはするものの、そこは私の居場所ではない。

みんなが賑やかに楽しんでいるそばでひっそりとはしているものの、いつも必ずそこにいるという安心感、安定感を出したい。

目立たないし、存在だって気づきにくいかもしれないけど、そこにいないとものすごーく気になる存在になりたい。

私がいるからこそ、みんなは気にもせず楽しめる、そんな私になりたいなぁと思いました。

地味かもしれないけれど、私にはその方が落ち着くし、私の力を最も大きく発揮できるのではないかなと思うんです。

そんなこと言っても「いなかったら忘れられてて思い出してもらえないよな」なんてネガティブももちろん浮かんできますよ。

まぁ、でもいいんです。
私がそうなりたいと思って時間はかかっても、すべての人に忘れられるってことはないんだから^^

無理して憧れの位置に向かおうとしなくて良かった。
私だから作れる居場所を見つけた感じ!

さて、私のペースで地味に行きますよ~!


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