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七夕に李賀を想う

中唐の詩人、李賀
字は長吉(ちょうきつ)
791年に生まれ、817年に没す。

   長安に男児あり
   二十 心 已に老いたり
          (「陳商に贈る」)

朋友に贈った詩句の通り
人間(じんかん)に用いられること少なく
天帝の招きを敢えて拒めず、天に新たに成った
白玉楼(はくぎょくろう)中の人となる。

若い詩人には、けれど
心に想う女性がいた。
五世紀末の銭塘に生きた名妓
蘇小小(そ・しょうしょう)。

       *     *     *

蘇小小は南斉の人。

三世紀初め、後漢が滅亡してのち
六世紀末、隋が中国を統一するまで
建康、現在の南京を都として
呉、東晋、宋、斉(南斉)、梁、陳
六王朝が江南の地に興亡した。

北方異民族との紛擾を避けて
南方へ移り住んだ士大夫たちは
花の香あふれる水郷景勝の地で
儒教より老荘に心惹かれ
自然を愛し夢想を育む。

水の辺に集った六朝(りくちょう)の貴族も
銀河を隔てて相対しつつ
年に一度接近する牽牛織女の二星に、
古人同様、一組の恋人を見た。
梁の明徳太子が編んだ『文選(もんぜん)』所収
「古詩十九首」には七夕詩もある。

七日の夜
カササギが天漢に橋を架け
織女を恋人のもとに渡すという
『淮南子』(紀元前二世紀)の伝説も
六朝貴族にとって親しいものであったろう。

六世紀、梁の宋懍(そうりん)は
楚や彼の故郷、荊州の風俗習慣を
月毎に配して『荊楚歳時記』を著した。

『荊楚歳時記』の七月
「七夕の乞巧」には
庭に棚を設けて
織女ゆかりのウリを供え
菓子、水菓子を飾りつけて
月に向かって色糸を針に通し
裁縫の上達を願う、とある。

またこの日には
書物や衣類を虫干しする習慣があった。
高楼に晴れ着や書籍を広げて風を通し
日が落ちれば取り込む。
夕べの空には、はや八日の月。
役目を終えたカササギたちは
すでに去って姿はない。

李賀作「七夕」。
『淮南子』が語る伝説や
荊楚の風習をふまえた
五言律詩は、子猫にとって
後朝(きぬぎぬ)の歌。

   別浦 今朝は暗く    別れの岸辺は 今朝 暗く
   羅衣 午夜の愁い    薄衣(うすぎぬ)に 夜半のかなしみ
   鵲は 穿線の月を辞し  カササギは 針糸の向こうに見た月を去り
   花は 曝衣の楼に入る  虫干しした花の衣も取り入れた
   天上 金鏡を分かち   片割れ月は金の破鏡
   人間 玉鈎を望む    恋知らぬ人の目には輝く留め金
   銭塘の蘇小小      銭塘の蘇小小は
   更に値う 一年の秋   また一年 秋を待つ
                     
愛する者は待つ。
心身に刻された
愛の記憶をよすがとして……。

       *     *     *

李賀の蘇小小は
待つ女(ひと)であった。

蘇小小を歌った、あるいは
彼女自身が作ったといわれる
楽府 ―― はやり歌がいまに伝わる。

     私は乗るわ、油壁車(ほろぐるま)
     あなたは乗ってね、白い葦毛(うま)
     二人はどこで会いましょか
     西陵の松や柏の下陰で
                (『玉台新詠』「蘇小小歌」)

三百年の時を隔てて
李賀の古体詩が和す。

   幽蘭の露          幽玄に咲くフジバカマ
   啼ける眼の如し       置く露はなみだ     
   同心を結ぶ物無く      心通わす術(すべ)がない
   煙花は剪るに堪えず     花さえ霧に閉ざされ剪れぬ
   草は茵の如く        草をしとねと座に敷いて
   松は蓋の如し        松の天蓋さしかける
   風を裳と為し        風は 揺らぐ裳裾
   水を珮と為す        水は ふれあう玉の帯飾り
   油壁車           いつもの青いほろぐるまは
   久しく相待つ        約束通り待ち続ける
   冷ややかなる翠燭      冷え冷えとした燐の光は
   光彩を勞す         力なく滲み
   西陵の下          西陵の橋のたもと
   風雨 晦し         雨風に 闇は深い                              
                      
                (「蘇小小歌」/「蘇小小墓」とも)

李賀枕頭の書であった『楚辞』で
フジバカマは「離騒」の人、屈原の花。
丈高く天の高みに清澄な香を放つ
秋の野花の楚々とした佇まいに
若い詩人は、恋する人の面影を重ねる。

蘇小小は
逢瀬の契りを違えず
待っている
葦毛の白馬を駆って
やって来るはずのを。

西湖の畔
尽きぬ命を象る
松柏そよぐ奥つ城の辺り、
嵐の夜には、どこからか
管弦の調べが流れてくる、という。
優雅な酔客や美女たちの
笑いさんざめく遠く遥かな声をのせて。

       *     *     *

李賀は「鬼才絶」と評される。
卓越した「鬼才」。
鬼とは、人の業とは思われぬ
その詩作の巧みゆえ?
しかし同じ評者が(*)、李白を「天才絶」
白居易を「人才絶」とする以上
「鬼才」の「鬼」はやはり、あの鬼。
                    (*) 餞易(968~1026)

鬼。
死してこの世ならぬ存在となった魂、
あるいは人々を戦慄せしめる怪異。

とはいえ<死>はつねに<生>とともにあり
怪異は、猫たちの内に棲む。

生と死のはざま
草木の香り満つ
薄明の世界に
幻想が綾なすとき
<いま・ここ>は非日常に、
<いつか・どこか>は日常となる。

李賀、
鬼才絶。



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