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夏の出来事

暑い日でした。
夏休みで親もとへ帰っていた子猫は
あの午後も、午睡の父猫のそばで
ウトウトしていました。

ふと気がつくと、窓の外
ちょうど平屋の屋根の高さ
五、六人の若者が空中に浮かんで
立っているのです。防風帽を被り、
襟元には白いマフラー、いつか写真で見た
若い頃の父猫と同じ海軍の軍装
戦闘機の操縦士だとすぐわかりました。

父猫を迎えに来たんだ――
直感した子猫は、必死で猫パンチ。
文学の勉強をしていること、
いま親猫がいなくなると
続けられなくなる……
自分勝手なことをニャーニャー鳴きました。
すると彼らは、すぅーといなくなったのです。

            ⁂

”ねこじゃら荘”には
祖母猫や母猫が大切にしてきた
お仏壇があります。
大阪大空襲に遭って
家財のすべてが焼け
息子=弟=子猫の叔父猫が
小さな石になって帰ってきたのに
安置するお仏壇さえない……
見かねて知り合いの指物職人さんが
ベニヤ板と木切れとで
拵えてくださった一基です。

七十年以上たっても
寸分も狂わぬそのお仏壇の
水拭きを重ねて黒光りする上段の片隅に
叔父猫の”勲章”が置かれています。
「勲八等白色桐葉章」。
空母乗艦の一整備兵に与えられた名誉のしるし?
十九歳で失われた命がかつて存在した証し?

いいえ。

叔父猫、そして戦地で命を落とした
すべての昭和の若者たち、内地で
あんなにも無造作に命を奪われた子どもたち
お年寄り、女の人、男の人――
彼らは、彼らの命と引き換えに
<ことば>を遺してくれたのです。

いまを生きる私たち日本猫
「日本国民」と連帯して、
誇り高く宣言するために。


   日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な  
  理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に
  信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
   われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に
  除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと     
  思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
  平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
   われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を
  無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なもので
  あり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に
  立たうとする各国の責務であると信じる。
   日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と
  目的を達成することを誓ふ。
                   「日本国憲法」前文(抜粋)

            ⁂                        

いつかの若い戦士たちと
お昼寝の夢のなかで
また会いました。
暑い日の午後でした。

熱帯の海の底
瑠璃色の海草の向こうに
若者たちは車座になっていました。
そして言うのです。
「温泉があって、ここはいいところだよ」
どこか淋しげに、どこか悲しげに。

父猫の愛した『楚辞』に
「招魂」があります。

もともとは肉身を離れていく魂を
呼び戻そうとする巫術の歌。
東も南も、西も北も
冥界も天界も
どこへ行っても
ここほど、いいところはない
だから帰り来たれ、と。

   み霊よ、帰り来たれ
   東には、魂を取って喰らおうと
   途方もなく背高い巨人が待ち構え、
   太陽が十個も出ては金を溶かし石を溶かす

わだつみの宮居に住む
若い戦士たちに
帰り来たれと
ここは招ける国でしょうか。

太陽十個どころか
一発が太陽数個の
破壊力をもつ核の兵器に
気休めの安全を求めている国。
人の手になる
おぞましい”太陽”を
見たはずなのに。


   あのとき、ヒロシマの上空五百八十メートルのところに、太陽が、     
   ペカーッ、ペカーッ、二つ浮いとったわけじゃ。頭のすぐ上に    
   太陽が二つ、一秒から二秒のあいだ並んで出よったけえ、地面の上の  
   ものは人間(にんげ)も鳥も虫も魚も建物も石灯籠(どーろ)も、
   一瞬のうちに溶けてしもうた。根こそぎ火泡を吹いて溶けて
   しもうた。【…】
                   井上ひさし『父と暮らせば』

            ⁂

平和って、なに?
NOTEを引っ搔き/書きながら子猫は
ネコの小さな頭で一生懸命考えました。

みんなに食べ物と
追い払われることのない
寝場所(!)があること?

「いってらっしゃい」「ただいま」
昨日と同じ小さなしあわせが今日もあり
今日と同じ明日があると思えること?

いろいろ考えて
至極あたりまえの結論、
平和=戦争がないこと。

テキチ・コーゲキノーリョク
「テキチ」って、どこ?
「テキ」って、だあれ?

恒久の平和。
私たちの憲法前文が
ちょっと気負った青春の日本語で
「国家の名誉にかけ、全力をあげて」
達成すると誓った理想と目的は
あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、
冷笑され、無視されて、それでも
達成への道を歩み、これからも
歩んでいくはず。
少しずつ地球規模の広がりをもって、
達成にどれほど長い時間がかかろうと
遺された<ことば>に応える
一人ひとりの思いと
つつましやかな言行があるかぎり。

み霊よ、帰り来たれ。
あなたがたの
いのちの<ことば>を受け継いだ私たちを
あなたがたに見ていてもらいたいから――
見守っていて欲しいから。

今年も
暑い夏です。
燦燦と燃える
不思議ないのちにあふれた
暑い夏です。

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