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水、ほとばしる

フランス
オーヴェルニュ地方の中心都市
クレルモン=フェランから北へ
車で半時間も行かぬうち
ヴォルヴィックに着く。

ヴォルヴィック Volvic といえば、鉱泉水。
一万年の火山台地に濾過され
水は、優しい。

村猫たち自慢の名水は
二十世紀も半ば近くになると
大きな工場で瓶に詰められ
いまでは世界中を旅して
自然大好き猫たち、大満足。

モンパルナス界隈の
カフェテラスに尻尾ペタン。
小粋な給仕猫さんに
—― ヴォルヴィックを四分の一(180ml 瓶一本)、
   おねがいします、ニャー。

               🌿

ヴォルヴィックは渓流の里、
そこここに山の湧き水。

木漏れ日の香に
野鳥たちのさえずりは
無調の色彩となって降り注ぎ
猫たちは、スナドリネコさんの真似をして
沢に下り、早瀬にパシャっと猫パンチ。

            🌿 🍸 🌿

水の辺には
近く、遠く
恋の歌。

岩くゞる山井の水を掬びあげて
   たがため惜しきいのちとか知る
                  伊勢

原テクストは平仮名で表記
関根慶子、村山治、小松登美  著
『校注 伊勢集』

岩間をぬって流れ下る山の湧水
掬びあげて知る、誰ゆえに
惜しいこのいのちかと。

山井の水が、”閼伽” /a-ka/の音から
「飽か」ずに通じ、云々……専門猫たちは
作歌技法を指摘して詠の巧みを語るけど
「岩くぐる」は、猫たちにとって
ひたすら一途な恋の歌。

作者、伊勢(872頃〜 938頃)は
古今集時代の専門歌人。
しばしば歌合(うたあわせ)に召され、
乞われて屛風歌も多く残した。

小野小町のように
伝説の叢雲に覆われることはなかったけれど
伊勢もまた王朝の女人、あまたの恋と
無縁ではなかった。

宇田帝の女御、温子(おんし)のもとに出仕して
十代の半ば過ぎ、初めて恋を知る。
満たされぬ思いに悩み苦しみ
一度は”職場放棄” して(!)
親もとへ戻ったものの
温子の懇請を受けて、再び宮中へ。
天子に愛され、夭逝したものの皇子をもうけ、
のちに敦慶親王(あつよししんのう)と結ばれて
女児を産む。

伊勢は、秘かに心を寄せた貴公子たちの名を
進んで明かすことはなかったけれど
多くの詠に ほのかに漂う
恋の移り香。

            🌿

私家集冒頭、”伊勢日記”と呼び慣わされる
長めの詞書(あるいは短い物語)は
こんな風に始まる。

寛平みかどの御時、大宮す所ときこえける御つぼねに、
やまとにおやある人さぶらひけり。
                       *「大宮す所」は、温子

前掲書

伊勢の「おやある」大和の国は
なだらかな山々に囲まれ、水豊か。
神酒を醸す三輪の湧水は、清らに谷を潤し
春は佐保、秋は竜田の川、また川。

歌人は、吉野川の北
竜門岳山麓の古刹に詣でたこともあった。
境内に落ちる滝を
山姫の曝す布に見立てて詠進。
(『古今和歌集』第十七巻、雑歌上)

滝への往還に、あるいは
散策のつれづれに
渓流を掬せば、時として
清冽の感触にふと目覚める
恋する ”わたし” 。 

五感の座、身体は心 ―— 心は身体。
”わたし” を動かす<生>の息吹を
西欧の猫たちは anima と呼んだ。

Anima、アニマ、アニマル、アニメーション(?)
日常の律動と非日常の躍動、その原動力
アニマは、いのち

たがため惜しきいのち……
愛しいあなたゆえに
いと惜しむ
この身体
この心。

            🌿

夢見猫たちが
せせらぎを行く。
尻尾ユラユラ、惑星の水の記憶
湿ったピンクのお鼻の先に
川面の風がそっと口づけ。


深緑のオーヴェルニュ
いにしえの滝道
清涼の時空に
猫たちのいのちは歌い

水、ほとばしる。

Volvic 近くの渓流

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