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老女と少女(2)

小野小町のこと。

小野小町が絶世の美女だと
言い出したのは、もしかして紀貫之?
衣を通してさえ美しさが
輝き出ていたという衣通姫に
連なる小町も、絶世の美女――

 小野小町は、いにしへの
  衣通姫(そとほりひめ)の流なり。

『古今和歌集』仮名序

衣通姫は
5世紀前半の允恭(いんぎょう)天皇の后。
愛する夫を待つ思いを詠んだ一首が
『古今和歌集』に見える。

そとほり姫の一人ゐてみかどを恋ひたてまつりて

   わがせこが来(く)べきよひなり
  さゝがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも                  

『古今和歌集』墨滅歌 巻第十四 1110

愛しいあなたがおいでになる今宵、
ササガニに似た蜘蛛たちが
その前触れか、機を織る。
(牽牛を待つ織女のように?)

小野小町は衣通姫の流れを汲む
端麗な容姿によって(見た人はいないけれど)
そして何よりも、愛しい不在者への思いを託す
三十一文字によって。

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小町が生きた時代から
数百年の時が経った中世、
平安の女流歌人は
新たに興った芸能、
能の舞台に立つ。
百歳の老婆となって。

驕りの春、
物思いに耽って暮らすうち
時は移り、盛りの時は過ぎる。
小町はため息のような
一首を詠んでいた。

  花の色はうつりにけりな いたづらに
   我が身世にふるながめせしまに

『古今和歌集』巻第二 春歌下 113

年を重ねれば
輝く肌も乾き黒ずみ
凍てついた梨の実のよう。
黒髪は霜をいただき切れ切れに
ほつれ纏(まつ)わる。

観阿弥作「卒塔婆小町」
シテは老残の小町。

天人の五衰もかくや、
垢じみて異臭を放つ衣に
背には着替えの襤褸を負い、
手にした頭陀袋の糒(ほしいい)は
明日に備えて取り置く糧、
明日もまだ命があるとして……

そんなある日、小町が物乞いに疲れ
道端の朽木と化した卒塔婆に
腰を下ろして休んでいると
通りがかった高野詣での僧たちが
それを見咎め非難する。

老女は応えて言った。
卒塔婆に腰かけたのが悪いとして
これもまた仏縁。
人の世の善と悪とは分かちがたく
煩悩も、また悟り。
僧らは老婆の言葉に感嘆し
その場に平伏する――

突然、老婆は僧たちに食を乞う。
「小町のもとに通うため」
「なんとおっしゃる、あなたが
小町ご本人ではありませんか」

老いと飢えとに苛まれる身体と
老いてなお衰えぬ精神を
引き裂いて狂気が走り
その昔、小町を空しく恋慕した
深草少将が乞食の老婆に憑依して、
中世に成った伝説「百夜通い」が再現される。

百夜通えば思いを叶えよう――
高慢な美女の言葉を信じて
深草少将は小町のもとに通い続けた。
雨の日も風の日も、そして
あと一夜で百夜という九十九日目の雪の夜、
少将は、力尽きて果てた。

僧らと観客の目前で
小町は深草少将となり、少将は小町となって
憑依の舞に青春がよみがえる。

思えば小町もまた
愛しい人のもとへ通っていた
夜ごと、夢路をたどって。

   夢路には足もやすめず通へども
     うつゝにひとめ見しごとはあらず

『古今和歌集』巻十三 恋歌三 658

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小野小町はときに
「夢の歌人」と呼ばれる。

恋の萌芽を思わせる和歌を収めた
『古今和歌集』巻第十二
冒頭の三首は小町の夢の歌、
恋を知り初めた少女の詩。

   思ひつつぬればや人の見えつらむ
     夢としりせばさめざらましを
                      

『古今和歌集』巻十二 恋歌二 552

   うたた寝に恋しき人を見てしより
     夢てふものは頼みそめてき

『古今和歌集』巻十二 恋歌二 553

恋しくて恋しくてたまらない夜は
衣を裏返し掛けて寝る。
これはおまじない、
夢であなたと会うための。

   いとせめて恋しきときはむばたまの
     夜の衣をかへしてぞ着る

『古今和歌集』巻十二 恋歌二 554

縁語も、掛詞も、『古今』の技法を
すべて押し流し、あふれる
ひたむきな抒情、
小町の夢。

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老いて
百歳になりなんとする小町は
現在の大津市、関寺あたりに
庵を結んだ。

世阿弥作
「関寺小町」

シテの老いは謡われても
老醜は語られない。
春雨に打たれて色褪せた花の紅、
春風に誘われ伸びきった柳の緑、
盛りを過ぎても
なおそれぞれの美しさ。

さて、関寺の僧たちは
近在の名も知らぬ老女が
和歌をよくすると聞いて
初学の稚児を伴い
短冊を掛けた老女の藁屋を訪れた。

折しも初秋
技芸上達を願う七夕は
恋する星たちが年に一度
相見るとき。

老女は稚児を迎えて言う。
心を種として言葉の花を色香に染める、
これは幼い人たちにとって心楽しいわざ。
歌の道を志すとは、何んとすてきなこと。

諸行無常と響く関寺の鐘の声は
小町の耳にもう届かない。
時が移り事物が去っても
世々の流れの深みに根を張って
言の葉は変わることなく
繁り栄えているから。

   和歌(やまとうた)は、人の心を種(たね)として
 万(よろず)の言(こと)の葉とぞなれりける。

『古今和歌集』 仮名序

星合の宵、
恋人たちの逢瀬のときに
小町は短冊を手に筆を染め
心のままに歌を詠む。

関寺の僧たちは
目前の老婆が小町であると気づき
小町も勧められるままに
七夕祭りの一献を傾けた。

酌をした稚児の童舞に、
老女は五節の舞姫を重ね
(天つ風 雲のかよひぢ吹きとぢよ
   をとめの姿しばしとゞめん)
杖を突きつつ、舞う。
「百年(ももとせ)は 花に宿りし胡蝶の舞」

小町が生きた百年の歳月は
荘子が見た胡蝶の夢であったのか
それとも四人の童が
四頭の蝶となって春色の羽で舞い遊ぶ
舞楽「胡蝶」の幻影であったのか……
「あら恋しのいにしへやな」

華やぎの季節は
老女のうちにある
少女の心とともに。

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老女でありながら少女。

少女でありながら老女にされた
ジブリ作品のヒロインを思う。
ソフィー、
魔法使いハウルの恋人。

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