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No. 241:広義と狭義

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なかなか先の見えない毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

これまで体験したことのない事態ということで、連日あんまり聴いたことないような言葉が登場して、「へー、そういう時にこういう風にいうんだ」と解説やニュースに耳を傾けているところです。

先日、いくつかのそういった言葉が、なぜカタカナ言葉(外来語、たとえばクラスター)で日本語(集団感染)じゃないのか?という話がTLで散見されていて、それに対して意外と「かっこつけてるから」とか「それっぽく聞こえるから」という批判が集まっていて、いやそれはないんじゃないの?と驚いていたのでした。

もちろん、一般の人向けのニュースなんだから、一般の人が無理なく理解できる言葉をつかうべきである、というのはわかります。が、いわゆる一般語句を使わないということは、その文脈で特別な意味(専門用語として定義されている等)をもつ言葉が、そこで必要だったということではないの?と思うのです。例に挙げたクラスターは集団感染という意味ではないし、一般名詞としてのクラスターは群とか集団のことであって、疫学におけるクラスターとはちょっと意味が違います。日本語におけるその手の表記って、「この言葉は一般名詞ではなくて、特別な意味を持つ言葉ですよ」というシグナル(←こういう使い方もまたちょっと違うのだが)になっているのかなと思います。なんかちょっと厳密にいうと違う意味なのかもしれないから、調べてみなよっていうきっかけ。

こういう言葉の説明を言葉でする、っていうのはなかなか難しい。

同じように普段の行動を変えなくては、という意味で「行動変容が必要です」という言葉をニュースでもたまに聞く。おそらく一般名詞として使っているんだろうなあと思うのだけど、「行動変容」という専門用語は心理学や医学では特別な生活習慣や問題行動の修正に使われる技法のことを指す場合が多い。

こんな風に、毎日の暮らしの中で、同じ言葉が文脈で異なる意味を持つ、ということは普通にあるし、それがどちらの意味で使われているかはっきりと示されないことはよくある(受け手が判断する)。広義ではとか狭義ではとか、割と普通に使い分けてると思うのです、話し手の立場としても。

最近その手の表現について「どっちなのかよくわからない」とか「そういう意味なら先に言ってくださいよ」とか「場合によって意味が変わるのがよくわからない」とか文句言われることが増えたなあと実感しています。そんなに変なことは言ってないつもりなのだけど。

しかし、その手のことについてイラっとする感覚は、自分にもあって、「見える化」という言葉が実は苦手です(↓幻のNo. 239 書いてみて納得できなかったので、アップしなかった)「見える化」はビジネス用語であって、「可視化」の意味だけではないわけですが、文脈によっては「それは『可視化』でいいのでは?なんか可視化が言えなくて、適当に言葉作っちゃったみたいな感じで頭悪いみたいだよ!」という気分になることがよくあって、ドウドウと自分をなだめています。

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