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11年経って……

この週末は父の命日でした。母とお墓参りへ行ってきました。

父のお墓は、公園と呼ばれるものに建っていて、お墓も日本のあの、’きもだめし’とかするような墓石が四角く区分けされている中に建っているというものではなく、低い墓石でどちらかというと洋風な墓地公園です。緑がたくさんあって、本当に公園のよう。墓石の前にシートひいてお弁当を食べている方もいたりします。今回はとても暑い日だったので、母と私も、お墓の掃除が終わってから、コロンと座って、アイスを食べました。暑い日に外でアイスを食べるなんて久々で、気持ちいいなーって。

誰かと行っているお墓参りは、おしゃべりとかしているから、一人で行く時とまた心境が違う。一人で行くと、やたらあ父のことを思い出そうとしてみたり、父といろいろ会話しようとしてみたりする。今回は母といたので、ほのぼの、のんびり、少し家族のことを話したり、遠い親戚のことを話したり。きっと墓石の中で、そんな会話たちを父は聞いているんだと思う。

最近、自分の中でひとつの節目があったので、それを父に報告した。(黙って心の中での対話)その節目は、私の生活に大きく影響があるものだったので、けじめというか、これから前進するためにも、あえて父に報告した。そこで感じたのが、私って成長していないな、、、ということ。父が亡くなって11年が経っていたことに驚く。ついこないだのように、父の最期を覚えているから。11年の間にいろいろ変わった。家族の中でもいろんな出来事があって、それぞれに、いろいろと変わった。でも私は?職は変わったけれど、精神面はたいして変わっていない気がした。父が亡くなる頃と同じように、また旅に出ようとしているし、未だに母にも心配をかけている。11年も経ったのに、子供もおらず一人で自由に生きている。11年、もっと成せるものがあったのではないか、そう感じてしまった。11年の中に、少し長いスパンで、3年とか、5年とか、いろいろなタームがあって。でもそれが11年の過去となっていて。その時間や経験は、いまの私を作っていると自信を持って言えるのに、なんだか父の前では堂々とできず、自信がなかった。

父の生前に、今の私のような状況とか、もっとじっくり語りたかったと強く想う。私は考え方や、生き方がやや父に似ていると思うから。今だったら激論したり、肩組み合ったりして、ビジネスのこととか、これからの世界について語り合えたと思う。

11年。とても長い歳月。父は11年も私を見守ってくれているのか。

そう感じると、前進しなくては、という気持ちになった。

淋しくて会いたいという気持ちが以前よりも減ってきたのは、故人は忘れられてゆくという現実からなのか。でも私は忘れていないよ。悲しみを感じるのはもうやめにしたんだよ。父とは心で繋がっているんだって感じているから。

初めて、父の命日で涙を流さなかった、11年目。

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