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「ペットフードの都市伝説」を語る前に「正しい」とはどういうことか

今回は、ペットフード講座の番外編です。

この記事にたどり着いたみなさんであれば、ペットフードについてネットでいろいろと調べたことがあるじゃありませんか?

実際に調べてみると、
「穀物が入ってるペットフードは食べさてはいけない!?」
とか
「ペットフードにはヤバい原材料が原材料が使われている!?」
とかっていうお話をよく見かけます。

そういった、ちまたにあふれるペットフードについての真偽があやしい噂話のようなものを、僕は「ペットフードの都市伝説」とよんでいます。
みなさんも「ペットフードの都市伝説」って気になるでしょ?

そこで今後ときどき、「ペットフードの都市伝説」について解説をしていく予定です。

でも、「ペットフードの都市伝説」についてお話をする前に、一度みなさんに頭の中を整理していただこうと思います。
でないと、せっかく解説を読んでもらっても、「モヤモヤが残る」とか、「何だか言いくるめられたような気がする」とかってことになる人が続出すると思うのです。

それでは、これから番外編を始めます。

僕たちは毎日、とんでもなくたくさんのことを「正しい」とか「正しくない」とか判断して生きています。でも、ここでちょっと立ち止まって、どんなふうに僕たちが「正しい」かどうかを判断しているのかについて考えてみてください。

僕たちが「正しい」と思っているものには、その根拠によって、実はいろんな「正しい」があります。それを僕なりに分類してお話していきます。

ただこの分類は、あくまでも「『正しい』にもいろいろある」ことをわかってもらうためのものですので、「それは違うんじゃないの」と思われる人もいるかもしれませんが、そこはご容赦ください。

いささか前置きが長くなりましたが、これから「正しい」について考えていきましょう。

まずここでは、「正しい」をざっくりと6つに分けて考えていきます。

感覚的・直観的に正しい
「私は〇〇だと思う」「地面は平らだ」「太陽が地球の周りを回っている」など。

つまるところ、おもに感想や印象に近いものだと思ってください。“思い込み”とも言います。

権威的に正しい
「△△さんが言っていた」「テレビで言ってた」「ネットに書いてあった」など。

おもに関西人が使う「~らしいで。知らんけど。」も、おおむねこれにあたります。
これは「言っていた」人が何を根拠にしているかによって、他のどれかの「正しい」に含まれることになります。(ちなみに、「△△さん」が“神様”なんかであった場合は、信仰と呼ばれます。)

経験的・歴史的に正しい
「■■したことがある」「いつも〇〇だ」など。

「オレが若かったころは~してたんだ」はこれですね。
気を付けないと、例外を経験していないだけかもしれません。

また、これのバリエーションとして次のものがあります。

③′一面では正しい部分的には正しい
「××という事実がある」ということと「××が正しい」というのは別物です。「××が正しい」というためには、いつでも、どこでも「××が事実」でなければなりません。
たとえば、「お金持ちは、長い財布を使っている」という事実があったとしても、すべてのお金持ちが長い財布を使っているとはかぎりませんし、仮に「すべてのお金持ちは、長い財布を使っている」が正しかったとしても、「長い財布を使っている人がみんなお金持ち」というわけではない、と言うとことです。長い財布を使ったからと言って、お金持ちになれるとは限りません。
レアな事実を強調して、あたかもその事実が一般的であるかのように思わせる手口もありますから注意してください。

理論的に正しい
「理屈の上では~になる」など。

いわゆる「仮説」と呼ばれるものも、これの一種だと思ってください。仮説は、科学的(統計的)な方法をつかって、実際に正しいかどうかを確かめないと「本当に正しい」とはされません。
刑事ドラマなどでよくある「状況証拠はそろっているのに…」もこれと同じようなものです。「物的証拠がなければ十分ではない」という感じです。

科学的・統計的に正しい
「(科学的な)エビデンスがある」
「有意水準(危険率ともいいます)1%で正しい」など。

「何を言っているの?(とくに後ろのヤツ)」と思われたかもしれませんが、これを詳しく説明しても、きっと誰も幸せになりませんので、ここはひとつ、「科学的に正しい」「科学的な根拠がある」っていうのは、“そういうモノ”だと思っておいてください。(詳しく説明されたほうが幸せになれる人は統計学の本などをお読みください。)
まあ、そんなことだから、「エビデンスとか言われても、いまひとつ釈然としない」ってことになるのだろうと思いますが。

ひとまず、現在、一般的にはこの⑤と次の⑥が「本当に正しい」とされていると思ってもらって差し支えありません。

ただ、厳密に言うと、100%正しいのは⑥だけで、この⑤は「正しくない可能性」が完全にゼロではありません。例の“後ろのヤツ”は、乱暴に言えば「少なくとも99%を超える確率で『正しい』」という意味だと思ってください。もう少しだけ正確に言うと「こんなことが偶然でおこる可能性は1%未満」ということです。

じつは数年前に一部の科学者たちが、「統計的な結果をもとに、正しい/正しくない、のふたつにスパッと分けてしまうのはいささか乱暴ではないか」と異議を唱えたことが話題になりました。
ただ、異議を唱えているのは“スパッと”の部分です。「統計的な結果なんかまったく信用ならない」と言っているわけではありません。

Scientists rise up against statistical significance, Valentin Amrhein, Sander Greenland, Blake McShane and more than 800 signatories call for an end to hyped claims and the dismissal of possibly crucial effects.
Nature 567, 305-307 (2019)    https://www.nature.com/articles/d41586-019-00857-9

いまひとつすっきりしないと思いますが、現実的にはこれらを「正しい」と考えないと世の中が成り立たなくなってしまいます。

絶対的に正しい
「人は必ず死ぬ」「ピタゴラスの定理」など。
例外なく、100%正しいことです。(もしもいつか“死なない人”が現れたら、「人は必ず死ぬ」は絶対的に正しいわけではなくなりますが。)

ひと頃流行った、「それってあなたの感想(印象)ですよね?」「エビデンスあるんですか?」という、いわゆる“論破”は、上の①と⑤をキチンとわけて考えましょうと言っているのだと思ってください。(ご本人に確認したわけではありませんので、もしも僕の解釈が間違っていればご指摘ください。訂正しますので。)

ただ、ヒトの脳はもともと、④⑤のようにじっくり考えるよりも、思考力を節約するために①~③のような感覚的・直観的・経験的に情報を処理することが圧倒的に多いのだそうです。これを「バイアス(”偏り”のような意味)」と呼びます。
興味のあるかたにはダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(早川書房、2012年)という本がおすすめです。

ただし、ここでお話したことは、科学があつかう、おもに客観的・物質的なこと、つまり私たちが何らかの方法で認識し、数字で表現できることにだけ当てはまります。「心」や「考え方」などにかかわることについては、一概に「正しい」「正しくない」や善悪を判断することはできません。それらをあつかうのは、おもに哲学です。

有名な哲学者であるカントの名前は、みなさんも聞いたことがあるかと思います。カントも科学があつかう範囲と哲学があつかう範囲を区別しなければならない、というようなことを言っています。(これは上の②「カントさんが言っていた」ですね。ただ、これは哲学ですから、「正しい」かどうかではありません。)

ちなみにカントは「心理学は科学ではない」と言っていますが、心理学や行動学・精神医学などは科学的な方法で研究されていますので、少なくとも僕は科学の一分野だと考えています。

ずいぶん理屈っぽいお話になってしまいましたが、栄養学も科学の一分野ですので、どうしても理屈っぽさ抜きには解説できません。ですので、「科学的に正しい」というのが、どんな感じなのかを、何となくでかまいませんので、知っておいてください。


今回はとにかく、「正しい」にはいろいろあるんだ、ということをわかってもらえれば嬉しいです。そしてみなさんも時には、「いま自分が『正しい』と思っていることは、どの『正しい』なのか」を考えてみると、都市伝説に惑わされにくくなると思います。

今回のまとめ

  • 「正しい」にもいろいろある

次回(本編)の予告

本編の「ペットフードの都市伝説 その1」が登場します。どんな都市伝説かは次回をお待ちください。(本編はこちらからどうぞ)
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どうぞお楽しみに!

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