見出し画像

いつものように長期休みに思うこと

年末年始の休みに書きかけた文章に今夜書き足している。こんなことを書いて自分が何を求めているかもわからない。吐き出し系の散文なので注意されたい。

今回の年末年始も里帰りすることなく、一人で過ごす。いつものように。何も思わないでもない。正直、一言で表すことはできない。今は冷静に捉えられるようになったけれど、「そろそろ帰りたいけれど、面倒だから帰りたくない」、というような矛盾した気持ちだと思う。帰っても虚しくなるだけだから。帰りたいとは思わないけれど、街は懐かしいし、方言も懐かしいし、同級生や部活の後輩には会いたいと思う。でも「落ち着ける家」という意味での帰る場所はもうない。かと言って自分が「実家」という名の、そんな帰る場所が欲しいのかすらわからない。

人は問うー「今年帰るの?(そら帰るよね?)」
僕は答えるー「今回は帰らないんです。(帰らんといけんの?帰るところないし帰る気もない)」

少し踏み込んで書こうと思う。どこからどこまで書けばよいかわからない。高校生の頃から、こんな感じで面倒なまま。最近はだいぶ気楽ではある。

両親が僕が高校生の時に別れてから、僕は父と暮らしていた。母はしばらくひとりで暮らしていたようで、今は周りに人は居るけれど、何もできていない自分がもどかしい(どこまで書くかは迷う)。けど何ができたわけでもない。また電話しないといけないと思うし、会いにいかないとと思う。それだけで母は涙して喜ぶ。そんな風にまだ感じてくれるだけで僕としては喜ばしい。

父は、今は、僕の昔の同級生の母親とその子どもたち(同級生の兄弟、今は)と暮らしている。何人かもしらないし、別に好きにしたら良い。邪魔する気もない。悩んでいた大学の時に、とある先生から、「父の幸せを願っていいんじゃない?」というようなことを言われたことがあるけれど、邪魔しようと思ったことなど一度もない。ただ僕は何を感じれば良いのか、わからなかった。今もわからない。教科書などあるわけなどないし、周りの人に聞いて答えが返ってくるわけもない。そして答えも別に要らないはず。

何を感じるべきか、誰も教えてなどくれない。ただ海にひとり沈んでいる船のように、そこに存在するという事実だけがあり。魚たちにとっては恰好の棲家であるかもしれないが、その大きな船体が少しずつ崩れているとしても、誰も気に留めることなどない。

父親に何か言いたいことがないでもない。自分でもよく覚えていないが、高校生の時、ある日の夕方か夜、父親に「明日から〇〇の母ちゃんたちが来る」と告げられ、実際にその翌日に家にやって来て、同級生の母親と同級生と子どもたちと暮らしていたことがある。断片的なことしか覚えていない。何を感じて居れば良かったのか、どう振り返ればよいのか、今でもわからない。そしてとある日、耐えかねた僕は父親に、あの家族に家から出て行ってもらうように言った。あの期間は何日間だったのか、何ヶ月間だったのか、季節はいつだったのか、わからない。何だったのか。

父親が子どもの頃に同じような体験をしたという話は覚えている。言いたいことはあるけれど、ぐっと堪えて、結局その程度の人間なのだと思うしかない。本当にその程度なのだと。

ここまで書いて、終着点はわからない。これだけでもない。あくまでひとつの切り取り方でしかない。今日のところはそのままにする。公開して少しすっきりするはずだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?