2020.6.13 w-inds.と私

2020.5.31
w-inds.緒方龍一脱退。
所属事務所との契約終了。

結成当初から見てきたグループ。
19年という歳月。
これからも当たり前にw-inds.は3人で在り続けると思っていた。

龍ちゃんがw-inds.からいなくなることの、w-inds.でなくなることの、寂しさ、悲しさ、辛さ。
続けると決断してくれた慶太と涼平くんの強い意志。
w-inds.のこれから。

頭の中は真っ白で目の前は真っ暗、未だに現実のことだと思えずに涙が出てしまうけれど。
w-inds.と私の歴史についてだけ書こうと思う。
感情の部分は抑えて、冷静に。


2001年、中学生の私は兄と音楽番組を見ていた。
そこに映し出されたのは、可愛らしい3人組。
あどけない表情にB-BOYファッション。
曲は大人っぽく切ないメロディー。
歌声はそれに相反して高く甘く幼い。
なんともアンバランス。
特に信じられないほどの高音ボイスは、強烈なインパクトがあった。
今の男の子?だった?よね?と兄と確かめ合い、うぃんず、という名前を覚えた私たちは、興奮気味に近所のCDショップへ走った。
それがw-inds.との出会い。

幼い頃から両親にライブやコンサートに連れて行ってもらっていたけれど。
生まれて初めて自分の意思でチケットを取ったライブが「w-inds.1st Live Tour “1st message”」だった。
このライブのオープニングアクトを務めたのが、今も大好きで時々現場へ足を運んでいる、事務所の後輩Leadであることは、またいつか詳しく書いてみたい。

ライブ、音源、映像、イベント、ファンクラブ、テレビ出演、ラジオ出演、雑誌掲載、とにかく全てを手にして全てを知りたかった。
たぶん、私のオタクの原点がここにあるような気がする。

幼なじみのともかはボーカルの慶太が好きで、新曲が出るとダンスを覚え合い教え合った。
クラスメイトのゆうこは龍一のファンで、地元で行われる歌番組の収録に当選したときは、絶叫して喜んだ。
私はとにかく真面目なダンスバカ、涼平のファンだった。
母は曲の良さに惹かれ、一緒にライブへ行くほどにハマった。
私の青春はw-inds.一色だった。

バスケ部の練習中に左足の靭帯を損傷してしまったのは、3人への"好き"が"憧れ"へ変わり、小学生の頃から習い始めたダンスにも熱が入り始めた頃だった。
思春期真っ只中、こうなると一気に全てが変わってしまう。
ケガで思うように動けなくなったことで部活へは足が向かなくなり、そうなると学校へ行くのも嫌になる。
ダンスレッスンも、一度休んでしまうと行きづらくなり辞めてしまった。

そんなときに出会ったのが、大人から見て"不良"とされていた子たちだった。(今はみんな素敵な大人です、と補足しておきます)
そこでビジュアル系という音楽に出会い、人生を狂わ…彩るDIR EN GREYというバンドへ一気に傾倒していく。

今でこそ様々な沼を掘り返す勢いの私だけれど、当時はまだ中学生。
w-inds.とDIR EN GREY、どう考えても異色な二足のわらじを履きこなせるわけもなく、所謂根暗で陰キャだった私は、高校へ上がる頃にはビジュアル系の沼へとどっぷりハマっていた。

最後に買ったw-inds.の音源は、2007年7月の「LOVE IS THE GREATEST THING」だった。
失礼極まりないが、もう完全に惰性でCDを買っていた。
母はグラムやクラブミュージックっぽくていいと言っていたが、私の心は3人から離れていた。


2008年、再会は予想だにしていなかったタイミング、意外な場所で。

大学生になった私は、わかりやすく遊び呆けていた。
田舎くさくて何もなくて退屈な地元が好きになれず、週末はほとんど東京で過ごしていた。
どこへ行っても誰かいる、なんとなくでも一緒にいられる、そんなぬるま湯が心地よかった。

遊び仲間のひとりに連れられて行ったライブハウスで、あれ、なんか、見たことある人が、と思った。
友達に「あのギター、w-inds.の龍一って人らしいよ」と耳打ちされ、一気に目が覚めた。

Radio Foundation。

オールドロックやガレージロックをざらっと鳴らすバンドだった。
龍一が趣味だったギターをw-inds.でも披露しているのは知っていたけれど。
バンド。
なんだか、アンダーグラウンドが似合う渋くてかっこいい大人になっていた。

ガシガシ鳴るギター、一歩引いたリズム隊、ボーカル謙馬くんの憂いのある歌声、ビジュアルも後押しして、一瞬で虜になってしまった。
ライブは数回しか見たことがないけれど「Situation6」「Brain Washing」今でも口ずさめる。
馴染みの美容師さんが謙馬くんと面識があり、何度か挨拶をしたけれど、龍一と直接話すことはなかった。

それからしばらくして、謙馬くんが亡くなった。

私は、東京へ行かなくなった。


2016年、紆余曲折を経た私は、ディズニーにハマっていた。
正しくは、ディズニーでパフォーマンスをするダンサーさんにハマっていた。
ダンスというカルチャーに、文字通り舞い戻った。
ダンス系メディアを漁る中で、あのw-inds.が15周年を迎えたというインタビュー記事を目にして、久しぶりに3人の歌い踊る姿を見てみたくなった。

「Boom Word Up」
NJSをPOPSに落とし込んだようなサウンド、慶太の声質にぴったりのアプローチ、その新しさに心が震えるのを感じた。
歳を重ねたことで、ダンスはキレや技だけでなく、とくに"味"の部分が磨かれていた。

なんだこのセンスの良さは。
2016年の日本で、楽曲の照準を世界規模のミュージックシーンに合わせていないか?
やばい、この3人、着実に進化している。

MVのダンサーの中に見覚えのある顔があったのもきっかけになり、YouTubeで映像を見漁っては、かっこいい…とひとり呟いていた。

ちなみにここ数年のリリースの中では、断然「Dirty Talk」がおすすめです。
ボーカルの橘慶太作詞作曲プロデュースで、こちらもNJSをベースにハウスの要素を重ね、甘くウエットな質感に仕上がっています。
是非是非聞いてみてほしい。


昨年末、母と実家の整理をしているとき、w-inds.のCDが大量に出てきた。
売ることも捨てることも考えなかった昔の私を褒めたい。
CDプレイヤーでアルバム「ageha」を聞きながら作業を進めていると、母が「もう最近の曲はあんまりわからないけど、またツアーで地元に来ることがあったら行きたいな。連れて行ってくれる?」と言った。
母に連れて行ってもらっていたライブに、母を連れて行くようになったのか、と感慨深かった。
叶えられなくてごめんね。


20代後半〜30代前半のダンサーは、みんな口を揃えて"憧れの存在""影響を受けている"と言う。
今回、改めてすごい人たちなんだなと気づかされた。
こんなきっかけで気づくのも悲しいけれど。

w-inds.の3人だけはずっと続くものだと、無条件に信じていた。
大きな怪我や事故やスキャンダルや不祥事、この19年間ほとんどなかった。
完璧に、w-inds.だった。
それだけあの3人は、夢を見せ続けてくれた。

龍ちゃんは龍ちゃんらしくいてほしい。
好きなことを好きなだけしてほしい。
そしてまたいつか、いつでもいいから、誰よりも愛しそうな目で慶太と涼平くんを見つめて、くしゃくしゃと笑ってほしい。

今まで本当にありがとう。

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