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自然の摂理に反した人間の生活=沈黙のパレード

沈黙は嘘より居心地が悪い。

私は東野圭吾の作品「沈黙のパレード」を映画
鑑賞し終えた後思ってしまった。嘘には真実が
隠れているが沈黙には紐解く材料は何もない。

みなさんは沈黙と嘘どちらが嫌いですか?
どちらももちろん陰湿で絶対正義ではないもの
だけど私はどちらかというと沈黙が嫌いだ。

約束を墓場まで持ってけ、死人に口なしとよく
秘密を守る時に使われる言葉だけどどれも沈黙
を貫いているということだ。

沈黙を守れるタイプの人は優秀で周りからも
信頼される。少なからず人との関わりや仕事に
おいて沈黙は重要度を増すことになる。海外に
留学したことがある私は日本の文化は沈黙に
意味を持たせるコミュニケーションがあると
身をもって実感している。日本人は話さなくて
も理解を進めれるのだ。

私は子供の頃から人よりも違うことがやりたい
人で人よりも優位に立ちたい気持ちが強い。
だから上下関係や敬語を正しく使って自分を
下げて話すのはすごく苦手で会話はいつも同い
年か年下を選んできた。年上と話すとなると
途端にぎこちなくなり伝えたい気持ちの1割
しか伝わらないことがしばしばあった。大学生
社会人と過ごして少しずつ年上とのやりとりに
も対応できるようになった今、私は沈黙という
会話術も深く熟知しており、相変わらず人より
優位に立ちたいただそれだけのために沈黙を
使ってたりする。


(ここからネタバレあるかもです。)
「沈黙のパレード」を映画館へ足を運び一通り
見てから私は沈黙こそ犯罪級に酷い立ち振る舞
いなんだと思い知らされた。映画は地元の居酒屋の娘が将来有望の歌手として日々約束された
人生をみんなに後押しされながら進む中、突然
姿をくらまし殺害される事件が起こる。犯人の容疑がかかった一人の謎の男性は刑事の事情聴
取や裁判で全て沈黙を貫く。結果、犯人を特定
できず月日が流れてしまい時効になる。事件の
5年後、地元のパレード中に謎の男性が死んで
しまい、天才物理学者湯川学が地元の人たちの
中から犯人を探し出していくというお話だった。

沈黙を貫いた謎の男性が何も言わずに死を迎え
そのことで居酒屋の娘が誰に殺されたか真実が
見えなくなっていくのがこの映画の見どころ。

私は真実は必ずしも幸せとは限らないと思って
おり、映画を見てる中で刑事が途中で真実では
ない結論で割り切って結論を出そうとする様子
を見て傷つかないための行動も答えだなと感じた。

反対に湯川学がやはり真実まで辿り着こうと
とことん仮説を立てて実験して立証する。
人間的な思いやりの部分は欠けているが結果的
にバッドエンドだとしても真実に近づくことが
全員を救うことになるとわかっているようで
物理学者としての人間的な部分を感じた。
ただ湯川学でさえ、太刀打ちできない事象が
今回の作品ではテーマとして出てくる。

沈黙。今回の作品のタイトルにもなっている。

湯川学は少ない証拠から仮説を導き解き明かそ
うとするけれども最後まで辿り着くことが不可
能で終わっている。沈黙により肝心な部分が
見えなかったからだ。

私は湯川学が真実に辿り着けず仮説で終わる
瞬間を見て沈黙こそ最悪なのだと悟った。
この世界、自然は真実が当たり前であり、
全ては真実から始まり真実で終わることが
望ましいと思っている。湯川学を好きでいられるのは彼が自然の摂理に従った発言や行動を
しているからだ。もちろん、福山雅治だからも
含まれるのだけども。

今回沈黙は真実を打ち破った。人間の思いと
欲望に負けた湯川学を見てしまった私は沈黙に
は圧倒的な邪悪さがあると気付かされた。

私は人間だし、幸せになりたい願望があって、
苦しみたくない、辛い思いはしたくない。
でも、不幸せな真実に直面した時は沈黙を
破り全てを自然の摂理に委ねることにする。
その瞬間の圧倒的痛みはしばらく続くかも
しれないが最終的に救われるのは湯川学の
ような真実に近づく人間だと思う。

沈黙のパレードは自然の摂理に反した人間の
生活の様子を示す言葉だと捉えた。

久しぶりに映画の内容からここまで考えさせ
られた。楽しい映画だったと思う。

東野圭吾作品はやはり面白い。

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