命の範囲はどこからどこまでか

大切なものを増やすのが本当に苦手だ。
わたしはとても臆病だ。

自分で「恋人」や「友達」と定めたものに対してどう向き合えばいいのかわからない。

優先順位を決めることができず、そのしゅんかん、いちばんちかくにあるものしか大切にできないときが多くある。

遠くで悲しんでいる人に、本当の意味で寄り添えない。
顔が見えない人に思いを馳せることができない。

目の前で涙を流している見知らぬ人に、心を持っていかれてしまう。
それだから、大切なものなんてつくるべきじゃないとどこかで常に思っている。

「つくるべきじゃない」というのは不適切だ。「つくりたくない」のだ。
今はもう、大切なものなんてつくりたくない。

正直にこういう気持ちを誰かに話してみると、共感してくれる人もいる。
でも首をかしげる人もいる。

「”今は”って、じゃあいつになったらできるの?」

わたしはきっと変わる気がない。
このままずっと怖いと言って、いつまでたっても逃げつづけるのだろう。

当たり前のような少しの勇気が、どこかで詰まって苦しくて。きっと自分には不釣り合いな感情がぐるぐると巡っている。

わたしはわたしをわかった気でいるんだろう。
こういう人間だから、結果はきっとこうなるから、無理はしないでおこう。

自分に適切な自分でいるべきだ。
自分に、自分の人生に、期待するなんて浅はかだと思う。

「くだらないことで考えすぎだよ」と言う。
「やってみなきゃわからないよ」と言う。

やってみてダメでしたで済むこととそうじゃないことがあるけれど、その区別も人それぞれだ。

そこで重要なのは「命」だろうか。
ても、「命」の範囲はいったいどこからどこまでなのか。

譲れないことはある。
否定はできなくても、わたしは違うと言っておきたいことがある。

人をどうにかしようなんて思ったことはない。
ただ、自分くらいはどうにかして救ってあげたい。

おわりかこ。

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