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ペーパー・ムーンの詩学~遙かなる二十世紀詩

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現代詩とはなにか?をイマジズムに始まる20世紀詩のイメージ革命をたどることで私なりに考えてみました。 T.E.ヒュームから寺山修司まで。
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#モダニズム

ペーパー・ムーンの詩学~遙かなる二十世紀詩 (1)〈現代詩の誕生〉

現代詩はT.E.ヒュームから始まった 現代詩はT.E.ヒューム(1883-1917)から始まった、とよく言われます。 ヒュームは二十世紀最初の詩の前衛運動である「イマジズム」の理論面での中心でした。 彼は詩におけるイメージの大切さを熱を込めて主張しました ―― ヒュームとともにイマジズムをおしすすめたエズラ・パウンド(1885-1972)は「だらだらとながい作品を書くよりも、生涯にいちどひとつのイメージを表現する方がいい」とさえ言っています ―― が、二十世紀の詩の大きな

ペーパー・ムーンの詩学~遙かなる二十世紀詩 (2)〈瓶詰めのイメージ〉

「月の光を殺そう!」 西脇順三郎は『雑草と記憶』というエッセイのなかで と述べていますが、ヒュームもまたロマン主義者たちが神秘性の象徴として好んで取りあげ、思い入れたっぷりに歌いあげた題材である「月」の姿を一個の風船玉としか見ません。 未来派もまたロマン主義的な月のイメージに反発します。彼らは数百個の電気の光をかざして月の光を抹殺しようとします。 稲垣足穂(1900-1977)は十代のころ未来派芸術に出会い衝撃を受けます。やがて彼らの思想の底流にベルクソン哲学が流れ

ペーパー・ムーンの詩学~遙かなる二十世紀詩 (3)〈白い少女の墜落〉

ロマン主義の病い ワーズワスの「詩とは力強い情感がおのずから溢れ出たもの」というコトバが示すようにロマン派の詩人達は人間を無限の可能性を持った湧き出る泉のような存在として考えました。それに対してヒュームは人間というのはきわめて限定された存在で、例えれば一個のバケツのようなものにすぎないと言います。 ヒュームに言わせれば「ロマン主義」というのは、コトバの病を患っているようなものです。世界を「ひとつ」の固定した視点から遠近法的に「ことごとく包括」しようとすること――しかし、「そ

ペーパー・ムーンの詩学~遙かなる二十世紀詩 (4)〈荒地派の悲劇〉

鮎川信夫のモダニズム批判 鮎川信夫(1920-1986)は第二次世界大戦後の日本における---いわゆる「戦後詩」と呼ばれる---最も有名と言っていいであろう詩人グループ「荒地派」の代表的詩人でありスポークスマンでした。 彼もまたヒュームやエリオットから強い影響を受け、春山行夫等が編者であった詩誌『新領土』にも参加していますが、戦後は一転してモダニズムを批判する側に回りました。 鮎川は「現実の生に対する源泉的感情を失ったところに、優れた作品が生まれるわけがない」(「現代詩と

ペーパー・ムーンの詩学~遙かなる二十世紀詩 (5)〈怪優奇優侏儒巨人美少女、さあさあお立合い〉

寺山修司二十歳のおりのエッセイ(「カルネ---<俳句絶縁宣言>」)に「美学をぼくはVOUクラブで学び、…」という一節があります。「VOUクラブ」は北園克衛が結成し、詩誌「VOU」を発行していました。北園は高校生の寺山が送ってきた同人誌を読んで、その才能に興味を持ち、大学入学のため上京した寺山をVOUクラブに参加させています。 北園は「幾何学的な芸術、T.E.ヒュームのオピニヨンに共通した非人間主義的な傾向を鮮明にしていた」(「黄色い楕円:一人のVouポエットの記録」)と書き、