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No.173 2024年7月 大学院指導教授、濱田陽太郎氏古希の出版『私の履歴書~立教での日々~』(1995年)に出会って

 前回のエッセーNo.172で私が古希に出版した『ある私立小学校教師 実践・研究の足跡―聖心女子学院初等科39年とその前後―』について書きました。その中で私が立教大学大学院で教育学を学んだ時の指導教授、濱田陽太郎先生のことを述べさせて頂きました。
 その後、先生が執筆された本を調べていましたら、『私の履歴書~立教での日々~』(東洋館出版、1995年)に出会いました。
 「あとがき」によれば先生の古希に合わせて上梓(出版すること)されたとのことでした。先生ほど立派な本を私は出版することは全く叶うことはできませんでしたが、同じ古希での出版にとても嬉しくなりました。さらに、先生が出版された東洋館出版は、私が聖心での教師人生で最もお世話になった出版社でもありました。ここでの偶然にも驚いています。

先生のご経歴です(本書「著者紹介」と本文から)。
1925年 8月15日生まれ
1950年 東京文理科大学教育学科卒業
1951年 財団法人野間教育研究所勤務
1954年 信濃教育会教育研究所勤務
1960年 東京教育大学講師
1973年 立教大学教授
1980年~1986年 立教大学野球部長
1996年~1994年 立教大学総長
日本教育社会学会会長、日本私立大学連盟常務理事、文部省・大学設置・学校法人審議会常任委員、全日本大学野球連盟常務理事、私立大学退職金財団理事などを歴任

 本書に2枚の先生の写真が掲載されていました。

 本書の目次をご紹介致します。各章の冒頭に先生のお言葉が書かれていましたので掲載させて頂きました。
●自分が自分を語る
●大学のあり方〈筑波大学の発足に考える〉
「教育大学(東京教育大学 筆者加筆)を退職、浪人中、いろいろな大学とはを客観的に考えてみた。今から20年前に掲載したものだが、(1973年 筆者加筆)今もそうかわっていないと思う。こうしたことを大学を考える入口にしてほしい。」
 ○学校の発展とは
 ○企業論理と自治
 ○研究・教育の分離
 ○象牙の塔の功罪
●未来に生きる諸君へ
「立教に世話になって、生まれて初めてチャペルで学生諸君に語ったものである。いまでも若者にこう語りかけたいと思っている。チャペルニュースに掲載された。」
●ダグアウトの孤独
「昭和55年1月から総長につく昭和61年5月まで立教大学硬式野球部の部長をつとめた。東京六大学野球の部長は大学の代表であって、死亡以外代理を認めないし、休むときは対戦校にその旨をつげ了承してもらうという慣例だから可能な限りベンチにいなければならない。」
(1~18の話題が掲載されていました)
●私の社会化
「この中のA氏は私の事である。私の今日の人生観は、この大学を卒業するまでに形成されたようである。こうした考えが今日の生き方の処々にあらわれる。未完の自伝である。恩師たちの敬称は略している。」 
●クリスマス偶感
「聖公会系の立教大学にとっては、クリスマスは重要な行事である。チャペルニュースはクリスマスの特集をし、各責任者に寄稿を要請する。非信徒の私が、不釣合いだが寄稿したものである。」
●東京文理科大学の遺産〈私立大学経営者の立場から〉
「東京文理科大学といっても、この校名を知っている方々は、教育関係者か、かなり御高齢の方しかなくなったといっていい。廃学した多くの学校の中の一つであり、私の誇る母校である。」
●視点・論点
「私がNHKに出演したのは昭和22年のラジオからである。以来、学校放送番組を中心に農林番組、報道番組に出演し続けてきた。総長になる前から解説に出るようになり総長になってもつづけてきた。変ないいぐさだが立教大学のPRにもなったと思っている。」
(NHKニュース解説から15の話題が掲載されていました)
●入学式訓示
「1986年に総長に就任してから8年間8回入学式で新入生にかたりかけてきた。いうことがそうかわるわけではないが、新味を出そうと毎回努力したつもりである。新入生は毎回違うが学部長は毎回きいている。私の教育観である。
●卒業式訓示
「入学式と同じように8年間社会に巣立っていく学生たちにかたりつづけてきました。自分が歩んだ人生をかみしめながらうったえてきました。私のおもいをこめたつもりです。」
あとがき

 本書で濱田先生は次のように書かれていました。
「私は、教育学という学問を学習し続けている人間ですが、その中で、教育とは決して一つの答を学習する人に教えるものではないと考えています。いや、むしろその反対だと考えています。学習する人間が、迷い、あれかこれかの選択の多いことを学んでもらい、その中で、その人々個々が、その都度選択する力をもっていくことを助ける仕事であるというふうに考えています。」
 私はこの濱田先生の教育に関する考えを目指して聖心女子学院初等科で39年教育に携わってきました。しかし達成することができたかは自信がありません。
 先生のご著書を拝読させて頂き、濱田先生に指導して頂いた修士論文を読み返しています。当時修士論文は製本して大学に提出しますが、修士論文を大学に提出する前にコピーをとっておき、提出後そのコピーを大学近くの製本所にもっていき有料で製本をしてもらっていました。自室の戸棚に保存してあったのです。 
 濱田先生には本当にお世話になりました。


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