No.168 2019年4月1日~2020年3月31日聖心女子学院教師ラスト1年日記
私は子どもの頃から日記を書いたことがありませんでした。何回か書こうと思って始めるのですが、三日坊主どころか二日ももちません。教師になって書籍を出版することはよく行ってきたのですが、日記だけは一度も書いたことがありせん。教師最後の年になり意を決して清水の舞台から飛び降りる気持ちで366日(2019年度は閏年でした)毎日書き続けることを決意しました。とにかく教師最終年度ですので、あらゆるところに最後の○〇○という表現が見られました。A3版で99ページの量になりました。
人生で初めてトライすることはいくつになっても決して遅くないことを学びました。これからも人生初めてのトライ実行していきます。
1年間の日記の内、幾つかの日のものをご紹介致しますが、多くは省略しています。短い文章は簡略化して項目だけ提示しています。
2019年
4月
1日(木)春休み中、三浦半島旅行 三崎港くろば亭本店 11:40ごろ、スマホのニュースで新元号が「令和」に決まったことを知る。まぐろカルビ焼定食 まぐろ頭身さしみ盛 ミサキドーナツ三崎本店 レモンクリームチーズ 城ケ島 京急城ケ島温泉ホテル日帰り温泉 京急観潮荘(温泉)泊 翌日も三浦半島旅行
5日(金)最後の年度初めての職員会議
8日(月)最後の前期始業式 6年副担任 初等科の子どもたちも誰が担
任で、どのような友だちがいるか朝から話題である。6年生の子どもたちが私の副担任を楽しそうに話してくれ、校外学習の引率を期待しているようすを嬉しく思う。中等科の入学式もあり、何人かの生徒や保護者に会いお祝いを述べた。お昼は筑前煮であった。午後は授業の準備に取り掛かり、年間の計画をたて6年生の学習資料を印刷室に依頼した。夕方中目黒でお花見をした。寒くて桜は結構咲いていたが、葉桜になっていたものも多かった。久吉で食事。水炊きがおいしかった。〆は雑炊。帰りの雨がすごかった。
9日(火)最後の入学式
10日(水)最後の年度初めての授業 4時間目、6ゆりで最後の今年度初めての授業。歴史の1時間目。新元号の「令和」、新札の「渋沢栄一」
「津田梅子」「北里柴三郎」みんな歴史に関すること。臨機応変に入れる。そして、いつもの「先生にもみんなにも歴史がある」「ビッグヒストリー」「元号と西暦」「世界の三大宗教 仏教・キリスト教・イスラム教」のメニュー。お昼は、おかめうどん。
17日(水)最後の1年生学校探検
18日(木)最後の子どもの健康診断日
19日(金)最後の合同保護者会
20日(土)最後の初めての教え子卒業生への授業(エッセーNo.166参照)
23日(火)最後の学校でのレントゲン撮影
25日(木)最後の教師健康診断
26日(金)最後の遠足 教師生活最後の遠足は平成最後の教師勤務の日であった。生憎前日に雨の日バージョンと決まっており、今日晴れでも雨の日バージョンだったが、肌寒く雨がポツポツ降っていたので諦めもつく。平和の森記念公園のアスレチックから江戸東京博物館への変更。社会科担当教師としてはこちらもいいかなという感じ。6年生の子どもたちは結構楽しんでいたようである。
27日(土)~5月6日最初で最後のゴールデンウィーク10連休スタート(4月27日~5月6日まで)
28日(日)
29日(月)昭和の日
30日(火)国民の休日
5月
1日(水)新天皇即位
2日(木)国民の休日
3日(金)憲法記念日
4日(土)みどりの日
5日(日)こどもの日
6日(月)振替休日
17日(金)最後の運動会総練習
24日(金)最後の運動会準備
25日(土)最後の運動会
27日(月)最後の運動会代休
31日(金)最後の聖母戴冠式
6月
4日(火)6年歴史「奈良の大仏の不思議を探る」の最後の授業。
7日(金)最後の日本私立小学校連合会主催の1日研修。白百合女子学園小学校
10日(月)最後の夏のボーナス支給日
13日(木)最後の前期授業参観日 1時間目6きくの授業。「日本の文化はどのように始まったのか」。平安時代、女性は扇で顔を隠していたのはどうして?という質問。6時間目は5ゆりの授業。「世界の世界地図を見てみたら」。初めて見る地図に子どもたちもびっくり
19日(水)最後の受験希望保護者のための公開授業 2時間目は6年きく組で「歴史と科学」。高松塚古墳の飛鳥美人の10年かけたカビの修復。 これにはふのりが使われた。東大寺の廬舎那仏の螺髪の数をレーザー光線で調査。966と言われた螺髪が半分の483。欠けたものが9個と分かった。
21日(金)最後の聖心のお祝い日
29日(土)最後の保護者講演会と6月5年編入希望者説明会
7月
2日(火)最後の東京私立初等学校協会主催の7月半日研修。社会科部会 学習院初等科
10日(水)最後の5年生「オリジナル地図づくり」の授業。最後の6年生「人物事典」の授業。5年生3クラス最後の「オリジナル地図づくり」の授業。6年生1クラスも最後の「人物事典」作成の授業。今までの具体例を紹介。振り返ってみると、本当に豊かな作品である。初等科の子どもたちの可能性は本当にすごい。お昼は冷しゃぶうどん。
19日(金)最後の7月の会(夏休み開始前日)
23日(火)~26日(金)日光フィールドワーク(エッセーNo.158参照)
24日(水)2日目の日光中禅寺旅行。湯本温泉、戦場ヶ原の散策。今日も快晴。ベランダからの景色はとてもいい。6:00ごろ温泉に入りベランダでビール。朝は洋食。サラダ、目玉焼き、ハムとベーコン、パン、オレンジジュース、コーヒー。ゆっくりと1時間かけて食事。午前中は湯元温泉へ。小学校の修学旅行でおそらく泊まった所である。温泉寺、源泉を訪ねる。その後湯ノ湖へ。そして湯滝へ。滝を観ながら鮎の塩焼きと醤油を付けたお餅を食べた。午後は湯滝から戦場ヶ原へウォーキング。戦場ヶ原も小学校6年生以来。誰が戦ったのかという疑問をもつ。案内板に男体山と赤城山の神が大蛇(オロチ)と百足(ムカデ)を使った戦いとある。赤沼はムカデの血で赤くなったとある。そうすると男体山の神が勝ったのだろう。男体山は地元の山である。2時間山道と湿地帯を歩いた。赤沼と表示があったので目指したがどこにも見つからない。赤沼自然情報センターというところがあったので、そこで聞いたら70年ほど前に姿が消えたと言う。なんで今まで表示されているのだ。
29日(月)~30日(火)日本NIE研究会第20回清里フォーラム(清里清泉寮)。現役最後のフォーラム。
8月
1日(木)~2日(金)現役最後のNIE全国大会に参加(宇都宮)
5日(月)~9日(金)小豆島フィールドワーク
7日(水)今日は快晴。島めぐり観光バスに乗る。銚子渓お猿の国。ニホンザルの放し飼い、サルの芸を観た。調教師がおばあさんにびっくり。面白かった。寒霞渓は日本三大渓谷美と言われているが生憎霧が発生していて景色を観ることができず、ロープウェイも乗らなかった。小豆島霊場佛ヶ滝。寺と岩肌の一体化が有名。子宝、良縁の利益というがどちらも今は無縁なこと。小豆島佃煮処京宝亭。二十四の瞳映画村。一番行きたかった場所。高嶺秀子の映画「二十四の瞳」は1954年、昭和29年に公開。私が生まれた歳である。その後の映画のロケ用オープンセットに触れることができた。50分ぐらいしかいなかったので、明日また行こうと思った。小豆島オリーブ公園。若い人で一杯。こういう所が人気なんだ。
19日(月)~21日(水)最後の日本私立小学校連合会全国教員夏季研修会
21日(水)私立小学校連合会全国教員夏季研修会、最後の研究発表
私の役割はグループ討議「資料の活用の仕方 新聞した授業」への問題提起。私のNIEの原点の授業紹介。時間がないのでざっと話す。これで、私立小学校関係では、公開授業4回、研究発表5回となった。最後の役割を終えてホッとしている。少し寂しさも残る。
28日(水)最後の夏休み教員研修
29日(木)最後の夏休み職員会議
9月
2日(月)最後の9月の会。夏休み明け最初の登校日。
3日(火)~6日(金)最後の清里校外学習(6年生)
5日(木)夜のリクレーション後、6年生の子どもが私にとって最後の校外学習なのでみんなで写真を撮りたいと言ってくれた。それに応じて上からの写真を撮った。最後の話もした。しっかり聴くこと、虫を怖がらないこと、この2つを話した。
10日(火)最後の6年社会科歴史の「ザビエルの肖像画の不思議を探る」授業
10月
1日(火)後半年で定年。消費税が10%に。最後の都民の日。でも出勤。
6日(日)テレビの影響がとてもあった日。朝5:00ごろ起きたのでテレビを観ていた。NHKの演芸図鑑。林家正蔵と脚本家の中園美保の対談が面白かった。中園美保は19歳で両親とも他界。みなしごになったと表現。「ドクターX」などの脚本を書く。その中で大門未知子を演じる米倉涼子の「私失敗しないので」というセリフは、女子柔道のロンドンオリンピックの金メダリストの野獣と言われた松本薫がテレビで「私ミスしないので」という発言がヒントになったことを話していた。フジテレビの「ワイドなショー」も面白かった。武田鉄矢が41年主人公を務めた「赤いきつね」のCMが長寿としてギネス記録に登録されたらしい。そのエピソードに「戦車がこわくて赤いきつねが食えるか」というセリフがアドリブということ。このアドリブも博多で素行が悪い少年が「やくざがこわくてアンパンが食えるか」と言っていたことがヒントだそうだ。現実の社会は実に面白い。
19日(土)初等科入試面接1日目。絶対に休めない入試面接である。
26日(土)最後の入試面接。この日は高校の同窓会が午後からあり面接と重なった。二次会から参加。
31日(木)世界遺産首里城が延焼。最後の入学試験準備。
11月
1日(金)最後の初等科入試。38回目(1999年はサバティカルで仕事がなかった。)最後の入試。長かったな。
9日(土)2019年11月9日はベルリンの壁崩壊30年。最後の5年編集試験学校説明会。最後の体験授業。13:50から体験授業。「ゆるキャラ、五輪マスコットで地図の勉強」もこれで最後。27名が来てくれた。その後講堂で作文の出題傾向と勉強の仕方の説明。まず。30年前の11月9日はベルリンの壁が崩壊したことを話し、ここにベルリンの壁があることを言う。あとで触ってみたい方はどうぞと言うと6家族ぐらい来た。5年編入試験問題「活用力を踏まえた作文」解説をした。
16日(土)最後の現役での聖心OB・OG会に参加。17:00から九段下で聖心OB・OG会。私は現役であったがここ数年誘って頂いていた。
神父様やシスターも参加されている年もあった。実に楽しい。
22日(金)最後の研究授業。小林聖心女子学院小学校来校。いい夫婦の日。
妻にポインセチアを贈る。花束を輪島塗の花器に入れ5年生のロッカーの上に置く。お昼はマカロニグラタン。いよいよ最後の研究授業。33回外部の方への授業公開をしてきた。ちなみに校内での研究授業は13回目である。つまり合わせて46回目の授業公開になる。授業は「輪島塗 タブレットVS.実物」である。子どもたちの反応がとてもいい。そして可愛い。表情がいい。体験する子どもの姿はいいね。このような子どもを教え子に持つことは本当に嬉しい。そして、聖心の子どもとはこういうものと誇りに思うのである。最後の研究授業やってよかった。研究協議会はありきたりかな。質問者が毎回最初に「今日はありがとうございました」というのは可笑しいね。こんなことより授業の本質を掴んだ質問をして欲しかった。
25日(月)東京ドームでのローマ教皇フランシスコのごミサに行く。今日は東京ドームで教皇フランシスコのごミサがある。お昼は白い麻婆豆腐。12:55に5・6年生の信者が揃い東京ドームへ。久しぶりのドーム。チェックが厳しく入るのに時間がかかった。教職員証ですんなり入れた。1981年2月、聖心に就職する年に教皇ヨハネ・パウロ2世が来日。雪を運んできたことを覚えている。当時の後楽園球場でのミサは寒そうな映像で見ていた。38年ぶりの教皇フランシスコの来日。私が最後の聖心での勤務の年である。こんな偶然を持つことができた人はめったにいないだろう。東京ドーム一杯の教皇フランシスコのごミサは迫力があった。ミサ中は撮影が禁止のため、教皇が参加者の近くを回る行為が盛り上がっていた。ばっちり映像を撮った。「バチカンの旗」、参加が許可された「座席指定ハガキ」、「フランシスコの写真つきメッセージ」、「教皇ミサ」など記念に残る品々がプレゼントされた。私にとっては記憶に残る1日になった。こんなごミサは初めての体験である。本当に聖心の教師になってよかったとおもった瞬間であった。5・6年生の引率も面白かった。明日は最後の授業参観日である(エッセーNo.90参照)。
26日(火)最後の1日授業参観日。2時間目~6時間目までの5時間授業。最後にふさわしい授業か。午前中は5年生。輪島塗 タブレットVS.実物の授業。保護者の感想はとても褒めてもらった。嬉しいものである。お昼はサバのソテー玉葱のポン酢かけ。午後は6年生。教皇フランシスコ人物事典。週刊朝日の「こんなに変わった!歴史教科書の今と昔」を活用して歴史は変わっていくことを学ぶ。
12月
7日(土)中学校同窓忘年会、高校同窓忘年会(同じ時間帯のため二次会に参加)
9日(月)最後のゆりの行列
10日(火)最後の冬のボーナス
18日(水)最後のクリスマスウィッシング。午前中最後のクリスマスウィッシング。バラホールが改築のため久しぶりの講堂で開かれた(バラホール改築のため)。私が初めて聖心の初等科に入って見学したのが、クリスマスウィッシングであった。1980年の12月だ。講堂でのウィッシングは久しぶりなので当時のことが蘇ってきた。6年生に最後話ができてよかった。きちんと聴く姿勢は初等科の子どもらしくあるんだよ。最後まで省エネではなく全力で取り組んで欲しい。お昼はローストチキン淡口ガーリックソース。午後は教師の大掃除。資料室を整理した。持ち帰るものと残すものを整理した。
24日(火)自宅でクリスマス会。
25日(水)~27日(金)湯西川フィールドワーク
30日(月)今年最後のお店での飲み会である。家族で多摩川の焼鳥屋さん。
31日(火)教師最後の大晦日。年越しそばも食べる。紅白歌合戦を見る。今年最後はテレビ東京のシルベスターコンサート。12:00丁度に演奏が終わるコンサートを見て「あけましておめでとうございます」夜中の13:30ごろ寝る。
2020年
1月
1日(水)教師最後の元日。おせち料理とお雑煮、お酒で新年のスタート。大学生の娘には家族みんなからのお年玉。いいなあ。みんなで楽しく過ごす。夜もおせち料理とお酒。本当に正月はいいな。
2日(木)朝からおせち料理とお酒。箱根駅伝往路をテレビで見る。青山学院大学がやはり強い。大学の母校が強いことはいいことだ。昼ごろからおせち料理とすき焼きを食べる。すき焼きはまた美味しい。夜は「池上彰の2020年初解説今年は何が起きるの?」を見た。
3日(金)箱根駅伝をテレビで見る。朝、おせち料理とお酒。箱根駅伝復路9区に入るころ青学が勝つのが分かったので、妻と近くの公園に散歩。
8日(水)最後の新年ごミサの日。聖心女子学院教師として新年ごミサの日を迎えた。39回目である。いよいよ今年で最後だなと感じてきた。初等科教員みんなで食べる最後のお弁当。三友居というところのお弁当。初めてである。
11日(土)最後の5年編入試験。中学の同窓生と新年会。
13日(月)娘の成人式。
17日(金)最後のカフェラ・ボ・エムでの娘の誕生会。
2月
1日(土)最後の学習発表会。それも講堂で(バラホール改築のため)。いよいよ運動会、クリスマスウィッシング、学習発表会の3大行事の最後を迎えた。38年前の2月、私の初めての学習発表会は3年社会科の地域学習であった。その写真は今でも残っている。その日のようすは鮮明に覚えている。展示の年発表は講堂であった。多くの保護者が3年生の発表に驚いていた。この学習が私のそれからの教育の源流の1つであったことは間違いない。講堂で始まり講堂で終わる私の学習発表会。不思議な運命に思われる。
6日(木)最後の東京私立初等学校協会主催の研修会。お昼は魚の柚子味噌かけ。半日研修は東京野菜のフィールドワーク。成蹊小学校近くの練馬区の農家見学。東京でもこんな農家があるんだ。今日は風が強く話を聞いている時に本当に寒かった。日向にいても寒くて寒くて。成蹊小学校での話は大竹道茂さん(江戸東京・伝統野菜研究会代表)。面白かった。75歳というお歳には見えない。懇親会で私のすぐ前に座られ、定年後の話など伺った。元気なもとはいつまでも働き続けていることだろう。元気に飛び回っているということ。私の定年後にも大きな刺激を受けた。名刺を交換したので、今後繋がっていたい人である。
9日(日)久しぶりに孫二人が来て、家族が揃う。11:00過ぎに長男が二人の子どもを連れてきた。久しぶりなので二人の孫はずいぶん大きくなった。13:00からは「うしすけ」で焼き肉のお昼。みんなよく食べた。その後、家に帰り、ケーキで、姉の誕生日会をした。蝋燭は孫二人が吹いて消した。その後孫と遊ぶ。妻も押し入れに入って遊んだ。長男に車で送ってもらい娘と蒲田でスーツの買い物をする。
10日(月)妻の誕生日。お昼はドライカレー。待ち合わせてみなとみらいのインターコンチネンタルホテルのラウンジ&バーでコーヒーを飲む。夕方のみなとみらいを散歩し、この時、日本での新型コロナウイルスで話題になった「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜港に停泊していてかすかに見えた(この先世界があんな状況になるなんて想像もできなかった)。17:30に、ピア21でディナー。ビール、赤ワイン、メインは牛肉のシチュー。19:30過ぎにお店を出て、馬車道のホテルへ。明日は休日なのでここに宿泊。
13日(木)最後の初等科校舎日直。最後の卒業研究発表会1日目。最後の日直。日直という言葉も懐かしく響く。小学校に入学してから学校では当たり前に使っていた言葉である。この言葉を使うことも最後である。お昼はあんかけ焼きそば。事務室から退職後の手続きの話を聞いた。退職金の額、税金の額もほぼ想定していたものであった。3月31日(火)に支払われるということ。
21日(金)最後の6年生との会食。素敵な会食であった。作ってくれた案内状がとても素敵なので期待をしていたら、とても感じがよい楽しい会食であった。主食が洋風チャーハン。スープがトマトたっぷりミネストローネ。サイドメニューが野菜のほくほくキッシュ。デザートが酸味さっぱりフルーツあめ、イチゴ&みかん。6年生になるとこんな素晴らしいお料理ができるんだ。すごいね。
22日(土)教師最後の最初の教え子との食事会。恵比寿のイタリアンで。ある人は子どもが通っている中学の先生が新型コロナウイルスにかかったので、迷惑をかけないために欠席。そういえばニュースになっていた。これから新型コロナウィルスはどうなっていくのか楽しい懇談の中で心配していた。
23日(日)最初の天皇誕生日。新型コロナウイルスの影響で一般参賀は中止。東京マラソンの一般参加も中止。参賀も参加も中止か。
27日(木)最後の職員会議。最後の卒研デー。授業は6きく。5ばら。5ゆり。5ばらはEスクールが新型コロナウイルスの影響で中止になったので授業が復活。お昼は煮込みハンバーグ。最後の卒研デー。児童ひとりひとりが取り組んだ成果は大きい。ここまで出来たことを評価したい。放課後は最後の職員会議。今まで何回職員会議に出たのだろう。サバティカルの時は出ていないから10×38=380。380回ぐらいだろうか。平均2時間として2×380=760。760時間ぐらいか。おそらくもっとしている。この日の中心は新型コロナウイルス対策でこれからの行事の見直し。かなり細かくつめていた。ところが、家に帰りテレビを見ていると安倍首相が全国の小学校・中学校・高等学校・特別支援学校に3月2日から春休みまで休校の要請をした。これは東京オリンピック・パラリンピックをどうしても開催したい意向なのだろうか。先ほどまでの行事の見直しは全くチャラである。すべて休みになる。ということは明日1日で私の教師生活はほぼ終わりになるのである。
28日(金)実質、聖心女子学院初等科教師最後の日。朝登校すると子ども
も今日が最後の日になることを感じていた。昨日の連絡で今日は午前中で終わり。3時間目に職員会議で今後の方向が示されるということ。私は6年生と最後の授業。その前の2時間目は5年生に最後の授業。共通して私が6年生の卒業アルバムに書いた作文を読んだ。そして、私の子どもから今の写真。どのクラスも歓迎してくれた。最後にクラスごとに写真を写す。この日のために用意したのか、千羽鶴、寄せ書き、一言メッセージなどたくさんのプレゼントをもらった。聖心女子学院初等科教師としての39年間本当に愉しかった。思い残すことは何もない。
(「全国小中高の休校 要請」『朝日新聞』2020年2月28日朝刊、「休校ショック」『朝日新聞』2020年2月28日夕刊)
29日(土)最後の2月29日(今年は閏年)。朝のテレビ番組TBSの「まるっと!サタデー」テレビ朝日の「週刊ニュースリーダー」でも一斉休校の話題でいっぱい。世の中的になぜすべての学校が休校にしなくてならないのか。今日の18時から首相が会見する模様。新型コロナ対策が遅いことを隠すために無理なことをしたのであろう。会見を聞いていたが、なぜ休校にするのかその根拠、エビデンスが全くない。おそらく対応が遅いことへの批判を逃れようと焦っての処置であったのであろう。
3月
2日(月)学期中なのに初めて児童が来ない学校。いつものように早く勤務したが子どもは誰もいない。最後の成績付け。6クラスのコメントを書き、授業時間の記入、年間指導計画の記入など事務的な仕事を終了させる。お昼はきのこ入りニラたまあんかけうどん。あとは荷物整理。1月から少しずつ整理していがまだかなりの時間が必要だろう。
11日(水)教師最後の東日本大震災追悼の日。朝、学校の正門から本館までの写真を写す。2011年3月11日は私の教師時代最も衝撃的な出来事であった日である。14:46に初等科の建物が大きな揺れに襲われた。この時間6年生は講堂での卒業式の練習を終え、配布された卒業アルバムを教室で見ていた時のことである。私もこんな大きく長い揺れは初めてのことである。泣き出した子どももいた。残っていた子供を人工芝に集め初等科で保護する。親に連絡をとり引き取りに来てもらうが、親もなかなか学校に来られない。一晩学校で預かる子どもたちもたくさんいた。教師の多くは学校に泊まることになった。夕方少し時間があったのでテレビで東北地方の津波の様子を見て恐怖を覚えた。こんな災害が現実に起こっていることが信じられなかった。夜中に迎えに来た保護者もいた。眠そうに親に引き取られた子どももたくさんいた。翌日学校に泊まった子どもたちに厨房でおにぎりが作られ提供された。午前中にはすべての子どもが引き取られ、教師も午後には帰宅できることになった。帰りの電車は満員状態。やっと家にたどり着いた。午後のテレビ朝日の報道特番を寝ながら見ていると、司会の古舘一郎さんが「岸尾さんどうですか」と聞いていた。よく見ると兄がテレビに映っていた。気象庁地震課を定年退職し民間の気象会社に勤めていたので依頼があったのであろう。その後2~3日はテレビ朝日に出演していた。学校は打ち切りになり4月の始業式まで休みになった。今回の新型コロナウイルスによる休校はもっと長い休みになる。さらに4月以降も休校になることも予測される。どうなるのであろうか。
13日(金)最後の聖心女子学院送別会。新型コロナウイルスの影響で学校のメモリアルホールのアッセンブリーで聖心女子学院の送別会が行われた。それ以前の送別会ではホテルの宴会場で行われていた。送別される人の挨拶に聖心の歴史を感じ取ってきた。私はこんな挨拶を述べた。
「39年間、大変お世話になりました。私が初めて聖心の門をくぐりましたのが、1980年の11月でした。校長のシスター田中、初等科主事のシスター柳下から採用の面接をさせていただきました。初等科の児童がスモックを着て落ち葉掃きをしていた姿が記憶に残っています。すぐに採用のご連絡をいただき、1981年4月から初等科の教師になりました。その2月には教皇ヨハネ・パウロ2世が来日され、最後の年になる昨年の11月に教皇フランシスコが来日されました。その間、国内外では、日本航空の墜落事故。ベルリンの壁とソ連崩壊。阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。アメリカ同時多発テロ。東日本大震災。そして新型コロナウイルスと激動の時代でした。どれも授業で子どもたちと一緒に考えてきました。
39年間私は聖心から多くのことをいただきました。たくさんの シスター・神父様との出会い。たくさんの教職員の方との出会い。たくさんの素敵な子どもたちや保護者との出会い。たくさんの授業。私は授業が大好きでした。大変なことはありましたが、いやだと思ったことは一度もありません。
聖心は私の人生を大きく変えてくださいました。
この体験を定年退職で終わらせるのではなく、今後も研究と仕事を融合して社会とのつながりを持ち続けていく意向です。ある大学の教育研究所の研究員として研究しながら、長年研究を一緒にしてきた者と研究所をつくり、フリーランスで教育関係の仕事をしていく予定です。これからの人生がとても楽しみです。雇用される仕事には定年がありますが、フリーランスと人生には定年はありません。長い間ありがとうございました。」
18日(水)初等科最後の卒業式。最後の初等科送別会。
何とか初等科卒業式はできた。改築されたバラホールでの開催。朝いつもの時間に学校に行き、人工芝で卒業生3人に「キッシー」と呼ばれ駆け寄ってきてくれた。記念に私のスマホで4人の自撮り。卒業式簡素化されたが、それなりにいい式であった。クラスごとに解散後多くの子どもたちと写真撮影。お昼は珍珠団子。その後初等科の送別会はお祈り会の後お聖堂で行われた。私の挨拶の前に後輩教師が私への思い出を話した。私はずるいと言う。初年度研修、5年次研修、15年次研修を受けず(私が該当する年次には研修がなかった)、50台研修の時は49歳であった。文科省の免許更新研修も私の歳までは免除。おそらくずるいと映るのであろう。私が話したのは以下のようなことである。
「今までの人生については、2回の研修時に聖心の教師としてどう生きてきたかでお伝えしたので、これからの私の生き方についてお話しさせてください。先日の学院全体での送別会でざっくりお話ししたように、今後10年間は研究と仕事を融合して、それに遊びを加え、学び続ける、働き続ける、遊び続けるをモットーに生活していきます。これは、今までの人生の延長です。定年後から始めることではありません。定年後を第二の人生と捉えることに私は否定的です。」
19日(木)初等科最後の勤務日。初等科最後の給料日。最後の食堂での食事。二色フライであった。
20日(金)教師最後の祝日(春分の日)。
23日(月)~25日(水)伊豆半島フィールドワーク 伊豆長岡温泉泊(エッセーNo.140参照)
30日(月)教師最後の聖心訪問。私、妻、娘で訪ねる。
31日(火)いよいよ教師最後の日。退職金が入金される。自宅で焼肉パーティー。焼肉が美味しかった。
私の人生にとって39年間の初等科教師は最も恵まれていた「主人公」でした。
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