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No.167 1924年~2024年 川崎市制100年で考えること

 2024年7月1日に川崎市は市制100年を迎えます。1954年7月に生まれた私は川崎市市制30年に誕生したことになります。生まれ育った川崎ですので愛着がとてもあります。この原稿を自宅のある大田区でノートパソコンを使って書いている時に、ふと目を窓に向けると川崎市の風景が目に留まります。毎月のように会っている中学時代の友だちとの会合は川崎市が圧倒的に多いです。
 この川崎市も70年で大きく変化したことは当然です。私が朝ウォーキングしている大田区多摩川の土手から見える「新川崎」「武蔵小杉」の高層建築は私が子どもの頃には全く想像することができませんでした。

大田区から見える新川崎の高層建築


大田区から見える武蔵小杉の高層建築

 2024年4月に、川崎駅周辺、新川崎駅周辺、武蔵小杉駅周辺、等々力緑地を訪ね、私が子どもの頃とどのような変化があったのかじっくり見てみました。
 
 川崎駅周辺です。

 川崎駅もずいぶん立派になりました。川崎駅は1872年7月10日、神奈川駅と共に日本で3番目の鉄道駅として開業したようです。152年の歴史があります。

 2018年3月には北口が開設され、現在構内にはスィーツのお店も開店しています。

 川崎駅前を通過していた京浜急行も1966年に高架化され踏切もなくなりました。現在の様子です。

 川崎駅近くの川崎市役所も2023年6月に竣工しました。

  手前の建物と時計塔は以前の市役所を残したものではないでしょうか。
 市役所内はとても豪華です。

 新川崎駅の開業は1980年10月1日です。現在、湘南新宿ラインや横須賀線が停車しています。

 周辺には高層建築が建てられています。

 武蔵小杉駅です。駅の階段にも「市制100周年」の文字が書かれていました。

 私が子どもの頃や学生時代、教師になってかなりの期間武蔵小杉周辺は小さな工場がある普通の街でした。教師になって1年目の年学校の帰りに、偶然中学校の陸上部の顧問であった野間正先生と武蔵小杉で出会い、近くの居酒屋でお酒をご馳走させて頂いたことがある街でした。先生はとても喜んで下さいました。そんな武蔵小杉の街があれほど大きな転換をすることなど想像を超えることでした。

 現在、武蔵小杉駅には南武線、横須賀線、湘南新宿ライン、相鉄直通線、東急東横線、東急目黒線が停車しています。通勤・通学にとても便利になりました。

 私が中学時代、川崎市陸上競技大会の開催場所は武蔵小杉駅から徒歩20分少しの等々力陸上競技場でした。2000mの競技では2年生と3年生で優勝し、3年生の時は大会新記録でした。とても記憶に残っている競技場です。

平間中学校卒業アルバムから 800m競技で前から2人目が私

 この等々力陸上競技場は現在、「とどろきスタジアム」と命名され、サッカーJリーグ川崎フロンターレのホームスタジアムになっています。

 私が経験している範囲で川崎市の歴史を考えてみます。
 川崎には公害のイメージがありました。四大公害病に「四日市喘息」がありますが、川崎でも京浜工場地帯がある南部の方では喘息が大きな問題になっていました。私が小学生から中学生時代の頃、よくニュースになっていました。また、多摩川の水もかなり汚染されていることを見ていました。
川崎公害
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%85%AC%E5%AE%B3

 川崎市にとってはその名称は誤解を生むことになっていますが、「川崎病」という病気があります。この病気は突然の高熱が数日続き、目や唇の充血や身体の発疹、手足が赤くなること、リンパ腫の膨脹などの様々な症状を起こす病気です。
病名は日本の小児科医の川崎富作氏によって1960年代に発見されています。
1960年代という日本の公害が注目されるようになった時期と発見が一緒ということも重なりますが、一般に「川崎病」が認知されるようになったのは1978年とされています。

川崎病
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E7%97%85

現在でも「川崎病」が話題になると公害の一種ではないかという誤解が生じているかと思われます。
現在の川崎はとても環境が良くなり、文化・スポーツの施設が充実し福祉・生活もとても充実した都市に発展しているようです。市制100年を迎えこれからますます暮らしやすい都市に発展していくことを楽しみにしています。川崎で生まれ育った私も応援しています。

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