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No.23 1985年~1994年 N研という研修

 私が初等科に勤務した時、男性の専任教師は4人しかいませんでした。その3年後から数年間12クラスある担任の男性教師は私一人でした。周りに男性の教師がいないことは本当に寂しいことでした。ですから、中高の先生方や事務・校務の男の方たちと飲み会でご一緒させていただき、コミュニケーションがとれることが本当に嬉しいことでした。そんな時、当時中等科・高等科の教頭の野坂健三先生を囲んでの研修会「N研」が宿泊して開かれていることを教えていただきました。
野坂先生は戦中から聖心のために貢献して下さった方で、戦後も中高の教頭としてシスター方をサポートし教員をまとめるお仕事をされていました。当時の皇太子妃殿下美智子様(後の皇后陛下、上皇后陛下)との関りもあり、多くの写真をお持ちになられていました。
 毎年12月冬休みに入る頃、22日ぐらいから1泊での「N研」が開催されていました。男性教職員の希望者で、毎回15名前後の方が参加されていました。場所は主に箱根の湯本ホテルが会場になっていましたが、私が参加した10年間で、3回は他の場所で開催されていました。マイクロバスをチャーターし姉妹校の不二聖心女子学院でシスター方の墓参をして熱海の宿舎、箱根湯本の河鹿荘、大平台の私学共済の対岳荘で開催したこともありました。
 熱海以外は小田急新宿駅集合、ロマンスカーで箱根湯本へ行き、日本そばの「はつはな」に寄り宿舎へ。宿舎では2時間ぐらい野坂先生の講義と質問タイム。温泉に入り宴会へ。その後も野坂先生を囲んで聖心についていろいろなことを学びました。翌朝も温泉に入ってから多くの先生方とコミュニケーションをとらせていただきました。チェックアウト後は自由時間でその後「はつはな」に寄り、ロマンスカーで新宿へ。新宿で解散という日程でした。
 1992年12月には小学校の社会科教科書執筆のために中国北京の2つの小学校や天安門、北京市内の商店やデパート、地下鉄、万里の長城などのフィールドワークに行きました(後の回でご紹介致します)。最後の日に「N研」が開催されるので、北京から直行で箱根湯本に行く予定でした。ところが、北京からの便がトラブルで6時間遅れてしまいました。私が箱根湯本ホテルに着いたのは夜の10時でした。参加者全員が寝ないで迎えてくれました。それから遅くまでコミュニケーションが続きました。私も若かったなと思います。
 私にとっては聖心の研修で最も楽しく充実していたのが「N研」でした。いつまでもかけがえのない思い出として心に残っています。


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