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南米通信1 ここでないどこかへ - Somewhere but here (フライの雑誌No.42 1998年初夏号掲載)

■一九九七年一一月五日
 日本をたって三日、今、チリの首都であるサンチャゴの街のカフェ屋にいます。
 日本から一緒に来た友人とは別行動にしました。ものを書くのはどうしても一人の時でないとできません。別に他人がいてもいいのですが、無視し続けることになります。そこで、書き物があるから、と言ってしばらく別行動にしました。それに旅に出た時には一人の時間が必要ということもあります。
 サンチャゴはいい街です。お姉ちゃんがきれいで、とくに女子高生はたまりません。もっとスペイン語が話せたらパタゴニアには行かず、ずっとサンチャゴにいるところです。今のところ「28ミリ広角レンズで30センチまで寄ってお姉ちゃんを撮影する」というテーマは実行できてません。
 で、ここで長居することは身体に悪いので、明日パタゴニアに向かおうと思っています。馬鹿みたいな解放感があるわけでもなく、目の前の課題をこなしている感じです。はやく水辺に立ちたいものです。明日、ひと通りの買い物を済まし、車屋へ行ってキープしておいたトラックをピックアップし、一路南へ向かいます。そろそろ宿に戻って横になります。寝不足です。それにちょっと風邪がぶり返してきたようです。
 チャンスがあればこのEメールで南米での釣り旅の様子を報告します。

■一九九七年一一月九日
 サンチャゴから1000キロ南に下ったプエルト・モンという街にいます。昨日着きました。予定ではもうコジャイケという街にいるはずだったのですが、車を入手するのに手こずってサンチャゴで五日も費やしてしまいました。
 ここからコジャイケに行くには、フェリーを使わなければならないのですが、港に行ってフェリーの出発時刻を調べると、いちばん早い便で次の火曜日の夜、つまり二日後の一一日ということでした。つまりこの街で丸二日の足止めです。
 この街には八年半前に来たことがあるのですが、サンチャゴ同様、綺麗なショッピング・センターができていて、その変わりように驚いています。物価が高くなったということです。アジアの勢いがそろそろ失速してきているのに比べ、チリを含めた南米の経済の調子はまだ上り坂らしいのです。
 ガソリンは一リットル七〇円ぐらい。煙草は一箱二二〇円。飯代は一回最低六〇〇円ぐらいは覚悟しなければなりません。今泊まっている宿は朝飯付きで千円です。これはぼくにとっては高いです。物価のもっとも良心的なレベルというのは、その国の国民の平均的収入に対してどうかということだと思います。その基準で見ても高いのではないかと思います。街は高くつくので早くテント生活に入りたいです。


たしかPuerto Tranquilo で会った Bonita ちゃん

■一九九七年一一月一五日
 リアル。リアリティ。ぼくの好きな言葉です。ぼくはいつも表面的な美しさとか醜さの下に隠れた、リアルなものを見てみたいと思っています。みんながきれいと言っているものは本当にきれいなのか、きたないと言っているものは本当にきたないことなのか。
 ぼくは、勤めていた会社の中では、自分の意思をあんまり表に出していなかったと思います。特に退職する直前の頃は。そこでの仕事は本来的に自分の好きなことではなかった。かろうじて残っていた「職業倫理」だけで働いていただけだと思います。「仕事なんだから」ってやつね。でも、そんな風にして働くと仕事はもっときつくなるんですね。そして一仕事終えた後の気分というのは、達成感、充実感、というよりも解放感です。もちろん世の中こんな不真面目な会社員ばかりではないでしょうが。
 でも、今まではぼくには逃げ道があったんです。「好きでやっているわけじゃないんだし」って。ところがこれから先は違う。これは少し厄介です。
 さて、旅の話です。今日は一一月一五日。コジャイケに着いて三日目です。さっそく近くにある湖で釣りましたが、二回続けてボウズ。同行の友人はルアーで何匹か釣っています。思わず「ルアー貸して」という言葉をグッと飲み込みました。この旅の最初の一匹ぐらい自分の好きな釣り方で釣りたいですから。
 釣れない理由は天気のせいと、自分のキャスティングの未熟さです。こちらの名物の強風の中ではなおさらです。ラインがループの形のままだらしなく着水するのを見るのは心が痛みます。湖はきれいです。魚もすばらしい。
 明日、これから南へ280キロ程走ったリオ・バケルという川に行きます。一〇日間ぐらいは帰ってこないと思います。
 あと女子高生情報ですが、やっぱ女子高生はサンチャゴです。その数と質、両方において。


■一九九七年一一月一六日
 ついに到着、リオ・バケル。ここでやっと「ブルブル」を体験しました。きっと神様が、ぼくの南米での最初の一匹はこの川で釣るように仕組んでいたのでしょう。氷河が溶ける前のきれいな水が流れているので、ドライで楽しめます。
 その日の夕方がすごかった。
 リオ・バケルはラゴ・ベルトランという湖から流れ出ていて、その流れ出しの湖畔に人口百人程度の村があります。村の中心は小さな船着場。そこにどーんとテントを張っています。到着したその日の夕方、夕飯の準備をしていると目の前でライズが始まりました。昼間にさんざん楽しんでいたので、あせらず飯を作り続けて食べ終えると、ライズの数はさらに多くなっていました。テントの回りもカディスが飛んでいました。
 さて少し遊ぼうか、と思ってロッドを持って湖にウエーディングして驚きました。凄まじい量のカディスの乱舞です。あんな量のカディスを経験したのは初めてです。体じゅうにまとわりつく感じでした。
 それが意味するのは、つまり釣りが難しいということです。きっとアダルトではなくてイマージャーを食べているんでしょう。サイズにして14番ぐらいのクリーム色のヤツでした。その日は手持ちのフライを一通り試す前に、さっと潮が引くようにカディスのハッチが終わってしまいました。もっと早く気がつくべきでした。ただしこの場所がベストの場所ではないような気がしました。きっともっと釣りやすくて、ライズも多い場所があるはずです。

コジャイケ全景   当時コジャイケには信号がなかった

一九九七年一一月三〇日
 コジャイケまで戻ってきました。
 さてリオ・バケルでの話の続きです。
 到着したその日に遭遇した湖のカディスのハッチは特別だったようで、二度とあんなすごいハッチには遭遇することはありませんでした。ライズは一期一会ってことでしょうか。
 ただし夕方は少々雨が降ろうが、冷え込もうが、風があろうが、リオ・バケルでは必ずカディスのハッチとライズがあり、40センチくらいまでの魚ならエルクヘア・カディスでそこそこ釣れました。
 そのイブニング・ライズに通うようになってから、もう何日も経ったある日のことでした。その日はハッチの量がいつもより多い日でした。しかし、お気に入りの場所ではなぜかライズは少なめでした。そこで少し上流に入ってみました。ライズは夜九時を過ぎる(暗くなるのは夜一〇時過ぎ)とグッと多くなります。そこはライズしている魚がいつもの場所の魚より大きいようです。さっそくエルクヘア・カディスを流しましたが、徹底的に無視されました。
 ひったくるような激しいライズ。頭ではわかっていたんです。きっとイマージャーを捕食しているのだ、と。でも、ぼくはカディスのハッチに伴う激しいライズの時に、イマージャー・パターンで釣ったことがなかったから、全然実感がなかったのです。
 ヘッドにCDCを乗っけたイマージャー・パターンを結びました。それを上流から流し込むと一発でした。50センチはあるニジマスが体を半分見せながらフライに襲いかかって一気に流れに乗り、二秒後にはすべて終わっていました。ラインがリールのハンドルに絡んでいて…。切られた3Xのティペットの端を見ながら、悔しさがこみ上げきました。
 次に結んだイマージャー・パターンは、カディス・グリーンとナチュラルカラーのヘアーズ・イヤーで色を合わせただけのかなりお粗末なものでした。
 目の前5メートル程の激しいライズの後の流し込むと、これまた一発でした。フライはおそらく水面直下を漂うような感じだったろうと思います。こんどは慎重にやりとりをし、釣り上げたのは45センチ程度でしたが、2キロはありそうな丸々と太ったレインボーでした。これがイマージャーの釣りか、とひとりで川辺でニヤニヤし充実感が沸き上がってきました。
 夜九時からのリオ・バケル。それだけのためにここに一週間いてもいいとさえ思います。

■一九九七年一二月九日
 コジャイケに戻って、それからまたリオ・バケルに来ました。コジャイケ周辺の釣りだけでもまあイケルのですが、ここの魚の美しさはやはり格別です。それにあのイブニングのカディスの釣りをもう少しやってみたくなって、コジャイケの安宿で一緒だったイギリス人の釣り人ニールと一緒に来ました。(同行の日本の友人は三日前にコジャイケを発ち帰国しました)。
 今日は再び興奮気味です。イブニングでやっと50センチを超えるギンギンの鱒を釣りあげたのです。これぞリオ・バケルの虹鱒って奴です。フライはイマージャーです。スパークル・ピューパなのですが、沈んでいると反応がないので、ドライシェイクで浮かしてライズに向かってナチュラル・ドリフト。ティペットは3Xですが、へたくそキャストで出来たウインド・ノットを気にしつつ、プールの端まで引っ張られてやっと釣り上げました。
 ラインが水中に突き刺さりながら、マーキスの軽快な逆転音が響き、20メートル先ででっかい虹鱒が垂直にドッカン、ドッカン! 痺れる光景です。ギンギラギンのデブ鱒を前におなかが鳴りましたが、おろす手間を考えて、リリースしてやりました。楽しい。やっぱ釣りは楽しい。大満足です。
 一方、ニールはまだ一匹も釣れず残念です。
 彼はエンジニアで、今までサウジアラビア、フィリピン、エクアドル、国名は忘れましたがアフリカのどこかの国など、世界中で働いてきた人です。非常に紳士できっと彼のような人を「英国紳士」と呼ぶのでしょう。ぼくの英語にも付き合ってくれます。
 実はこのリオ・バケルには一人で来ようと思っていたのです。日本を出てからずうっと友人と一緒だったし、一人になりたかった。そう思っていたのですが、コジャイケでも一緒に釣りをしていたニール(車を持っていない)を残して、南に一人で向かうのも気が引けて誘ったのです。年は五二才。年も離れているし、英語を話す人とずうっと一緒にいると疲れるのが常ですが、不思議と疲れません。彼となら一人の時間も楽しめるとでも言うのでしょうか。まあ彼は「うるさくて自分ばっか釣ってイヤな日本人だな」とでも思っているのかも知れませんが。
 明日こそは何とか彼に幸運が来ることを祈ってます。心から嬉しそうな顔をするような人ではありませんが、明日は「ニヤッ」とぐらいはしてもらいたいと思ってます。

■一九九七年一二月二四日
 全く「いいことばかりはありゃしない」です。とっても大切なものをなくしてしまったのです。先日帰国した友人が、間違って持ちかえったものだとばかり思っていたのですが、今日国際電話をして、そうではないということがわかりました。
 心の別の部分にまた穴を開けてしまいました。ぼくの失ったもの、それはマテリアルも含めたタイイング道具一式です。バイスもボビンもスレッドもフックもスタッカーもシザースもハックルもダビング材もともかく全て。この長い旅のためにぼくはほとんど自分の持っている全てを持ってきていたのです。
 ぼくの好きな埼玉のあるプロショップにしかホフマンがなかった頃に買った、ファースト・グレードのハックルは何処にいってしまったのでしょう。その他ハックルだけでも五枚はあったと思います。ダビング材。モンタナに行った時に買ったジーオン。もうCDCもありません。一式で千ドルは下らないでしょう。ここコジャイケでも特殊なもの除き、ほぼ揃います。しかし高い! TMCのフックは日本の倍します。
 もはやハサミをもがれたザリガニです。後ずさりしながら逃げて行くしかありません。いっそのことタイイング道具とマテリアル一式を買いに一度アメリカまで行ってもいいような気分です。
 悲しい。もちろんお金の問題だけではありません。一〇年使い続けた道具の数々。
 ぼくは人一倍物欲が強いのかも知れません。それにしても、ライズで悔しい思いをした日の夜にフライを巻けないなんて。
 いったいどこに置いてきてしまったのか、まったく見当がつきません。ひょっとして盗まれたのかもしないと思っています。しかしその価値が分かるのは釣り人、それもフライフィッシャーだけですものねえ。
 リオ・バケルからまたコジャイケに帰ってきて、この前と同じ宿で四泊目です。停滞。なんかもう飽きてきてしまいました。

コジャイケ

一九九七年一二月二五日
 メリークリスマス。日本では盆も正月も関係なく季節感がない生活をしていましたが、ここでは季節を感じています。
 スゲーと言うかエグイ釣りを体験しました。海で虹鱒がドッカン、ドッカンとだけ言っておきましょう。スティールヘッドじゃありません。おまけに夕方には海のくせにライズするというのです。夕方のライズはその日は体験できませんでしたが、もう一度行くつもりですので、その時は絶対釣ってやろうと思います。しかし海で4、5キロの鱒がライズするなんて信じられないでしょう? しかし一日釣った感触ではきっとありうると確信しています。
 前回の通信で書いた後も、悪いことが続きました。立て続けにパンクしてタイヤを一本ダメにしたり、車をぶつけて修理したり、予想外の出費に心と懐を傷めております。そして致命的だったのは銀行のカードをなくしたことでした。気づいたのが土曜日の午後で銀行はすでに閉まっており、月曜まで待って銀行に行くと、なんと、ありました。お金を下ろした後、カードを抜かずにそのまま置いていってしまったのでした。気分が落ち込んでいて、ボーッとしていたのがいけなかったのでしょう。
 その時は本当に助かった、と思いました。ドルのキャッシュ、トラベラーズ・チェックは持っていますが、こっちの生活費はほとんどそのカードで賄っているのです。
 そしてその日から、どうやら運が上向いてきたようです。今泊まっている宿で、宿主の娘ベロニカとも仲良しになれましたし。無茶苦茶美人です。このコジャイケで静かに暮らすのもまた人生と思ってみたり。
 今日はクリスマスイブ。宿主の一家と「アサード」という巨大なバーベキューをして楽しく過ごしました。もちろんベロちゃん(ベロニカの愛称)も一緒です。ニールも一緒です。


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