見出し画像

ボクの話。|人生のすべてを0歳から振り返ってみた。

※2024/03/02 更新
(10,000字超えてる大作noteになってしまった笑)

いつもnoteを読んでもらってありがとうございます!めっちゃ嬉しいです....

そして可愛くもないディズニーのサムネイル写真ですみません。
(可愛さも全面的に出していきたい年ごろなのでご理解いただけると嬉しいです。)

このnoteで発信してるのは僕の想いや考えなどがメインです。

結局お前はどんな人間で何をしてきたんや?

そんな、実際にしてきたことは、あんまり書けてなかったなぁ。と思ったので、想いとかそーゆーのは一旦とっぱらって、事実ベースでしてきたことをズラーっと書いていきます。

ボクのことを知ってもらいたい!!

という超絶エゴイストな記事になっております。
そーゆーのが苦手な方はそっとこの記事を閉じて、TikTokを見てもらえればと思います...
(決して悪口、陰口、アンチコメントはやめてもらえると嬉しいです...傷つきやすいナイーブな性格です🤕)

それではいきます🙋‍♂️

****************

#兵庫県伊丹市で生まれる
(0歳)

1996.12.24(クリスマスイブ)に兵庫県伊丹市というところで、6個上の兄、2つ下の弟がいる、男3人の次男として生まれました。

嘘偽りのない真っ直ぐな子どもに育ってほしい。
という思いを込めて「真(まこと)」名前をつけてもらいました。

#サッカー小僧
(7歳-13歳)

これは多分6歳ぐらい(笑)
顔ぱんぱんやん
「走れるデブ」でちょっとだけ有名やったのが
人生における、最大の誇りです。

7歳(小学校1年生)からずっとサッカーやってて、サッカーしか脳がないサッカー小僧でした⚽️

#心臓に病が見つかる
(13歳)

いきなり13歳に飛びますが、これが人生最大の挫折で、今のボクをつくっている一番大きい出来事です。

中学校1年生の時の健康診断で人と比べて心臓が大きい「心筋肥大」と診断されました。

それに加えて「不整脈」もある為、命を落としてしまう可能性もある、という事で「サッカーをしてはいけない」と医者に言われました。

サッカーしかしてこなかったボクにとっては圧倒的に辛い出来事です。

伊丹市民病院で先生に宣告されたんですけど、あの診察室の図は今でもめちゃくちゃ鮮明に覚えてます...

「まことくんは心臓が人よりも大きい。それに加えて、不整脈という脈が不規則な動きもしてる。
これ以上心臓に負荷をかけると、心臓が止まる可能性もあるんだ。」
「だから、大好きなサッカーを当分の間はお休みしてほしい。身体が大きくなれば心臓も追いついてくるから、そこまではお休みしてほしい。」

こう先生に言われました。
それを言われた瞬間に涙が止まらなくて。

診察が終わるのを待たずして病院を飛び出し、駐車場の隅っこでひたすら泣いてたのが凄く懐かしいです。

母と一緒に通院してたんですが、母が泣いてる僕のところにきて、凄く心配そうな顔をしていたのも鮮明に覚えています。

どうしてもサッカーができひんのは辛くてなんとか他の方法はないのか?という事を後日先生に交渉しにいきました。

そこでなんとか先生にも考えてもらい、↓の条件ならokをもらいました。

1.猛ダッシュ禁止
2.フルタイム出場禁止
3.毎日薬を飲むこと
4.心臓に少しでも違和感があれば絶対に休みこと
5.心電図やエコーなど定期検診で必ず経過確認をすること

この条件でサッカーやってたんか?と思われるかもですが、きちんと条件下でやってました。

なので、13歳以降のサッカー人生でフルタイム出場したのは高校最後の選手権大会だけです。
(負けたら引退のかかった最後の大会だけは倒れてもいいから。ということでフルタイムで出場しました)

他の選手よりハンデのあるボクは、普通にやってても勝てないので

「自分にしかできないプレーはなんだろう?」
「自分だからこそできるプレーはなんだろう?」


とめちゃくちゃ考えてプレーするように。

そしてサッカー人生で向き合い続けた病気というハンデから

他人と比較せず
自分だからできることをやれば
どんなハンデも必ず巻き返せる。
そして、それはハンデではなく強みになる。

という価値観が作り出されました。

そして、それが今の社名の由来にもなっています。

株式会社PERVA。PERVA。パーバ。

Personal Value の造語です。
「個人それぞれの価値」つまり「自分だからできる価値」です。

Personal Valueさえ出せれば、どんなハンデも必ず巻き返せる。それが強みになる。
そしてそのPERVA(自分だからできること)を考え続け、やり続けられる人で集まる会社にしたい。

そういう想いでこの「PERVA」を会社名にしました。

#関西大学入学
(18歳)

めちゃくちゃ勉強して、なんとか関西大学に入学。人間健康学部というスポーツ系の学部に通ってました。

本当は大阪教育大学のスポーツ科学専攻が第1希望で、同志社大学のスポーツ健康科学専攻が第2希望やったけど、どっちも落ちたのはこのnoteだけの秘密にしててください。笑

余談ですが、弊社の専務取締役である渡邉はこの関西大学で出会った親友なんですが、彼もぼくと全く同じで大阪教育大学のスポーツ科学、同志社大学のスポーツ健康科学に落ちて、関西大学 人間健康学部に入ってます。笑

なにかの運命かもしれないですね笑

#多業種のアルバイトを経験
(18歳-22歳)

大学時代。本当に色んなバイトを経験しました笑

その中でも、知的障害のある方の生活支援をする福祉施設(グループホーム)で4年間働いてたのが、いちばん長く続いたアルバイトで、かつ学びの多かったアルバイトです。

その施設では、食事の介助/排泄の介助/入浴の介助など、全生活の介助をしてました。

言葉が通じる方もおったり、そうでない方もおったり、普段のアルバイトでは経験できひんような事がいっぱい経験できたので、自分にとってはすごい良い経験させてもらったなあ。と思ってます。

一番のやりがいは、超当たり前のことかもやけど
自分のしてることが本当にその人の為に立ってる。っていう感覚を肌身で感じれることでしたね。

やっぱり1人では生活できない方も中にはいるので、僕がしていることが目の前の方にとって超貴重で意味のあることなんだ。って感覚は、他のアルバイトでは感じられなかったかもです....

「なんでそのアルバイトしたん?」って言われるんですけど、大学が福祉とスポーツ系という事もあってか、少し興味があって選んだ。って感じでそこまで深い意味はないですね...

↓過去に経験したアルバイトあげてみたけど、めっちゃしてるなあ笑

・個別指導の塾講師
・大手チェーン居酒屋のホール
・地元宝塚のビアガーデンスタッフ
・某牛丼チェーン(す○家)
・某コンビニの食品工場(セ○ンイレブン)
・引越し(🐜さん)
・イベントスタッフ
・スポーツショップ(DEP○)
など

色んな仕事をできたのは良い経験やったかなあと今振り返ると思います。

#社会人サッカーチーム結成
(19歳)

大学に入ってから、小学校・中学校・高校で一緒にやってた後輩同期先輩に声かけて社会人チームを結成しました。

写真はチーム結成後の初タイトル(笑)

#SNSマーケティングスクールに入学し
初めてビジネスというものに触れる
(20歳)

当時、いろんなアルバイトをしてたんですけど収入がもっとほしくて、SNSで見つけたマーケティングスクールに入学しました。

入会するのに45万ぐらい必要で、そんなお金なかったので人生で初めて消費者金融(アコム)を使いました...

忘れもしない、大阪東通りのジャンカラの横にあるアコムで。(手震えたのも普通に覚えてる...)

俗に言うDRM(ダイレクトレスポンスマーケティング)という手法を学んで、自分で商品を作って販売していく、といった体験型のスクールでした。

コンサルティングという無形商材をSNSで集客し、セールスレター(ステップメール)を組んで送り、最後は電話セールスでクロージングするといった商売のすべてに20歳で関われたのは、今思えばすごくいい経験だったなとは思います。

#鎌倉(小町通)までヒッチハイク
(21歳)

大阪難波から鎌倉までヒッチハイクしました。
最初めちゃくちゃビビってたけど、意外と載せてくださる人多くてヒトのあたたかみを感じた旅になりました😊🚗

一生ネットワークビジネス勧誘してくるオバハン(あ、お姉さん)もいたけど、その話しだすと読み終わるまでに3日以上はかかりそうなんで、ここではやめときます。

#スペインへサッカー留学⚽️
(21歳)

大学の時、たかがサークルやけど西日本の代表としてスペインにサッカー留学行きました⚽️

すごくいい経験になったなぁ😂

ガッツリ足首削られたからキレてやろうかと思って振り向いたら、190cmぐらいある大男スペイン人やったから、びびってやめた話はあまりしたくないです。

#130年続く老舗アパレル商社へ新卒入社
(22歳)

そんな大学時代を過ごしながらも、大学で学んでたスポーツ、福祉とかを仕事にするイメージがなくて、アパレル(繊維)商社に入社しました。

ある一定の決定権を持って進められる仕事に就きたい。そして洋服が好き。

っていう事もあってアパレル商社を選びました。
(選び方あさいw)

その時は日本でいちばん有名な子供服ブランド(ミキ○ウスさん)から依頼を受けて、子供服をつくる仕事に携わってました。

縫製工場に洋服仕様書の生地を送って、いつ上がってくるのか。品質は問題ないのか。などの生産管理を主にやってました。

たまに生地屋さんに行って生地を勉強したり、副資材(ボタンや裏地)屋さんに行って副資材の勉強したり、そうやってアパレルに関する知識を蓄えてました。

1年目(新卒)は会社の恒例クリスマスパーティ?みたいなんで、出し物しないとあかんってなって
「ハカ」をしました。マジで嫌やったなー。笑

ハカってこれ。
100人ぐらいおる前でこれやらされたのはほんまに地獄やった😂
陰キャラの僕にとってはほんまに苦しかった...w
始まる10秒前の舞台裏。
このカーテンの奥に100人ぐらい待ち構えてる笑
あかん、ださすぎる(笑)

#勢いだけで
WEBデザイン&プログラミングスクールに通う(22歳)

入社してから2ヶ月。
ある程度慣れてきて、さあこれから仕事頑張るぞ!!!
ってタイミングで何を思ったのか、古舘さんは全く異業種のWEBデザインとプログラミングを学べるスクールに通い出します。(なにしてんねん笑)

まあ、キッカケはあったんですが😂
愛媛県のTECH I.S.(テックアイエス)というプログラミングスクールを運営してる代表の植松洋平さんに会いに行ったことがキッカケです笑

↓が公式ホームページです!
拠点も全国にあったりオンライン受講もやってるので、ぜひ興味ある人は覗いてみてください👍

ようへいさんには今でも仲良くしてもらってて、この前も愛媛行って飲みに連れてってもらいました😂(また連れてってください🥺)

僕が行ってたスクールは大阪心斎橋らへんでやってるところで、4ヶ月コースで35万ぐらいやったかな?笑
実際にオフライン(対面)で授業を受けてました。
多分ボーナスかなんかで払ったんやと思います笑

そこでは、ホームページの作り方とかプログラミングの基礎とかを学びました!

人生で初めて「ソースコード」というものを目の当たりにして、心がポキッって折れそうな音がしたのを今でも覚えています。(比喩です。)

ソースコードって俗にいうこんなやつです。笑
普通に最初見たら心折れるくない?笑

アパレル商社で働きながら
週2回(木曜の仕事終わり/土曜の朝)にスクールに通ってました!

木曜は仕事終わりに行ってたので
「お疲れしたー!!」ってゴリゴリ定時にあがってました。
ブラックコーヒーを必ず買って、眠たい目こすって授業受けてたのがいい思い出です。
目こすりすぎて、トマトぐらい真っ赤になったのを今でも覚えてます。(すみません。比喩です。)

なんの躊躇もなく定時に上がったり
1年目(新卒)は、ほぼ強制参加の土日ゴルフコンペも行きたくないから断ったり、今振り返れば結構掴みにくい新人やったんやろなぁ...笑

なんで休みの日に会社の人と好きでもないゴルフ行かなあかんねん。って思ってました笑
(うわー、嫌なやつ。笑)

#初めて個人でWEB関係のお仕事をいただく
(22歳)

そんな中スクールをなんとかやり切った古舘ですが、なんと!!
10月に初めてお仕事をいただけたんです!

「ホームページ作ってほしい。」

って。めちゃくちゃ嬉しかったです。
なんの実績もない僕にお仕事をくれたのは本当にありがたかったです😭

ネットで調べながら、平日の夜も土日も献上して死ぬ気でなんとか納品。

喜んでもらえてよかった....🙏
ありがとうございました!!
(今でもそのお客さんとは飲みに行ったりお仕事依頼いただいてたりしてます💦謝謝🙏)

#新卒のアパレル商社辞める
(22歳)

スクールに行った事もあって
WEB業界にのめり込んだというか「WEB/IT」というものに関わりたい!

ってなってアパレル商社を入社8ヶ月で辞めました。(22歳12月)

人事に伝えに行った時には
「それだったら初めから入るなって思うよねぇ」と辛辣な言葉をもらって「そりゃそうやんなぁ。すみません。」って思いながらもブレる事なく辞めました。

ただ、自分がいた課では何故かこんな僕にも最後まで温かく接してくれて、最後に花束ももらったんです😭😭あれは普通にびっくりしたし、ありがたかったですね😭

おそらく課が一緒やった小林さんという上司が発案してくれたんやと思ってます。本当にありがとうございました。

そして少しの期間ではあったんですが、色々なことを教えてくれた課長の田渕さん。直属の先輩だった藤木さん。部長兼役員の松村さん。この場を借りてで恐縮ですが本当にありがとうございました。

今でも隣の課だった方からも連絡もらったり、サイト制作の依頼いただいたりと、8ヶ月で辞めてしまった僕にも心良く接してくれて感謝しかないです...

辞めんかったらよかったなあとは思ってないけど、本当に人には恵まれてていい会社やったなあ...とは心から思います🙏

#ITベンチャーに転職
ディレクターとしてウェブサイト制作・アプリケーション開発のプロジェクトに従事
(23歳)

23歳の1月。念願のITベンチャーに入社。
15年ぐらい続く会社で社員も40人ぐらいいたので、もはやベンチャーじゃないのかもしれへんけど、運よく内定をいただけました。

エンジニア30名/デザイナー3名/ディレクター1名。3人に1人が海外国籍という超おもしろい会社でした。

ここでも人生の転機がありまして。。。

結果的にディレクターとして入社したのですが、ずっとエンジニアとして色んな面接にエントリーしてました。

よく聞かれるので、、、
僕は「wantedly」という媒体を使って転職しました。その他にもWEB業界への転職だと「Green」「レバテックキャリア」などが有名です。

手前味噌ですが、弊社でもITエンジニアを積極的に募集してます。
興味ある人はぜひご連絡ください!😂
(代表の僕が採用責任者も兼任してるぐらい採用には本気度高くやってます😂)

絶対エンジニアになるんだ!!って気合入りまくってた中で、社長の金さんが「この業界にはエンジニア以外にもディレクターって職種もあるんだよ。一回調べてみたらどうかな?」って言ってもらって、すぐに帰って調べました。

色々調べてみたんですけど「うわ!この仕事やりたい!!」ってなって。

ディレクターってどんな仕事やねん。ってなってる方も安心してください。
(Chat GPTに聞いたので、これ読んでいただけたらご理解いただけます😂)

優しく質問するのがコツです。

まあ簡単にいうと、ディレクターってウェブサイトやアプリケーションの企画&制作開発する時に必要なことを全部とり仕切るリーダー的な役割の仕事です。

専門的な知識も要しながら、リーダーとして引っ張る素養もいる。

めっちゃおもろそう。ってなってすぐに金社長に「ディレクターとしてエントリーさせてください!」って連絡しました。

ある一定の決定権を持って進められる仕事に就きたいという就活時の軸もこの仕事なら満たせると思って。

そして、内定をいただき無事入社。

この会社で学んだことはとてつもなく多くて書ききれないので、また別で書きます。

行政関係の大型プロジェクトが大炎上して土日出勤終電帰りしたり、クライアントさんの言ってる事が昨日と今日で言ってる事変わっててあたふたしたり、入札案件のコンペティション提案に関わったり。

本当に色んな経験をしました。

今こうして会社をつくれてるのも続けられてるのもこの時の経験が全てだったなぁ。と思っています。

#社内コンペ(?)で優勝
(23歳)

↑の会社で毎年恒例で年末にプレゼンコンペ(?)的なのがあるんですけど、話下手な僕が1年目にして優勝してしまうという偉業を達成しました笑

テーマは本当になんでも良かったので

1年間で導き出した
抜け、漏れを減らす
ボクなりのタスク管理法

ってタイトルでその時は話しました。

作成したスライドを褒められる事が多くて、もしかしたらスライド作成したり、情報を整理したりするのが得意かも?って目覚めたのもこの時です笑笑

#パパ向けメンズアパレルブランド
『LUSSO』を立ち上げる
(23歳)

「このITスキルを使って何か違うことにも活かせないかなぁ。」「外で身につけたスキルを会社の本業にも活かせるようにしたいなぁ。」
という思いで元々やってたアパレルの知識と掛け合わせて、自分でECサイトつくってブランドを始めました。(ITベンチャーで働きながらなので、副業的な感じではじめました)

それがLUSSO(ルッソ)です。

日本いち、カッコいいパパを生み出す。

というブランドコンセプトを掲げて
パパでも着られるシンプルなデザインに長く重宝できる最高レベルの生地を使用してつくられたアイテムばかりを集めた、パパ向けメンズアパレルブランドです。

ECサイト
https://www.lusso-official.jp
Instagram
https://instagram.com/lusso_tailor

よかったら↑チラッと覗いてもらえると嬉しいです😊

自分の写真ですみません(笑)
↑のスウェットもスラックスもウチのブランドです😊

#自分の作った洋服が大事な人に
着てもらえる嬉しさに感動
(23歳)

そして、1着目が売れました。

友達ではあったんですけど
生地/形/デザインを全て自分でこだわってつくった洋服を着てもらえるってめちゃめちゃ嬉しくて。

そこからECサイトの改修をしたり解析をしたり、Instagramの運用をしたり、本業に活かせるようにLUSSOを育ててました。

今でも頻度は少ないですが、新作アイテムも出してるので、よかったらチェックしてください!

もちもち生地を使ったフーディはすぐに完売して再販依頼が沢山あったほどの人気商品でした😂

#ITベンチャー退職
(24歳)

約2年間働かせてもらって、金社長の会社を辞めました。

WEBサイト制作はもちろん、受付ロボットアプリ開発/iOSアプリ開発/オーダースーツのシミュレーションシステム開発/フルスクラッチでのCMS開発/行政コンペの新規提案などなど、2年間で本当に沢山のプロジェクトに関わらせてもらいました!

その他にも社員への立ち振る舞い、お客さま目線の重要性など、本当に重要なことを学ばせてもらったと思っています。

正直な意見をいうと、もう少し在籍して色んな事を吸収して社長に恩返しをしてから独立してもよかったなとも思ってます😂(今更やけど)

#株式会社PERVA(パーバ)設立
(24歳)

そして、24歳の12月に株式会社PERVA(パーバ)を立ち上げました。

なんで立ち上げたのかは8000文字ぐらいで↓のnoteに書いてます。

10分ぐらいで読める内容なので、もしよかったら読んでもらえると嬉しいです。

#立ち上げメンバーが1人辞める。
(25歳4ヶ月)

立ち上げて半年立たないうちに一緒に立ち上げたメンバーが辞めました。正直悔しかった。

半年間は全然上手くいかんくて融資で借りた700万も一瞬にしてなくなって、怖くなって。一緒に立ち上げた子すらも守れへんくて。

「やりたいこと見つかったから!」とは言ってたけど、もっとPERVAがうまくいってたら、PERVAでやりたいことを見つけらたんかなぁ?とか。

寂しいのはもちろん悔しい経験も半年でしました。

#サーバートラブル
お客さんに詰められながらの孤独徹夜
(25歳4ヶ月)

お客様のワードプレスがハッキングされて、サイトが表示されない。タイトルが勝手に変わってしまうなどの大トラブル発生。

書き換えられた箇所(コード)を一つ一つ追っていって対応...
この時って1人立ち上げたメンバーもやめたしプライベートでもちょっと嫌なことあって、結構本気でしんどかった時期かも...

⚫︎セキュリティ対策について
立ち上げた当初、セキュリティに関する考えが甘くこのようなトラブルが起きてしまいましたが、今は独自のセキュリティチェックリストを作成し漏れなく対応、大掛かりなアプリケーションはセキュリティ保守に特化した会社に依頼など使い分けながら、万全の状態で担当させてもらってますのでその点はご安心ください🙇‍♂️

# 取締役の渡邉に
「PERVAを辞めたい」と相談
(25歳5ヶ月)

2022年5月17日。蒲田の居酒屋で。
忘れもしないです(笑)

さっきも書いたけど、相当きつかったこの時期。いろんなプレッシャーに辛くなって、代表をおりたい。PERVAを辞めたい。と立ち上げメンバーで取締役の渡邉に相談しました...

今思えば、そんなちっぽけな覚悟で会社始めたんか、ボケ。って言ってやりたいけど
多分これまで生きてきた中で経験したことない不安とかあったんなぁとか思います。

そこで、話した細かい内容は一旦割愛するけど
渡邉から「PERVAはマコトが代表であることに意味がある。マコトが辞めるなら俺も辞める。」となんの迷いない眼差しで言ってくれたことは今でも鮮明に覚えてます。

もっとこいつと高みを目指したい。って思わせてくれて、再度心を入れ替えて落ち込んでた時期を乗り越えました。

↓渡邉の紹介ページです。

よかったら覗いてもらえると嬉しいです。

彼は、ボクの理解者であると同時に体現者です。そして、株式会社PERVAの体現者です。

PERVAを支える第一人者でもあります。
渡邉は魅力溢れる最高の相棒なので、彼の紹介もまた別のnoteでしようと思ってます。

# 初めての正社員がPERVAに入社(採用)
(26歳7ヶ月)

そして、26歳の7月。
PERVA設立以来、初めて正社員として向かい入れる決断をしました。

入社を決めてくれたのは「ITカンパニー_エンジニアリング事業部」配属のエンジニアです。

正直不安もありましたが、PERVAに入社したい!と強く言ってくれたので、覚悟と同時にそうしました。

# 保険カンパニー設立
最年長(44歳)の執行役員がPERVAにジョイン
(26歳10ヶ月)

初めて正社員が入社した、3ヶ月後。

元々アパレルのお客様だった保険業界に10年近く在籍していた保険のプロフェッショナルが「PERVAを大きくしたい。」と今の環境を捨てて、ジョインしてくれました。

それがコーポレートサイトにも載っている池田です。

日本いち、家族をしあわせにする会社に。

というビジョンを掲げ続けている中で家族を守ることのできる「保険」というサービスは、凄く良いもので、いつかは取り入れたい。と会社を設立した時から思っていました。

ただ、僕は業界経験も無いし、いいサービス提供をするにはプロフェッショナルが必要ということも同時に感じてて、35歳ぐらいでできたらいいかなぁ。と漠然と思っていたところ池田に会いました。

当時44歳だった池田は年齢がひとまわり以上下の僕にも常に低姿勢で丁寧に話をしてくれました。

それでいて、情熱にも溢れ、柔軟性もある。そして何よりもお客様を人一倍強く想う姿勢を持つ、そんな池田に
「この人と働きたい!この人と保険カンパニーをつくり最高のサービス提供をしたい!」と惚れこみ猛烈にオファーをさせていただきました。

こうして、始まったのが
株式会社PERVAの保険カンパニー。

家族を守るための保険をオーダーメイドで提供する「かぞく保険」を取り扱う『おせっかい保険』を池田と一緒に立ち上げました。

おせっかい保険ロゴ

noteとInstagramやってるのでみてもらえると嬉しいです😂

ステージが変わったから一度保険が最適かどうかを見てほしいという方は、遠慮なくご連絡ください!池田が誠心誠意担当させていただきます!

↓池田の紹介noteです!!🙆

#初めての新卒社員が2人入社(採用)
(27歳1ヶ月)

そして、PERVA設立以来初めて、新卒社員を迎え入れました。(厳密にいうと第二新卒やけど)

僕よりも2つ歳が下の、2人がPERVAに入社することを決めてくれました。

今も彼らは凄く頑張っててお客さんの評価も高いです!😂

# 支店長クラスのメンバーが
ITカンパニーにジョイン
(27歳3ヶ月)

現職で支店長クラスの役職にも就きながら
守らないといけない家族もいる。

そんな中で
今の環境を捨ててでも、PERVAで働きたい。
とPERVAにジョインすることを決めてくれました。

※この方は2024/4/1付で正式入社予定なんですが、2024/03/03現在はまだ前職勤務中なので名前などは控えます。(4/1以降また詳しく書きます。)

初めてのカジュアル面談はオンラインで行ったんですけど「この方と働きたい!!」直感で感じ、その1週間後には大阪へ直接会いに行ってました✈️笑

お酒を飲みながら色々な話を。

大阪で飲んだ翌日に
「PERVAにきてほしい!」
とオファーをしました。

ウチがまだまだ若い会社ということもあり
奥様が少し不安そうにしているという話をきいて「奥様とも話させて欲しい!」と伝え、奥様ともお話をさせてもらいました。

ボクの想いや今後のビジョンなどをお伝えさせてもらい、奥様にも安心してもらえ、入社承諾の連絡が...

余談ですが承諾連絡もらった時家にいたんですけど嬉しすぎて「よっしゃーーー!!!!」って叫びました😂😂笑
やっぱり仲間が増えるって、とてつもなく嬉しいです。笑


・・・・・・


ここまで読んでいただきありがとうございます!
(古舘物語はまだまだ続きます...↓都度更新)


****************

ここまで読んでもらってありがとうございました。僕の話ばっかりになってすみません。

都度更新予定です。また気が向いた時に見にきてもらえると嬉しいです。

でも少しでも会社のことに加えて僕のことも知ってもらえたなら嬉しい限りです!🙇‍♂️

引き続きよろしくお願いします🙇‍♀️

全カンパニー採用強化中!👇

次のキャリアをPERVAという箱で最高のものに仕上げましょう🔥!!

PERVAを立ち上げた理由。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?