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初段にはならない

数ヶ月前に書きたいことがあったのだが、なかなか内容がまとまらないというか、書けそうな気がしなかったので、かなり久しぶりに文章らしい文章を綴っている。時期的にも今年最後のnoteになりそうなので、一年を振り返ってみるのも悪くないだろう。

思えば今年の一番の目標は、今年こそ将棋で
『初段』になることだった。半年前には達成しているはずの予定だったのだが、結果から言うと
『初段』はおろか、『2級』降級圏内に片足を突っ込んでいる状況だ。

では何故、そのような事態になってしまったのかを分析してみる。答えは簡単だ。私は将棋に挫折し、一時的に将棋を辞めてしまったからだ。年明け早々、モチベーション低下に繋がる小さな事件がいくつもあった。転職して会社も変わり、仕事の環境(主に人間関係)に悩んだ時期もあった。その中で資格を取得しようと勉強を頑張っていた時期もあった。数ヶ月前にnoteに書こうとしていたイベントだが、2年越しの結婚式も挙げた。

ただ、別にそれが一番の原因ではない。
将棋を始めてからの数年間、何回か転職もしたし、仕事やその他諸々のなんやかんやで
忙しかった時期もあった。

それでも将棋に対するパッションは少しも衰えることなく燃え続けていた。向上心が折れそうになったことも、自尊心が複雑骨折したこともあったが、その度、将棋をやめることができない自分と再会しながら、少しずつ強くなった気がしていた。すごくどうでもいいことだが、『自尊心』と『武論尊』ってなんか似てるよね。

それなのに弱くなってしまった。もちろん、ある時期と比較すると強くなっているとは思う。
だが、恐らく棋力のピークだった昨年末から比べると、明らかに弱くなってしまったと自覚している。理由は一つ、『詰将棋』や『対局振り返り』などの『強くなる勉強をやめてしまったから』
本当にそうであるかは分からないが、
少なくとも私自身はそう感じている。

正直、将棋の強くなり方には個人差があって、
才能やセンスだけである程度強くなる人もいれば、血の滲むような努力で強くなる人もいるだろう。逆に、どんなに一般的な鍛錬を積んだところで、少しも強くならない人だっているだろう。
それが『向き不向き』だと私は思う。

『不向き』だから将棋をやめるべきかと聞かれたら、絶対にそんなことはないと思う。
大事なのは『好き』か『嫌いか』
それだけじゃ甘いと、B'zの稲葉先生に言われてしまうかもしれないが、その時は松本に相談してみよう。多分、冷やかされるけど。
※元ネタがわからない人は、
お父さんとお母さんに聞いてみてね。

単純に私は『将棋』に向かなかった。
少なくとも他人と同等レベルの努力では強くなれないことがわかった。『強くなるため』にやっていた勉強が、『棋力を維持すること』でいっぱいいっぱいだったことを知った。『初段』になるためには、今まで以上の努力が必要なのだと痛感した。

それはもうやらない。やりたくない。
楽しくないから。
私は好きな将棋を嫌いになりたくないから。
趣味はあくまで趣味のままでいい。
自分は他人より劣っているわけではない。

そう思いたいが、やっぱり悔しい。
もう初段にはなれない。ならない。
ならなくていい。本当はなりたかった。

すぐ強くなった人、それなりに努力して強くなった人、泥水を啜って強くなった人など、将棋を指す人間にもいろんな人がいる。その中で一番の悪は、『誰でもこれをやったら強くなる』、『誰でも初段になれるよ』と特に根拠もなく言い張る奴だ。『自分でもできたのだから誰でもできる論』は基本的に嘘だ。それは『将棋』以外の何にでも当てはまることだ。

もしこれからの将棋人生で、そんな奴が性懲りも無く現れたら、こう言ってやればいい。

You,liar,liar
もう信じられないや
なんてスッパイんだ
詰将棋パラダイス

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