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憧れの閃光魔術師

『武藤敬司』は間違いなく私の人生に大きな影響を与えた人物の1人である。初めて彼を認識したのは、私が中学2年生の頃だったと記憶している。
何に惹かれたのか言語化するのは非常に難しいが、私にとって唯一無二のスーパースターだった。

『プロレス』とは『闘い』であるのと同時に
『芸術』でもあるということを私は彼から学んだ。そして、『ゴールのないマラソン』だと彼は表現していた。その言葉の深い意味まで理解していたわけではないが、何となく彼はずっと『プロレスラー』でいるのだと思っていた。

私の原点は、初めて観た『新日本プロレス』で華麗に闘う彼だった。私が上京をしてしばらく経った頃、私の大好きなレスラーである『小島聡』『ケンドー・カシン』と共に『全日本プロレス』へ移籍した時はあまりの衝撃に、学校の授業をサボってしまった。(日常的にサボっていたが)

かと言って、今と違って気軽に『プロレス』の試合を動画で観ることができない時代で、貧乏学生だった私は試合観戦に行くことも滅多になかった。東京で知り合ったプロレス好きの兄貴的な存在がよく『NOAH』の試合に連れて行ってくれたので、どちらかと言うと『新日本プロレス』『全日本プロレス』よりも『プロレスリングノア』ファンに近くなっていた時期があった。

やがて、私生活でバタバタしていたこともあり、生活の中から少しずつ『プロレス』要素が薄くなっていき、やがては全く観ないし、興味もあまりなくなってしまった。それでも趣味を聞かれれば、『プロレス観戦』と答えていたし、好きなプロレスラーを聞かれれば『武藤敬司』だと即答していた。『自分』という人間が『プロレス』によって作られたことは事実であり、興味がないにも関わらず、捨てることはできなかった。

気がつけば、熱心に『プロレス』を観ていた頃から15年以上の月日が流れてた。今年の正月に偶然テレビで観た女子プロレス『スターダム』の特番でプロレス熱が再燃し、『新日本プロレス』を久しぶりに観たくなった。正直、知っているレスラーは数えるくらいで、引退したか、別の団体にいるかで、少し寂しい気持ちだった。私の中では最前線にいたレスラーが『1.4東京ドーム』の第0試合に出場しているのを観た私は驚きのあまり、仕事をしたくなくなった。(いつものことだけど)

今は『1.4』だけではなく、『1.5』も東京ドームでやるくらいプロレスが盛り返していることを知り、嬉しさと申し訳なさが同時に溢れ出た。私はプロレスを捨てたわけではないが、プロレス冬の時代に見て見ぬふりをした『プロレスファン』を名乗る資格もないただの『一般男性』だ。

どの試合も面白く、昔とは比べ物にならないと表現すると失礼だが、全てにおいてレベルが上がっているように感じた。その中で聴き馴染みのある曲が耳に飛び込んできた。そう、武藤敬司の入場曲の代表とも言える『HOLD OUT 』である。
なんと『プロレスリング・ノア』の所属レスラーとして『新日本プロレス』のマットに現れたのである。どうやら、団体対抗戦があるらしい。
今のNOAHの所属レスラーもほとんど知らなかったが、これもまた衝撃だった。

私が熱心に観ていた頃は団体の壁を越えることが何となく許され難い時代だったが、一部、その壁を壊そうとしている動きがあった。今となっては、どの団体でどの選手が闘っていても不思議ではない、夢のカードが夢でなくなったことが嬉しいような、少し寂しいような、何とも言えない感情になった。

それをきっかけに、『スターダム』『新日本プロレス』をメインに、ちょくちょく『NOAH』の情報も仕入れることになった。『NOAH史上最大のX』の正体が『小島聡』だと知った時は、興奮のあまり、翌日の仕事にも影響を与えた。
(休みだった気もするけど)
それから1ヶ月ほど経ち、『武藤敬司から大切なご報告』というドキッとする文字列をTwitterで見かけた瞬間、心の中で覚悟をした。

マラソンの途中で脇道に逃げて、ショートカットしたくせにあたかもずっと一緒に走ってきましたよ的な顔をして合流するのは非常に恥ずかしい気持ちではあるが、彼の引退試合だけは、いつ行われようとも、場所が何処であろうとも、何が何でも観に行きたいと昔から考えていた。
どういう形の引退試合になるかはまだ全く分からないが、〇〇を質に入れてでも観に行く所存、リア・ディゾンである。

ちなみに余談だが、『武藤敬司の赤魂』『蝶野正洋の黒魂』というトレーディングカード付きのカップラーメンが販売されていた時期があり、上京したての私の主食になっていた。実家からの仕送りも段ボールいっぱいの『赤魂』だった。

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