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パンを焼くということ

パンはかわいい。 
なんでもすぐかわいいで済ませる系ではないわたしが断言する。
そう、パンはかわいいのだ。
生地の手触りもよいし、発酵で膨らんでくる様もよい。
焼きたての匂いだって最高だ。
全てがかわいい。

やや不恰好なライ麦と無花果のパン

パンには色々な思い出がある。
幼い頃おつかいで姉とパン屋に行き、「6枚切りにしてください」とお願いし、機械でカットしてもらうのを見るのが楽しみだったこととか。
クリームパンをトンビに奪われて負傷したことは苦い記憶か。
一番の思い出は……やっぱり小学生だった頃のあの日。

遠足だったか何かで、その日はいつもより早い時間に家路についていた。
当時団地の5階に住んでいたのだが、階段を上がるごとに美味しい匂いが漂ってくるではないか。
とうとう家の扉の前にきて、匂いの源はここだと確信したときの胸の高鳴り。

親は共働きだったから、いつも鍵を持っていたけれど、ドアノブを回してみたら鍵はかかっておらず、急いで台所へ駆け込むと、笑顔の母がおかえり、と迎えてくれた。
机の上にはたくさんの焼き立てパン。
確か、オニオンとハムなんかを巻き込んだ惣菜パンの他、揚げて砂糖がまぶされたドーナツパンもあった。

ちょうど母の後ろのはきだし窓からお昼の日差しがいっぱいに差し込んでいて、食いしん坊のわたしにはそれが後光にすら思えた。

今思えばUFOから降りてきた宇宙人に見えなくもなかったはずだが(オカルト好きな小学生だった)、思いがけず母が家にいた喜びと、美味しそうなたくさんのパンへの喜びが宇宙人ではなく後光と感じさせたのかもしれない。
そんなわたしもかわいいですね。

その日、お隣に住む幼馴染(かわいい)のおうちへ行く約束をしていたわたしは、お土産にそのパンを持って遊びに行った。
仲良しの友達と食べたのもまた良い思い出。
と、そんな話を母にしたけどあんまり覚えてなくて、でもそうだね、一時期ハマって焼いてたねーと懐かしそうにしていた。
(母もまた最近パン作りを始めたもよう)
私にはかなり強い記憶なのに、母にとっては日常のひとこまだったのかな。


私にはパン作りの波が周期的に訪れるのだが、ここ数年またブーム。
コロナの自粛のときには強力粉やらバターやらがなくなって困ってしまった。
でも、多くの人がこの楽しみを体験したなら不幸中の幸いだなぁとも思った。
あの頃のわたしのように幸せの味として記憶に残るのなら。

パン作りは、時間と気持ちに余裕がない時には行えない。
というか、不器用なわたしは必ず失敗する。
過発酵にさせてしまったり、オーブンを余熱し忘れたり。

わたしの敬愛するターシャ・テューダさんが素敵な言葉を残している。

最近の人は待つことが嫌いよね
でも庭づくりは待つことが大切なの
待つことが苦痛でなくなれば
人生うまくいくようになるのよ
ちょっと我慢していれば
大抵のことは解決するし
焦らないことね

ターシャ・テューダ

これは、確か彼女の特集番組か何かで出会った言葉ではなかったか。
待つことが苦痛じゃなくなれば…この言葉は当時のわたしにかなり響いた。

パン作りも待つことが肝心。
こねるときはモタモタするとよくないが、発酵は低めの温度でじっくり時間をかけたほうが美味しくなる。
食パンともなれば半日作業となる。
せっかくの休みの日には本だって読みたいし、あれもこれもと思ってしまうが、時々よっしゃ、やったるか!と大物に挑んだりする。
形も味も無限のバリエーション。
同じパンは二度と焼けない。
一期一会。

もっと身の回りが忙しかった頃はレンジで数秒発酵させてトータル1時間で焼けるパンなんかも作っていた。
あれも悪いとは思わないが、やっぱり時間をかけて作ったパンは本当に美味しい。
食べるのは一瞬だけども。

クロワッサンも胡桃パンも好きだけど、一番好きなのは食パン。
耳がカリッとしてて、中がふんわりもっちりした食パン。
食パンはなかなかお店のようには作れない。
トーストしてシンプルにバターだけ。
それに淹れたての珈琲。
どう考えたって最高。

ああ、またパンを焼きたくなってきた!

なかなかの出来だったバターシュガーパン







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