【映画感想】哀れなるものたち
姉に教えてもらって以来、目が離せないヨルゴス・ランティモス監督の作品には毎度衝撃を受けてきた。
ただ、おすすめはと言われると、どれも人には薦めづらい作品ばかりだった。
・籠の中の乙女(注意!猫が死にます)
・ロブスター(注意!犬が死にます)
・聖なる鹿殺し(ぐぇぇ…)
・女王陛下のお気に入り(衣装が素敵。ウサギがちょっと虐められます)
彼の作品で繰り返し見せられるものは
人間の無垢さと愚かさ、力(支配や執着)そして残酷さ。それだった。
いつも何かしらザラっと心に残る感じ。
性欲に関しても、ロマンスとして描写されている作品はなかったと思う。
とにかく、どの作品にも結構ショッキングなシーンがあるし、謎は多いし、ラストも不穏に終わっていく。
でも、なんなんだろう、新作が出れば絶対気になって観てしまう。
ヨルゴスの描き出す世界観を。
さて。
哀れなるものたち。
今回もかなりやらかしてた。
そして。
すっごく好きだった。
人にも薦められる!(かな!?)
衣装、セットを見るだけでも価値あり。
女王陛下の…にも出ていたエマ・ストーン!美しいっ!
(こちらの作品も衣装が素晴らしい)
圧倒的映像美。
始まった時から目を離さないで。
メイキングを見てから映画を見るとより楽しめるかと。
フェミニズム作品としても、わたしはバービーよりこちらがよかった。
(バービーは…大切にするべき作品とは思うが、あんまり…冒頭シーンはとても良かったけど)
ただ、フェミニズムの映画!と意気込んでみるとちょっと違うとも思う。
かなり過激ではあるが(R18指定)、歪んだ常識、支配の波をぐんぐんかき分けて突き進むベラの姿は爽快だ。
男女問わずそれぞれの苦しみやしがらみ、人間のいろんな部分があるが、ベラの目線でみると全てがすごく単純に見えたり。
男たちの独占欲や庇護欲に対し、自らの身体は自分のものだと主張するベラの叫び。
自分という存在の尊さ。
それをとりまく世界のやっかいさよ……。
今回の映画は原作があった。
(多分原作ある話は初めてでは?)
スコットランドの作家、アラスター・グレイの小説。
わたしは映画を知って、本を知った。
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で、映画は原作と設定が異なるところも色々……というか結構あるけど(例えば本では回顧録となっているが、映画はベラの目線で進む)伝えたいことは原作から映画へ受け継がれていたと思う。
ヨルゴス自身が描きたいものを描きつつ。
こういう原作へのリスペクトもあるのだなと。
けどまあ、わたしはヨルゴス派だな。
圧倒的な映像美っ!
ファンタジー色が強まっているが、そのセンスたるや……それからベラの主体性の強さ、振り切れ具合も含めて。
(小説は難解ですが面白いです。ただ、最後天地がひっくり返るような感じになる…読者は誰の何を信じればいいのか右往左往)
先に観に行った姉からは袖の膨らんだ服を着て観に行けばテンション上がること間違いなし、と連絡をもらっていたので気持ちふんわり袖で挑んだが……ベラの衣装に比べたら私など葉っぱにすぎなかった。しかも落ち葉。
今回は時間に余裕をもって到着したのでフライヤーを眺めながらのんびりと幕が上がるのを待った。
以下、ネタバレになる感想です。
19世紀後半のロンドン。冒頭、20代半ばかと思われる美しい女性(エマ・ストーン)が橋の上から身を投げるシーンからのスタート。
水面を見下ろす彼女は、甲冑のような袖のブルーのドレスを纏っている。
まるで女性の心情を表しているよう。
さながら両肩に巨大ダンゴムシ。(こんなの……敵わないよ!)
曇天の空のもと、彼女の身体は不意に浮き、暗い水面に吸い込まれていく。
しかし、その遺体は幸か不幸か倫理観ぶっ壊れの天才外科医ゴッドウィン(ゴッド)の手に渡る。
電気ショックを与えればまだ蘇生できるが、思い詰めて自ら絶った命を引き戻すことの意味を考えた彼は、兼ねてから密かに磨いてきた移植の技術を生かし、彼女の体に宿っていた胎児の脳をとりだし、彼女に移植した上で蘇生する。
ここ、素手で脳みそ取り出しててギョッとする。
(原作では衛生面で遅れていた時代、彼の父は器具の消毒など徹底していたという記述があったのにー!ヨルゴス……っ)
フランケンシュタインみたい。
電気バリバリあてて、まさにって感じ。
(実際、原作を書いたグレイは、フランケンシュタインの物語、その著者に影響を受けている。登場人物の名前とかにも反映されてたり)
ゴッド自身もつぎはぎの醜い相貌でフランケン感いいなめない。
それは生まれつきではなく、彼の身体に刻まれた様々な傷は天才外科医の亡き父から施された実験によるものだった。
(原作では単に醜い姿の男なのだが)
そして目覚めた彼女にゴッドはベラと名付けその成長を見守る。
身体は大人だが頭脳は赤ん坊なベラは自由奔放。
ゴッドは医学生マックス(瞳と髭が可愛い)を助手に迎え、彼にその記録係を命じる。
目を見張るスピードで成長する頭脳。
そして性の興奮にも気づくベラ。
マックスが彼女に情愛を抱いていることに気づいたゴッドは彼にベラとの結婚話を持ちかけ、ふたりは婚約する。
しかし籠の中の鳥状態だったベラは外の世界を知りたい欲望が強く、軽薄な弁護士ダンカンの誘いに乗って外の世界へ飛び出していく。
ただただ性を貪る奔放な日々がしばらく続くが、世界を無垢な眼差しで見つめ、様々な知識をぐんぐん吸収しベラは成長を続ける。
当初遊びのつもりだったダンカンだが、彼女の変化を受け入れられず、逆に溺れ、嫉妬し、身を滅ぼしていく。
その情けない姿はまるでヴェニスに死すのアッシェンバッハ。
船上で読書に没頭するベラの手からダンカンが本を奪い海に投げ捨てるシーンがある。
しかし、すかさず隣に座るマダムが優雅な手付きでベラに別の本を手渡す。
ここ、大好きだった。マダム最高。
ダンカンの視線の先にはベラしかいないのに、ベラの瞳は知るべきもの、見るべきものを常に探し追い続けている。
すごくいいシーンだった。
(マダムと一緒にいた男性とのやりとりも良い。決してベラの心は挫かれない)
美しく、無垢で、性への欲も隠さない彼女に男たちは惹かれるが、それは同時に幼稚さ故に飼い慣らせる存在と見下しているから。
だから彼女の成長が疎ましく許し難い。
時にその純粋さを踏みつけたくなる。
途中、パリで娼館(建物のデザインが…注目)で働いたりもしてて、とにかく物語のうち三分の一くらいは性描写……です!
ここでベラは性すらも他人に支配される理不尽さを知り、また自分の身体に残る傷(事故でついたものと聞かされていた)が帝王切開の跡だとうことを知る。
自分に子供がいたのでは、とベラは考え始める。
旅の中で出会った悲惨な景色、娼館では性の自由すらも否定され、そんな世界を変えたいと願いつつ、数歩歩けば転ぶような挫折を繰り返し……だが決して挫けないベラ。
そんな中、ゴッドの病を手紙で知ったベラは故郷に戻ることに決め、そこでベラの過去も明らかになり……。
原作ではゴッドと助手マックスは同年代だが、映画ではゴッドを父親のような年にし、彼がベラを研究対象として見つめながらも父性も芽生え、彼女の成長を見守る存在としても描かれている。
(ベラはゴッドを拒絶した部分もあるけど)
完全ではなくっても、そういう人間が映画の中のベラにいたことは救われる思いがした。
あと、助手マックスを初めて自宅に招くシーン。
原作では、庭にいる上半身と下半身がくっきり分かれた白黒うさぎと黒白うさぎを見てマックスはゴッドがベラに施した手術に気づくが、映画では頭が犬で身体がアヒルのアヒル犬や豚鶏なんかが走り回っていた。
マーズアタックのチワワを思い出す。
こういう奇妙さや、訪れた国ごとの風景は存分にヨルゴスらしさを発揮していた。
あ、音楽も素敵だった。
いくつかフームと思う部分もあるものの、鑑賞後の感覚も今回はいいと思う。
力を持つものの怖さはしっかりとここにも現れているけど。
けれどまあ、繰り返しますが三分の一(体感時間)がアレなので人が少ない時間帯に一人で見にいくことをお勧めします。
袖を盛って。
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