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みどりのゆび予備軍

おじいちゃん(母の父)が稲作の機械化で農林大臣賞とった農家、おじさんが世界で有名な育種家なのに、私はエアープランツまで枯らす猛者、って思ってた。何も育てられない、って。

でも、人生のどん底でもう生きる気がなかったときに、食べるのは苦手なのに自然農の畑でネギに助けられたり、(大丈夫だよ…、ってナウシカみたいな白い手がたくさん出てきてくれた)、同じ畑で露地のトマトが台風にあって割れて腐りかけたのを嵐に揉まれながら処分したりしているうちに、トマトやネギとは友達というか、恩人なな気がしていた。植物のことは詳しくない私は、おじいちゃんの孫やおじさんの親戚であるおかげで、優しくしてもらってるんだ、って思ってた。

4月のおわり、近くで濃厚接触者が出て、私も微熱が出始め、仕事を休んで家の中で自粛していた。毎日、縁側で生活して、海の底のような気分を味わいながら、庭で草を抜いていた。

そこからはじまった。バーバ(夫の母)が残してくれた庭で、私がきっと持っている、おじいちゃん一家ゆずりの緑のゆびを発揮しようとしている…、かもしれない。

おじいちゃんがなくなる前は、ダチュラの育種や、遊びでオオバコの斑入りを作って、家の周りじゅう斑入りのオオバコにしていたおじいちゃん。「やっぱり普通のより弱い」って言ってた。(10年くらいで絶滅した)。

亡くなる時は、本当に金粉が空からふってきて、お神輿みたいな馬車みたいなのと、天女みたいなのと、それからコーラスが聞こえてきて亡くなった。死にずっと恐怖しかなかったのに、おじいちゃんの亡くなりっぷりにすごくほっとした。死は、卒業式みたいなものなのか。

それを見ることができた私は、ずっと、おじいちゃんからなにかを受け継いで、伝えていくなにかがあるんだ、と思っている。そして、庭で植物の面倒をみはじめた私は、その受け継いだなにかをいましっかり見つめようとしている気がする。これから楽しみ。

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