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7/4: カウンセリング


記憶の隙間

先週は記憶にぽつぽつと穴が開いていた。

夫が今から床屋に行くというので私もそろそろ美容院どうしようかとスケジュール確認したら16:00から予約してあるのにもう15:40だったり

お昼を片している最中にふとLINEをみたらカウンセラーから今日は13:00〜ですがどうかされましたかとの連絡が13:10にきていたり

携帯のスケジューラに入れてあるから予約したんだろうけど頭からすっぽり抜け落ちている。

解離vs緩み

遅れて行ったカウンセリングでこの物忘れは解離なのか相談したが、どちらかというと過覚醒だった神経が一気に緩んでいる感じがするといわれた。張っていたゴムが限界まで伸びて弾けて伸びきった状態らしい。

そしてつらつらと思い出したことを話して、どこにも逃れられないときに、そんなことがあったら別の安全な世界を創り上げてそこへ逃げ込んでもなんら不思議はないと再確認していたら「よく死なずにすみましたね」と言われて

そう、これまでも何度かそう言われたことはあるし、そうだろうなとは思うけど、そこまで酷いことなのか重みのある実感が得られない。本当にそう?どこかでまだブロックしているのか

どうやら足の痺れが鍵を握っている様子。ここにはなにが潜んでいるのだろう。ここを通過しないとアクセスできない感情があるのはわかるが、それが皆目わからない。自分の身体なのにね

総括として緩んでるけど同時に、過覚醒からくる痺れもある。どうやら心地よさを感じて緩むときですら、その刺激は私にとっては強すぎて覚醒しすぎるらしい。

ぼーとして死んだように生きてるときしか安定してないんですかね。あまり変な夢も見ないし眠れている気がするので調子よいと思ったけど微妙なのか

外側の世界

よくわからないからわからないままにして丸めてポイしとくが、なんだか色々話したり書いているうちに急に内側の掘削作業はしばらく置いといてもいいかなとも思えてきた。

どういう経緯か昨日、夫と花火のことを話していたとき、ああ、久しぶりに浴衣でもきて見に行ってもいいな、なんて私らしくなくすごく平和なことが浮かんだり

3月から切り離されていた記憶が一気に蘇って内側ばかり見つめていた反動なのかも。すっかり忘れていたが、世界は内側だけでなく外側にも開かれていることを今更ながらに思い出した。

ああでも外側の現実といえば先日の母の検査結果が微妙で近い後日に再検査となった。これはどうなんだろう。もう放っておけばいいのに何かしてあげたくなってしまう。

私に何かあっても、大変そうねの一言で終わるのに

他にも引っ掛かることや問題がちらほらあって、たまに苦しいけど、今考えても仕方がないことは脇に置いおくべきか、向き合うべきか。好きにしていいの好きがどちらかわからなくて途方に暮れてなんとなくカーテンを洗った。

夕方からだったけど、この天気だしよく乾いてほっとした。


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