話に一貫性があることは正しいか?

Sawatdee Khap

繰り返しすることで前回との違いがわかる
せんべえです

なんのこと?
タイマッサージです。

毎週行ってます。3回目

初めての時は全身が痛くて。
それが定常化していたので
全く気付いていませんでした。

3回目、痛くない
改善しています。
ところどころ痛いですが
ぜんぜんまし。

1か所だけ、左右同じところだったので2か所か。
悶絶しました。
集中的に揉んでくれて
たまらんかった。

こんな感じで
繰り返し施術を受けることで
自分の体の変化に気づくことが出来ます。

1週間、凝りなんて感じてないのに
これだもんね。
案外自分のこと見えてませんね。


さて、昨日気づいたこと

私は話に一貫性があることが正しいと思っていた

賛成していただける方も多そうな概念

だけど時にはそんなものどうでもいいんじゃないの?
って思えたんです。

以前はこう言ってたね
さっきはああ言ってたよ
そもそもの話すると

私の会話にはとてもよく出てくるフレーズです。

得意な人にはいいけど

話しにくいわ!

って人もいそう。
うん、今はそう思ってるんだね
でいいじゃないか。

そしてそう思っている考えている
そのように進めたくなっている
そのことで出る影響を見て

どちらを選択するか
それとも影響の出るところの対処を一緒にするか

その影響が私一人ならば
私一人が選択と対処とすればいい

元言ってたのがこれだから戻せではなく

一緒に戻すか進むか対処するか
やっていけばいい。

そんな風に思えたんですよね。

今私はどんどん自分の理想の人に近づいている気がしています

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