人間回帰

おはようございます

聞くと再創作のトレーニング
せんべえです

昨日は会話の多い日でした。

ランドマーク関係で5名合計1時間半
仕事関係で2件合計1時間
妻、朝30分夜30分

すべての話題にもちろん自分の意見はあるけれど
みんな捨てて
いったん相手の立っているところに立ってみる

そうすると、会話の
相手が泣きそうな話をしているときは
 私も涙が出そうになり
相手が悔しい思いをしていると
 私も悔しくなってきて
相手が責任者に立っていると
 私も同じ責任者の位置に立っている

そんな体験をしました。

これは巷で言われている共感というものかもしれないし
私のつかんだ感覚では共感より深いものではないかと思う。

男二人の電話で盛り上がったことはない

そんな私が昨日はみっちゃんとの時間で
盛り上がれたのは
もしかしてこういう聞き方をしていたからなのか
テクニックではなく

なにより
自分自身が楽しかった。

夜には妻が、何か悔しい思いをしていて
その話を聞いたのだけど

ただただ悔しかったと
おんなじところに居れたように思う。

かつてならば
悔しくないようにするにはどうすればいいかとか
そんな風に感じなくてもいいんじゃないかとか

悔しいこと自体がネガティブでよろしくないと捉え
そんな息苦しい考え方をしないでもいいと
直そう変えようとしていたに違いない。

そんなのは自分にもやっていて
悔しいという感情が出たときに瞬時に蓋をして
何もなかったかのようにふるまう。

いつしか自分の感情が見えなくなっていた。

そんな人生だった。

自分以外の人の悔しいに気づいたら
自分の悔しいにも気付けるようになる。

なるほどそういうことか。

べきすべきで生きている人を見ると
生き辛そうだなと思ったりしたけど。

私は行動ではなく
感情を押し殺すべき
で生きてきていたな。

昨日の多くの人の会話から
そんなことに気づいた日でした。

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