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20代独身女に向けられる差別について

【差別】
1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。

一体いくつまで「若い」と言われるんだろう。
いくつまで若さの呪縛に縛られなければならないのだろう。

25歳。
一人暮らし。
独身。

仕事もお金もある。自由な時間だってたっぷりある。人生まだまだこれから。何一つ不満はない。

そんな私に向けられる、差別

差別なんて少し大袈裟な言葉を使ってしまった。別に私は若さを理由に何かを強要されたり、不当に扱われた事はない。それでも当人が不快な思いをしてしまったそれは、広域的な意味で差別に値してしまうのだ。




新入社員として入職した職場。未熟な私に対して、「自分の娘と同じ位の歳だから」と何かと気に掛けて可愛がってくれた。2年目、3年目と時間や経験を重ねていき、1人で仕事を任される事が増えた。“任されている”事が嬉しかったし、楽しいと思える時もあった。
しかし、何度か仕事を振られる度に周りが口にする言葉は、

「もう私達は歳でおばちゃんだから無理だけど、若いからまだまだ動けるでしょ!頑張って!」

当たり前だが超人でも無い限り若くたって同じくらい疲れるし、動けない時もあるのに…そう思ってはいたが、遠回しに「年寄りを動かすな」なんて言われているような気がして、その圧に勝つ術はなかった。



心のどこかで多少の違和感は感じていた。「若い」の言葉の裏に隠れている、小さなしこり。好意的な意味で使われていると思い込んでいた「若い」は、もしかすると妬み嫉み僻みのようなドロッとした物も纏っているのかもしれない。「若い、を使っておけば上手いこと使える駒」として手のひらで転がされていたのかもしれない。


未婚で、子無しとなればその転がし方はさらに拍車がかかる。

「◯◯さんは小さな子がいて大変だから1番に帰らせてあげて」
「いまおさん家に帰っても予定なんてないでしょ?残業お願いしたいんだけど」
「子育て大変だから、仕事変わってあげて」

私は結婚も子育てもしたことがない。“大変”だと聞いていても実際どれ程のものかも分からないし、どこまでのサポートをすべきなのかも分からない。分からないから、「ちょっと待って」が言えなかった。私が家に帰ったところで予定が無いのは事実で、言い訳が見つからないのも声をあげられなかった理由の一つだったのかもしれない。どちらも悪役ではないし、どちらも正義ではない。私が仕事を代われば済む事なのだが「子育てしてないから時間がある」と思われるのはどうしても腑に落ちなかった。

若くてひとり、は多少の無理をしてでも代われる人材ではない。上手いこと使える人材でもない。
若くても疲労で倒れる人だっているし、家庭を持っていなくても早く帰らなければいけない理由だってある。
好きでひとり暮らしをしているし、今は結婚や、子を産み育てるという選択肢を選んではいない。しかしそれは私が私の為を思っての結果であって決して社会のためではない。

「私、若くて自由です!ボロボロになるまで使って下さい」
なんて下らない言葉を掲げて自分を殺す事なんてしたくない。

若いからって何だ。
自由だからってなんだ。
私の時間は私の物だ。
赤の他人に消費されていいものではない。


20代独身女、見えない所で受けている差別について。






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