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~終わりゆく世界と終わらない継承の物語~ 終のステラ感想

keyから発売されたキネティックノベル『終のステラ』終わりました!
最初にネタバレなし所感、後半でネタバレ全開の感想となります。

key作品は高校時代にクラナドとリトバスやって以来です。
ライターが『人類は衰退しました』の田中ロミオさんで終末モノってきいて前々から気になってました。
『家族計画』とか他の有名どころは私は未プレイです。

ネタバレなしの所感

地球が、すでに人類の世界ではなくなってから久しい。
世界はシンギュラリティを起こした機械群に支配され、人々はその片隅で、息を潜めて生き長らえていた。

運び屋“ジュード”の元に、依頼が舞い込む。 それはシンギュラリティ機械群の影響を受けない、 少女型アンドロイド“フィリア” を輸送して欲しいというものだった。
世間知らずなフィリアの行動に嫌気がさしながらも、ジュードは旅を始める。 時には略奪を繰り返す人間から逃げ、時には機械群が闊歩する危険地帯を通り抜け、 輸送依頼を果たそうとする。

フィリアは何度も人間になりたいと口にする。
遥か空の先に辿り着けば、 アンドロイドは人間になれると言うのだが......?

(公式サイトより)

keyらしいグラフィックと音楽のレベルの高さ、起承転結が無駄なく展開し感動的なラストに向かうシナリオ、文句なく傑作です。
ていうか高校生の頃にやってたらのめりこんでこじらせてたと思う。
久々に泣いちゃいました・・・。

科学文明が衰退した世界で、人間の男とアンドロイドの少女が過酷な旅の中で交流をしていく、といったストーリーなんですが、
単純にポストアプカリプスとしても、従来のkey作品のような人との繋がりを丁寧に描く物語としても秀逸です。
退廃した世界、心の繋がりって設定がめちゃめちゃ相性いい。
誰もが自分の命や都合に必死な世界で、それでも優先するものができた時、どう行動するのか?

設定が近い部分がある『The Last of Us』『アイアムレジェンド』
あとはちょっとずれるかもだけど、『アンドリューNDR114』、昔電撃のラノベであった『キーリ』、昔のアニメで『SoltyRei』
このへん好きな人には刺さると思います。

私もアラサーになって批評的に作品を見るようになってしまい、昔ほど素直に作品で感動とかできないです(みんなそうだと思うけど)

自分がそういう人間だと自覚した上で、『終のステラ』本当に傑作でした。

以下ネタバレ全開感想に続きます。








以下プレイ後の感想(ネタバレ全開)



大切な事は文明社会となにも変わらない

珠玉の親子愛の物語。
keyらしい、期待を裏切らない内容でした。
音と映像の力で感動ゴリ押し、ていうわけでも勿論なく、作中では「本能の矛盾を自覚しつつ、考えた上で自分で選択する事の大切さ」が一貫して主張されているように感じました。

ライターの田中ロミオ氏の対談記事を見つけました。

作中でも語っていますが、遺伝的本能を尊いものとして無自覚に描くことは苦手を通り越して間違いだとすら感じます。この方法で悲劇を描いても薄っぺらい感動しか生まれないでしょう。

対談記事より

この通り、本能を尊いものとして無自覚に賛する事を作中では一律否定しています。
でもそれは本能から来る感情自体を全て否定しているわけではなくて。
ジュードはフィリアに入れ込んでいく自分に終始自覚的であり、危機感を感じ続けますが、
最後には、フィリアを感情だけじゃなく理性の上でも人間として認めるんですね。

自我を、心を持ってしまったものを動かす。
そのために必要なものは・・・信頼。

『終のステラ』

ここぐっときました。

人間の条件

人間とはなにか?

種族としてはアンドロイドだが人間を目指し最後には「人間になった」フィリア。
フィリアと同じfe型アンドロイドでありつつも心を獲得できなかったガブリエル達。
種族として人間だが人間として扱われていない文明外の住人達。

作中では機械が心を確立するには本能と恐怖が必要、と出てきます。
さらにその上で本能の言いなりにならず思考を伴え、とも言っています。
つまり人間の条件ていうのは、本能と恐怖から心を得て、その上で成長の過程で理性を得る事、て事になるのかな。
ここでいう人間とは人類という種のことではなく、心ある存在が後発的に「成る」もの

「発達の機会を得ないまま粘菌の大部分が固着した個体は、皆こうなのだ。指示待ちの木偶の棒になる。
それでも充分高性能だがね。多少無能気味だが、言えばわかるのだ。ロボットに比べれば、応用力は桁違いだ。」

『終のステラ』

老人が他のfe型アンドロイド達に言及するシーンですが、ここを読み進めている時、もしかしたら現実世界の我々に向けている部分もあるのかな~、て思いました。
人は生まれながら人間なのではなく、後天的に発達の機会を得て人間性を獲得する。
子供のためなら親は喜んで死ねる、という話は美しくもなんともない、とジュードとフィリアの会話ででてきますが、逆に言うと本能からの衝動に言いなりのままの存在は人間じゃない、て事なのかなって思いました。

本能的な感情って、矛盾を引き起こします。
フィリアは「人間のためになりたい」と博愛主義を振り撒きます。廃墟都市の女の子やデリラの事は意地でも助けようとするものの、襲ってくる男達をジュードが殺すのは過剰反応しない。
それって「なんとしても救うべき人間」と「救えなくても仕方ない人間」がいてーー「救いたい存在」に優先順位をつける無自覚な傲慢さともいえるんじゃないでしょうか。
そりゃ襲ってくる人は怖いから防衛本能が働いて遠ざけたいだろうし、小さな女の子を見たら庇護欲が湧くのが人間てもの。
実に自然な本能ですね。

一方でジュードはフィリアを荷物として扱わなければいけないことを理性では判断しつつも、徹しきれない矛盾を抱えていますが、それを自覚した上で行動を選択しています。

継承の物語

自分の本能のままに行動するフィリアに、ジュードはそれじゃだめだ、と繰り返し言います。
これって要は世の中のルールを娘に教えるお父さんですよね。
やってられるか!て何度も思って不機嫌になったり怖い顔で叱ったりするけど、見捨てるのはけしてできない。
(おそらくプレイヤーのボリューム層がアラサー↑なのもあって)ジュードの気持ちにめっちゃ共感しちゃいます。
加えて最初は奔放で迷惑かけっぱなしだったフィリアが段々と成長して逞しくなっていく過程に感動しちゃうわけです。
最後の旅のシーン、残された時間が少ないのをわかっていて、フィリアはジュードを安心させるために笑顔で頑張っていたんですよね、きっと・・・。
多分我々は、本能的に「継承」て事象に感動を覚えちゃうのかもしれません。
ジュードから運び屋としての在り方、愛を受け継いだフィリア。
お互いに「愛してる」とは口に出さなくても。
想いは通じ合っていて。
父から娘へ。
人間からAIへ。
形あるものはいつか滅びるけど、大切なものは受け継がれていく。
そんな予感に溢れた美しいエンディングでした。

Even if humanity dies, the machines we have created will inherit our love and create the future.(もし人類が死に絶えようとも、彼らが生み出した機械は人が育んできた愛を受け継ぎ、未来を創っていく)

『終のステラ』サブタイトル

種としての人類は滅びるかもしれません。
けれど人間はきっと滅びなくて。
勝手な想像ですが、人間になったアンドロイド達は、人類同様に争いあって滅びかけたり、孤独に耐えられなくなって暴走したり、差別意識が根付いたりするかもしれないですね。
でもまた継いでくれる存在がおそらく現れて、紡がれていくんだと思います。



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