今日もシステムの玄関ではしゃぐ

将棋で「藤井」と言えば藤井聡太二冠の時代である。
いやいや。待って欲しい。
私は藤井猛九段が好きである。

うん。藤井聡太二冠はすごい。
なんの文句も無い。
全く否定する隙間がない。
ただ将棋ファンの中では言うまでも無いが藤井猛九段もすごいよ。
と、言いたい。

常々思っていることがある。
将棋界の絶対君主は羽生善治九段である。
羽生九段の凄さは今更説明不要だろうが、いち素人ファンの目線で、また、
将棋以外のスポーツ観戦もこよなく愛する私から見て、
あれだけ鬼のように勝ちまくって栄光を独り占めすると大抵、
マンネリ化し、
いつも同じでつまらない。
どうせまた◯◯でしょ?
という気持ちからアンチが増えてしまい、しまいには競技への興味そのものが薄らいでしまう現象が往々にして起こる。

私の知る限り、それがほとんど起きずに、勝ち続けてなお、まだ、勝つところを見たいと思われるのは将棋の羽生善治九段とテニスのロジャー・フェデラーくらいしかいないのではないのかと思う。
アンチが極端に少ないという意味では競馬の武豊騎手もそうだが、あれは、馬券=お金の兼ね合いがあるので非常に微妙だと言わざるを得ない。

その羽生善治九段とタイトル戦が仮にあった場合、将棋ファンに
「どちらを応援しますか?」アンケートがあれば、
過半数を超える可能性があるのは私は、
木村一基九段
山崎隆之八段
そして藤井猛九段の3人だけではないかと思う。

藤井猛九段の人柄や実績、そしてなにより発明してきた数々の画期的戦法を将棋ファンは対局、解説、イベントなどの全ての藤井猛九段との接する機会でまざまざと見せつけられて虜になっている。

以前から書いてある通り、私は将棋の勉強を一切しない。
本を買うこともない。
特に戦法についての理解を深めるための努力を実践および観戦以外で全くしない。

しないのだが、唯一、調べて真似をしたのが藤井システムである。
藤井システムの意味を理解していなかった頃、とりあえず穴熊組んで暴れりゃあまあ、勝負になるでしょ。くらいの感覚で穴熊を組みにかかり、
真っ正面から藤井システムを喰らい40数手で投了した時にびっくりしたのである。

今考えるとある意味では井上九段と同じ気持ちになったことは光栄だ。

これはなんなんだ、と、調べ、それが藤井システムだと知り、
基本的な考え方、組み方、趣向だけ学んだ。

それからは先後関係なく基本的に全ての対局において藤井システム狙いである。
相手が飛車先の歩を突いた時点で、よしよしよし。
5筋の歩もつけ、ついてくれ!と願う日々である。

断っておくが私は素人である。
しっかり本を読み込んで勉強するわけではないし、まさに素人の遠吠え、
なんちゃってシステム、それも超ダウングレード版の無料版なんちゃってシステムである。

なのに楽しいのだ。
表題の通りだが、藤井システムは玄関でも十分に楽しさいっぱいなのである。
一番の素晴らしさは、相手が察して穴熊を諦めるなどした場合でも
こちらは取り返しが付く形、どころかほとんど手損すらしていない状態で改めてノーマル四間飛車として戦える点であると思う。
これは私のような素人には大変ありがたい。

もちろん勇気を出して玄関からリビングへ向かえばもっともっと素晴らしい世界が待っているのはわかっているのだが、靴を脱ぐのすら億劫な私にとって、この藤井システムの玄関の温もりがあまりに居心地が良いのだ。

余談だが横歩取り、相掛かりなどの玄関は寒すぎる。最低でもリビング、できれば、2階まで進む覚悟がないのであればドアを開けるべきではないと個人的には思っている。玄関で立ち止まってるとすぐに天井が落ちてくるぞ。

加えて、100局に1局あるかないかだが、自分なりにうまくいって、
藤井システムが炸裂して刺さった時の快感はほとんど麻薬である。
ドーパミンがダクダク溢れるのが自分でも分かるのほどの快感である。

この100局に1局の快感を求めて画面の向こうの相手に、
飛車を振るなー!穴熊を目指せー!と念じながら毎局駒組みを始めるのである。
さながらシステムジャンキー、さまようシステム、システムゾンビである。

もう桂馬で相手の1筋の歩を食い破った時など、私の頭の中の藤井猛九段が
「バーン!」と効果音をつけてくれる。
ここまでくればもはや勝った負けたの話ですらない。

相手の飛車がただの横効き全力守るマンと化した様を見届けた時点で私の勝ちである。
その後、私の攻めが完全に切れ、端を逆用され、また、うまく立ち回られた相手の角に我が玉を蹂躙されたとしてもなにも後悔は無いのである。

また、いつもそうなのだが私は勝手に相手の心情を想像しながら指すので
振り飛車か。よし穴熊組んだら勝ちだな。
ふふふ。甘いな。そう簡単に入れると思うなよ?
と、かつての私と勝手に会話しながら進め、遠距離から睨みつける私の角筋に四苦八苦している様を眺めるのも誠に痛快なのである。


ちなみに同じ藤井猛九段の作品である角交換振り飛車も少し趣向を勉強したが私にはちょっと辛い。
そもそも見落としが多すぎるという自覚があるためあまりにも序盤で大駒を交換すると以後勝手にプレッシャーに押しつぶされるのである。
大駒の交換はできれば自分のタイミングで、ね。









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