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愚かな願いのなれの果て

・自分の短歌や境遇や信条に共鳴や共感してくれるひとがいるはずだ。
(そんな人はいません)
・誰かが見てくれて、誰かが気付いてくれて、誰かが掬って取り上げてくれるはずだ。
(そんな人もいません)
・みんなと同じような短歌をつくって投稿していれば、中には応援してくれる人やサポートしてくれる人がいるはずだ。
(そんな人もぜーーーーーんぜんいません)
・たくさん短歌を作っていけば、たまには素晴らしい短歌ができるはずだ。
(そんなに甘くもありません)
・作り溜めた短歌を本にすれば、きっと注目されるはずだ。
(されません)
・何某か書き残しておけば未来永劫残り続け、私の生きた証になるはずだ。
(なりません。うたよみんがどうなったか、ご存じですよね)
・初心者、●●モドキ、○○のようなものとハードルを下げておけば、批判をされることはないだろう。
(批判もされないけれど、相手にもされません、結果ただの落書きです)

SNSの発達以降、人々はすべての事柄のハードルを下げる方向にしか思考が働いていないような気がします。なんだかあらゆることがお粗末で稚拙で、幼稚な考えに基づいていて、恐ろしいと感じる程です。
むやみやたらにハードルを下げるということは、基本を学びもしない、説明書を読みもしない無法者が自分達の愚かな感覚だけで思考し行動してしまうことを助長します。

最も解りやすい例はAT車やスマートフォンに代表されるIT機器やインターネットでしょう。
これらをおざなりに扱ったせいで、一体今まで何人の方が犠牲になり、何件のお店が被害にあったのでしょうか?
情報リテラシーの欠片も学んでいないお馬鹿さんからの詐欺被害の報告は減るどころか年々増しています。

普通は衰えることに抗う方法は繰り返しのトレーニングや摂生であるにも関わらず、全く抗わずに逆に楽な方向へしか考えずに製品や商品を作って売ってしまう。便利さの裏側のリスクや自身の反応や対応の能力を吟味検証せず、過信と現状維持ばかりで突っ走って使ってしまう。

企業はリコールされても情報漏洩が起きても、「再発防止に努めます」の一点張りで、まるでゲームの中のように人の命のスペアが何個もあると思っているかのようなズレっぷりです。もっとシビアに「起きたら取り返しがつかない」事と理解して望まなければ、決して事故や被害はなくならないでしょう。

短歌も同じように、SNSが歌と言葉を劣化させている、ひいては文化を劣化させていることに気付けなければ、いつか他の何かに上書きされて無くなってしまうかもしれません。
短歌ほど砂上の楼閣(楼閣なんて立派なものではないけれど)に例えられるものも他にはないと感じています。なにせ土台がグニャグニャなのですから。

素人が偉そうに歌人を名乗って短歌の会を作ったり、投稿しまくったりしていますが、5.7.5.7.7の音も守れない、未だに一句と数えたりする「にわか歌人」が蔓延るだけで、まるで箍のない短歌の世界は自立すら危ぶまれています。

再三のミルクさんの警告が、近い将来現実となって押し寄せることを確信しています。

先頃、NHK全国短歌大会の入選作品集が送られて来ましたので、少し目を通しました。

近年希に見る「低レベルの作品」ばかりで少し納得できました。
投稿者も選者も相変わらず、「うたの日」サイトと同じように、回転レーンを廻っているだけの定番すしランキングがお好きなようです。
お寿司がずーーと廻っているとどうなるかはご存じかと思います。

腐ります。(笑)

ちなみに評価の高い短歌の“キラーフレーズ”をうたの日サイトのサーチ(検索)機能で検索してみて下さい。
同じようなモチーフ、構成、内容、表現、比喩、オノマトペがわんさか出てきます。

そこには、師匠が口酸っぱく言われているような「発見」も「気付き」も「悟り」も「理(ことわり)」も何もありません。大方は現状報告日記自分にしか解らない感覚の感想に終始しています。

そろそろ、皆で短歌の山を踏みつぶして平らに均していることに気付けなければ、本当に短歌は終わってしまいます。

俵万智さんによってもたらされたサマーオブラブとも言える短歌の隆起が、歌のことを何一つ解っていない無法者達によって荒らされているとも言えるでしょう。

内輪で褒め合って、内輪でヨイショし合って、内輪で権威を無理やり創造して、内輪で盛り上がってその気になっている。
もはやスクラップ&ビルドしか、再生の道は残されていないような気がします。

・足元に火はついている 傍観を決め込んでいては短歌が滅ぶ

ミルクさん 短歌のリズムで  https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/