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子供たち

LovelyTaboos_③子供たち

<広がる世界が気に入らないなら>
<好きな服を着てベッドへ沈もう>

色んな曲感想で何度も、この言い回しを使って来たなぁ。
何度使うねん、と少し恥ずかしい。
それでも今までその度に、この言葉がふさわしかった。
ので、今回も使おう。

"この歌詞に何度救われた事か。"


どこか懐かしくなる、ゆったりとしたメロディ。
夕方の鐘が鳴ったらおうちに帰ってくるよう言われたっけな。
そんな、子供の頃を思い出すような。

『市民』であれだけ凶暴だった楽器たちは、別人のようにメロディを謳う。
でも、これもPeople In The Boxの一面なんだろう。
裏表は無く、凶暴性の面と優しさの面が、両方こちらを向いている。
そこが、恐ろしくも安心もする。
裏表が無いという事は嘘が無いという事だからね。

サビは最も素晴らしい。
それまでまったり進んできた楽器たちが、芯のある音に変わる。
ギター、ベース、ドラムが、すっと同じ方向を向いて、綺麗に組み合う。
サビで耳に流れ込む音圧。
力強い演奏からは、何かのメッセージを感じる。
自分は、いつも前を向けと言われているように感じる。
襟を正して、目の前の窓を開ければ、そこには世界が広がっている。
その景色に何も感じなくていいよ、ただ受け止めてごらん と。

<好きな服を着てベッドへ沈もう>
これは、実際の行動としては有り得ない事だ。
新品のシャツを羽織るのも、可愛いスカートを履くのも、誰かに見てもらいたいからじゃないか。
誰にも見せない。
眠るために好きな服を着る。
これはとても変な事だ。
でも、悪い事ではない。
それが誰かを傷つけるだろうか?
法律で禁止されているだろうか?
いいえ。
自由だ。
やってもいいのに、みんなやらないんだ。
それはとても変な事だ。

"世界の見方を変えるような曲に時々出会う。そしてその曲は必ず、自分の大切な曲になる。"
『はじまりの国』の感想でこんな事を書いていた。
『子供たち』も、当てはまるのだ。
"好きな服を着てベッドへ沈む"という、一見、矛盾しているような価値観。
でも、誰にも迷惑をかけていない。
これをおこなうのは、自由だ。

そう、自由についての曲だと思う。
広がる世界は、たいていの場合、気に入らない。
気に入らないから、絵を描く。
理想の世界をこの手のひらの上に得たいから。
でも、絵を描くって、ホントに変な行為ですよ。
ペンとかいう細い小枝みたいな物を握って、薄暗い部屋の中で何時間も座りっぱなしで紙や画面と向き合う。
"自分の頭の中を現したい"という変な欲望だけを頼りに、線を引いては消し、数えきれないほど引き、消し、引く。
神絵師が〇〇万いいねされているのに憧れて描いたのに、自分が得るいいねはゼロだったとしても、描く。
何の為に描いてるのか、分からなくて挫けてばっかりだ。
それでも少し時間が経てば、またペンを握り画面を見つめている。
誰にも迷惑なんてかけてないので。
こんな変な事やるのだって、自由だ。

そんな気持ちを肯定してくれるような気がして、『子供たち』が大好きだ。


<ぼくはみたいのさ>
<善と悪がまだ 引き離される前の姿、って>
この歌詞も凄いですよね。
善と悪は一緒だったと当然のように言ってますけど、哲学的な話じゃないですか。
サラッと歌っていく所が好きです。

<きみに伝えたら 今日も笑うかな>
<「いつもありがとう」って言ってくれるかな>
ここも良い歌詞ですよね。
相変わらずの物語性を感じさせるようで脈絡のない、素敵な一文。
『子供たち』の 歌詞には 全体的に不穏さは感じないですし。
単純に、<「いつもありがとう」>って言葉がポジティブで良いですよね。
日常生活で、意外と「いつもありがとう」って言われないと思うんです。
「ありがとう」に「いつも」がつくだけで、「この人はいつも見てくれてるんだなぁ」と、嬉しい気持ちになりますよね。
そんな、存在はしているけどあまり聴く事のない、綺麗な言葉。
綺麗な音楽に乗って、聴こえて来たら、それは幸福な時間だ。


<逆さのベーゼンドルファー
青いドッペルゲンガー
タイプライター 机上の音楽>
後奏、キーワードのように繰り返されるコーラスは讃美歌のようだ。
ベーゼンドルファーはピアノ・メーカーの名前。
ドッペルゲンガーは、自分自身の姿を自分で見る幻覚現象。
キーワードに関連性は見受けられないし、シュルレアリスムのような情景描写は何を比喩しているのか、読み取れない。
それでも、リズムに合わせて歌われる言葉は聴いていて気持ちが良い。
存在しない言葉を組み合わせて気持ち良い語感を作り上げるのは、People In The Boxの得意技だと思う。

熱を上げるドラムと、爽やかな歌声が心地よい後奏だが、永遠に鳴り続けるような雰囲気を出しておいてバツンと切れる。
ふつう、フェードアウトして収まっていく事が多いような気がするが。
いや、普通なんて枠に収めなくていいのだ。
なんてったって、この曲は"自由"なんだから。
思えばLovelyTaboosが"自由"だった。
エモい演奏が胸を打つ『笛吹き男』、凶暴性と静観性を100%ずつぶつけてくる『市民』、優しい雰囲気ながら後奏を思い切って切る悪戯心のある『子供たち』。
ルール無用のノンジャンル・ミニアルバムだが、ジャンルを統一しろと誰が決めた?
みんなやらないだけさ。
"誰にも迷惑かからないけどみんなやっていない事"、そこからちょっとだけ踏み外すのは、つまり少しだけルールを逸脱する事。
ほんの少し禁忌を破るだけ。

"少しの狂気が新しい色を見せる"
映画『ラ・ラ・ランド』で、女優だった主人公の叔母が、同じく女優を目指す主人公に歌った。
"画家、詩人、そして役者" 
"夢見る者たちは人の目には愚かに映るだろう"
"それでも、夢見る者たちの狂気が新しい世界を見せる"

夢見る者たちが禁忌に触れる事を、どうか許して欲しい。
彼らは、我々は、ただ"自由"に対して素直なだけなんだ。
夢見る者たちの"自由"が、世界を新しい色で塗るから。


その色が気に入らなかったら、あなたが好きな色を塗る番だ。