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八月


きみは息をしている。



さようならを二度聴いて

痛めつけられた記憶があって

無感動と孤独のダンスに拍手を送った

温かみのあるオレンジ色のジャケットに反して、その中身は、悲観的で冷笑的な、どれも辛さを少しずつ伴う曲たちだった。

でも、素晴らしかった。

『Ave Materia』は素晴らしいアルバムだった。

自分がPeople In The Boxを知った時の最新アルバムが、『Ave Materia』だった。

深い曲たちだったからこそ、のめり込めたのだ。

それこそ現実を忘れて。

"考える"という楽しさを教えてくれた。

自分は曲について考えるという遊びをしている。


『Family Record』は地名がタイトルになっていたから、"旅"を連想するのは容易かった。

でも、『Ave Materia』も自閉探索という"旅"をしていたのだと感じる。

物質とか心とか、普通の人は考えると悲しくなってしまうような事からも、逃げずに思考し続けた。

内側を傷つけて、傷つけて、出した答えは<きみは息をしている>という"存在すべての肯定"は、とても美しい。

<きみ>は、自身も指しているだろう。

ぼくは息をしている。

ぼくという存在すべての肯定。


<透きとおる朝 からだ宙を舞う>

言葉が表現する通り、清々しい朝のように爽やかなギターの音。


<そうさ きみの世界で選べるのは>

<ただひとつだけのボタンさ>

<機械のように「その階には止まりません」と>

<ぼくは何度もくりかえすけど>

<きみには冗談にしかきこえない>

ぼくの説明はきみには聞こえない。

ディスコミュニケーションが起きている。

でも、そのディスコミュニケーションは解消されず音楽は続いて行く。

"ぼく"の言う事を聞かずエレベーターのボタンを"きみ"は押し続ける。

もしかすると、"きみ"は笑っている。

それでいいのだ。

受け入れる事だけが不和を無くすただひとつだけの方法、きっと。


この歌詞、もともと好きだけど好きな理由を言葉にしたのは初めてだ。

そういう、"受け入れる"優しさを感じるから好きなのだと思う。

個人的解釈に過ぎないけど。


<誰かが死にかけているとき>

<きみは生きる喜びにある>

<人の渦に削られたあげく>

<なくなってしまいたい>

<朝 走る車をぎりぎりでひらりとかわす>

<突然 誰かに会って話をしてみたくなった>

<傷ついても>

ここも文学的でとても好き。

"誰かが死にかけているとき生きる喜びにある"人を軽蔑しているのだろうけど、自分も同じ立場でしかなくて、その達観した悲しみを解消するために"人の渦に削られて無くなってしまいたい"と繊細に自虐する。

"人の渦に削られる"に思い当たるのは、『時計回りの人々』『球体』。

他者との摩擦が起き、自身は削られていくから。

そんな落ち込んでいる主人公だが、"突然誰かに会って話をしてみたくなった" "傷ついても"と心境が変化する。

ここの良さを説明する言葉が見つけられない、言葉がだぶつく。

(脳死で言えば「キュンです!!」とか「わかる~~!」なんですが。語彙力がギャルですみません。)


昔読んだレビューブログで「今までのPeopleの歌詞と違って、"誰かに会う"という外的な歌詞が書かれている。これはすごい変化ですよ」(記憶あやふやですみませんが、「これはすごい変化ですよ」は絶対書いてあったと思います。)というのがあったけど、この感想が一等賞。完成。


<踊り出したら視界が揺れる>

<織り成す世界は壮大なジョーク>

<ぼくには冗談にしかきこえない>

踊り出せば良いと思うよ。

その方が楽しいから。

世界が壮大なジョークにしか見えなくても変じゃないと思うよ。

主人公は自分が出した答え―――それは出したとも言えるし、最初から出ていた答えに10曲かけて向き直ったとも言える―――に戸惑っている。

最初から主人公には世界はジョークのようなもんだったんじゃないかな。

結局、考えや見方を変える事は出来なかった。

一周して、スタート地点の視点に戻って来た。

だけど主人公は絶望しているとは思えない。

"誰かに会って話をしてみたくなった"人は、絶望していない。

冗談にしか見えないなら、笑って。


<愛も正しさも一切きみには関係ない>

リフレインするコーラス。

重なる穏やかな演奏は、歌詞と同じように。

全てを許容する音に思う。


愛や正しさは簡単に人に利用されて、手垢がついては真っ黒になりがちだ。

世の中を一度斜めに見てしまうと、そう思って(思い込んで)しまう。

愛や正しさをまるで物質のように割り切って、"一切きみには関係ない"と切り離すのは、虚勢ではなく許容だ。

手垢がつきがちな愛(Materia)や正しさ(Materia)とさようならして、"きみ"自身に出会っていいんだよ。

そんな許容を感じる。

だから『八月』のラストは大好きだ。

胸がいっぱいになる。


<きみは息をしている>

コーラスに重なって呟かれる。

これこそが重要で、これだけが真実で、これが『Ave Materia』が伝えたかった全てなんじゃないかと思う。

以前、「People In The Boxは自然のようなもの」と感想を書いた事があるが、『八月』がその考えの発端だった気がする。

この許容の正体を、実態の無い赦しのような優しさや深読みを呑み込んでくれる懐の広さを説明するとしたら、"山や海を眺めている時と似ている"。


後奏はリフレインだが、徐々に力強くなっていくのが良い。

外側へ踏み出した"ぼく"は、"きみ"と中身の無い話で笑ったり笑わなかったり、突然会って話をしてみたくなったりするのだろう。

そんな、なんでもない生活の肯定と継続を信じたい。


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ライブだと毎回後奏のスピードが気になって曲に集中できないので(嘘)、今回じっくり好きなポイントを書けて良かったです。

でもほんと、ライブだと手元を見たくなりますねぇ。


明るい曲ばかりだと好きにならないけど、暗い曲が多すぎてもしんどくなってしまうという。

ワガママな耳ですみませんが、その辺りのバランスが自分にとって丁度良いバンドなので助かります。People In The Box。


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『Ave Materia』終了です!

お付き合い頂きありがとうございました。

思い入れの深いアルバムなので文章に悩みましたが、凝った文にするメリットは無いので"毎週火曜日22時からその曲を聴いて2時間以内に完成させる"という方法でやりました。

推敲を絶ち、背水の陣。


毎週火曜日に音楽を聴きながら文を書くという習慣そのものが楽しかったです。

とても良い時間を過ごさせて頂きました。

ありがとうございました。