あなたのなかの忘れた海
この電車を降りないで、終点の海まで行ってみちゃおうか。
通勤や通学のため電車に乗る人なら、誰でも思った事があるのではないだろうか。
<海へいこうよ>と誘われる。
「簡単に言うなよ、」って不貞腐れる。
けど「いつかね。」と、不透明な約束を心に取り付けて、それに縋って1日を乗り切るにも役立つ。
<海へいこうよ って毎日同じことを>
<唱えていつかは>
<そこで悪夢は終わるよ>
毎日同じことを、唱えて唱えて。
"ロックとは、誰もいない場所に1人で立っている時に、風が吹き抜けて行く瞬間"と表現するひとがいた。
『あなたのなかの忘れた海』を聴くと、同じ風景が見えないだろうか。
波打ち際で波が押したり引いたりするのを見るのが好きだ。
海へ行くと必ず、すぐに波が上がってくるから、意外と満ち引きのスピードは速いんだなぁと毎回焦る。
冒頭のベースとギターも、浜に打ち付けられる波のように思う。
ベースは遠くの大きな波。
ギターは近くで弾ける波。
ドラムが入れば、波打ち際を歩く歩幅の足音。
<明日じゃ手後れになる あなたはもう手後れになるから>
急かされても、今日は海に行けないんだ。生活があるから。
それでも、「手後れになる」という表現がかろうじてすり減りそうな精神を保ってくれる。
<温かい毛布もとっくに あなたを温めてはくれない>
そう、抜け出さないといけなかった。
でも、ダラダラと毛布の中に居続けてしまうのが人間。とも思う。
<いつか人は消えるのに あなたはどうやって知るの>
<不安以外の気持ちを>
心配性な我々に、俗世の外側からアドバイス。
考えすぎな聴者にも、考察とか解釈とかする必要ないストレートなメッセージ。
人はいつか消える、という無常観は万人受けしないかもしれないが、ここまでPeople In The Boxの曲を聴き続けた聴者には染み付いた感性。
けれど自分がこの曲を初めて聴いたとしても、ハッとする歌詞だと思いたい。
不安にばかり目を向けがちだけど、「あなたはどうやって知るの?」と柔らかく笑われていたい。
何に?
多分、海に。
<すべてはつくりものさ、>
<それでなにがいけないのさ!>
歌詞として区切ってしまっているが、いつか人は~から~いけないのさ!まで音は繋がっている。
歌詞を見て初めて、「こう繋がってるんだ!?」と驚いた覚えがある。
全てが作り物という考えは自分にもあって、おそらく真面目な人ほど、肩の力を抜くには丁度いい考えだ。
<胸の痛みは古い友達>
<これからもどうぞよろしくね>
このフレーズはPeople全曲の中でも上位の好きな歌詞だ。
つらい思い出は、時が解決してくれるとはよく言う。
全然そんな事ないって思う。
だからこそ、つらい事を「古い友達」と呼ぶ感性、そして「これからもよろしくね」と痛み自体を肯定するのが、自分には新鮮だった。
その感性に、今までどれだけ助けられて来ただろう。
ここまでお読みの皆様ならお分かりかもしれませんが、『あなたのなかの忘れた海』はほとんどの歌詞について語りたい事があり、つまりほとんどの歌詞が好きです。
書き起こしながら「やっべ~これ全部歌詞書いちゃいそうだ」と気が付きました。
もちろん音も滅茶苦茶良い。
力のこもったギターの、弦がジャカジャカと弾かれる音。
音源だと(おそらく)ボリュームダウンされているが、ギターの熱っぽさに負けないドラムの叩音。
後半、ギターとドラムが凄すぎて音源だと聴こえにくいが、前半~中盤は要所要所で聴こえてくるオシャレな低音が「ベースだ」と分かりやすい。
それと、伸び伸びしたコーラスの気持ち良さが半端ない。
このように評する曲が多すぎて月並みな(技術的には全くそうではないのだが)感想になってしまう。「3人で出す音じゃない」。
それまでの熱狂とは裏腹に、ラストはギター1本の音色で幕を引く。
凪のように、そこに立つ波はとても穏やか。
その海は、「またいつでもおいで」と"日常"へ戻って行く者を見送っている。
<ほんとうのきもちなんて だれも知らないはずさ>
<すべてはつくりものさ>
<それでなにがいけないのさ!>
『あなたのなかの忘れた海』は、別に何も解決してくれない。
本当の気持ちなんて誰も知らない。
それに対する悲しみも、主張も、何もなく「それでいいじゃん」とただ、肯定する。
ただ寄せては返す波の固まり、つまり海がそこにあるだけ。
それは我々の中の忘れた海なんだろう。
上手くいかない事も、日々の心の擦り傷も、嫌になる自分自身の事も、「それでいいじゃん」と肯定する海。
意外と深い意味がありそうな『あなたのなかの忘れた海』。海だけに。
久しぶりに考察っぽいものが出来たかもしれない。
なかなか海に行くのが難しければ、目を閉じてイヤホンを耳に差す。
それでどうにか、我々のなかにある海には行ける。
海へいこうよ。
そこで悪夢は終わるよ。