<円の中心に立って雨を待ち望とき 人は守られている 空想の卵のなか>
規則的なギターの和音と、規則的なドラムのハイハット。
正確な音の粒に耳を慣らす。
新聞に印字された文章の正確な羅列を想起する。
繰り返すリズムパターンと、歌と語りの中間のような発声、それとサビ(?)のような物が用意されている曲構成は、HIP-HOPとかラップに近いと思った。
でもラップと言うには自由文律で、韻は関係なさそうだ。
詩の朗読をアートで表現する方法を、ポエトリーリーディングと呼ぶらしい。
ならば『新聞』はそうだろう。
<ラジオが放送されている 息も絶え絶えに>
<原音を忠実に再生していると誰もが口をそろえて>
<雑音に満ちた数世紀をまたぐ>
<名前が足りない>
<名前が見つからない戦争があって>
チッチッチッチと打たれる正確なドラムに乗っかって、言葉が水のように浸透してくる。
濁流という程圧倒的ではないが、流れは決して止まらないから、清流と言ったら伝わるだろうか?
(それはある意味読経にも似ていて、落ち着く。)
<言葉がだぶつく>
<言葉があり余る>
『新聞』で一番好きな歌詞。
言葉で満ちている、新聞という物体に対する皮肉だよ。
いや、新聞は何も悪くないのだが。
隙間を埋めるために人間が印字した言葉は、時にだぶつき、時にあり余る。
もしかしたら、そのだぶついた言葉が他の人間―誰かを、傷つける結果になるかもしれないのに。
新聞屋は、新聞の隙間を埋めていく。
曲中03:38から差し込まれるノイズに、周波数の合わないラジオのようなもどかしさを感じる。(伝わらない事を承知で、あえて。)
<Girl is dead.新聞紙はそう言った>
繰り返すのは、少女の死はいつでもニュースになるという皮肉・・・は深読みしすぎだろうか。
それぞれの国、それぞれの時代、それぞれ違う少女がニュースになるけれど、見出しはいつでもGirl is dead.
ひとりの死が薄められ、見知らぬ人の死を「かわいそう」だなんてのたまう読者の感想は「雑音」。
・・・は深読みしすぎだろうか。
それにしたって、突然ぶった切って次曲『大陸』を突然始めるセンス。
余韻?知らねぇなぁと新聞紙を破り捨ててそうな所に感じていいのは、漢気なのか意地悪さなのか。
どちらにせよ、我々は乗っかっていく。
破られた新聞紙が風に煽られて、海を越えて、辿り着いた『大陸』で。
次の風景を見に行きたい。