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おいでよ

穏やかなギターの音色が染み入る。

<重い荷物かかえて帰る>

それは日常の一コマでもあるし、もしかしたら精神的な比喩表現かもしれない。

自分は疲れて帰る日に、そっと再生してささやかに自分を労う。

そう、我々は重い荷物を抱えている。みんなだいたい。


ドラムがスピード感を与えるが、メインフレーズはリフレインで貫かれる。

<ぼくはゆうれい そばにいたいよ>

大人になったらわかる、大事な事は何度も何度も言うもんだって。


「そばにいたいよ」と呟く聴者。

「そばにおいでよ」と招く演者。

音源だと「そばにいたいよ」と遠くでささやくような声。

それに応えるように近くなる「そばにおいでよ」という呼び声。

物語は素直に受け取ろう。

独りさまよう寂しがりやの幽霊に、『おいでよ』と呼びかける優しい歌。


ライブでは、<ぼくはゆうれい そばにいたいよ>をベース・ドラムの2人で歌い、波多野さんが<ぼくのゆうれい そばにおいでよ>と重ねる。

演奏と同時進行なので当然ながら、「そばにいたいよ!」と強めの発声になる。

そのため、音源とは違って迫力がある。

メッセージ性がある、わけではないと思う。

ただ、3人が真っ直ぐ客席を向いて一緒に歌い上げる姿に真摯さを感じる。

その真摯さを、迫力と受け止めているのだろうか。

音源とは違う表現に、初めてライブで見た時は驚いた。

グッときた。


後半、凪ぐように音が鎮まる。

そこから再び弾けるテンション、ラストスパートの演奏はエネルギーに満ち溢れたエピローグのよう。

"ゆうれい"が誰かの傍に寄り添えた。

その喜びが伝わるようだ。

ギターだけのアウトロは寂しさも感じつつ、温かい音だ。

だからきっと、"ゆうれい"はハッピーエンドを迎えた。

映画のラストシーンで、主人公が白い光に包まれて幸せになるように。

"ゆうれい"は、光に包まれた。


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イラストの話。


毛の生えたペットを飼った事がない。

だから猫を飼っている友人の話は、とても愛おしそうで少し、羨ましかった。

「うちの猫は10年以上生きているから、もうすぐシッポが割れて、ネコマタになるんだ。」

「それって、妖怪になるって事?」

「そう。そしたら、ずっと一緒にいられるじゃん。」

この時の会話が、なんだかとても切なく感じた。

冗談なのは分かっているが、 妖怪になったらいいなあ と心のどこかで本気で思ってるに違いない声だった。

その愛を想うと、なんだか自然と涙が出てきてしまったのだ。

会話の途中で突然泣いたら困らせてしまうから、その時感じた切なさは黙って秘めた。


"重い荷物を抱えた"主人公を、受験勉強で疲れた高校生とした。

主人公が抱きつく愛猫「が」幽霊と見てもいいし、幽霊になってしまった高校生「に」そばにいたい、と寄り添う猫、と見てもいい。

見る人に意味を委ねる絵が描きたいと思った。

ただ共通するのは、主人公とこの猫はずっと一緒にいるということ。


友人の猫も、いつの日か妖怪になったとして。

目に見えない存在になったとして、それでもずっとそばにいて欲しいと心から思う。


そういえば、曲の始まりに幽かに、鈴のような音が混じっている。