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ダンス、ダンス、ダンス


カントリーソングのような、懐かしみのある、温かいギターの音色がする。


<哲学者の友達はきびしかった

遂にぼくを許してくれなかったけど

嘘だけは絶対につかなかった

"ついていい嘘なんてあるわけがない"

死んでしまってからも

ぼくはそれを誇りにおもうよ>


小説の一文のような瑞々しい歌詞は、仄かに毒を忍ばせて、歌われる。読ませる。

曲調も歌声も明るいのに、陰を落とすような歌詞の違和感が、好きだ。

自分に対しても他人に対しても、嘘をつく行為を許せない"哲学者の友達"は、生きづらい人だったろうに。

どこかに、そんな人がほんとうにいて欲しいと思う。

どこかに、そんな人が存在していると想像する。


<どんな美しいひとも

じぶんの嘘に気づいていない

超然としていたって

あたまはからっぽさ>


突然キラーワードでぶん殴ってくるのがたまりませんな。

曲そのもののテーマなのか、"哲学者"の過去の発言なのか。

色々な事を想像できて面白い。

理由は自覚してないけど、時々無性に口ずさみたくなるフレーズだ。

どんな美しいひとも、じぶんの嘘に気づいていない。

サビのメロディが解放的で伸び伸びしているからこそ耳に残る。

意味は分からないけど覚えたての言葉をやたら口に出してしまう子供のように、メロディと語感の良さが好きで歩いてる時とかに歌う。


<想像上の神の庭で

だれもうまく踊れないよ

超然としていたって

あたまはからっぽさ>


<想像上の神の庭>という一文、どんな語彙を持って思いついたのか・・・。

全部めちゃくちゃなんですよ。

ピープルインザボックスはやる事全部がめちゃくちゃでないといけないの。

想像上・・・って所詮想像?ってなるし、想像するものは"神の庭"なんだが"神の庭"ってなんだ?あっ・・・考えてる間にラスサビ行っちゃった・・・ワ~!最高!

ピープルインザボックスはやる事全部がめちゃくちゃでないといけないの。


語感だけで選んでいるのか、それとも製作者にはハッキリと"神の庭"のイメージがあるのか・・・。

答えは全く分からないけど、頭ではなく感覚の世界で、とても素敵なフレーズだと感じる。

いつも穏やかで春の陽のような光が差していて、花がたくさん咲いている"神の庭"。


でもその庭ではあたまがからっぽの人しかいないから、誰も上手く踊れない。


<ダンス!ダンス!ダンス!

きみの孤独が 世界を救うかもしれない

荒れはてた庭で

ひとり なかよく踊りましょう>


"だれもうまく踊れない"と皮肉を吐いた後のダンス!ダンス!ダンス!はね、本当にむちゃくちゃすぎてめちゃくちゃハマりました。

そしてその後に来る<きみの孤独が 世界を救うかもしれない>という、確証の無い、祈りのようなひとこと。

なんというか、この言葉ひとつでたくさんのものに踏み出す勇気を与えてもらった気がする。

主に創作物だけど、何かを作る時は本当に孤独でつらい。

その孤独を肯定してくれて、ありがとう。


そして結局、"神の庭"は本当に想像上の産物でしか無かった事、"だれもうまく踊れない"のも想像上の話で、ひとり孤独に踊っていた事が分かる。

歌詞の世界観は内省的な方向に向かって収束するが、自分は『ダンス、ダンス、ダンス』には明確な"あなたの孤独がいずれ世界を救うよ"というメッセージがあって、そのメッセージを伝えるためのカモフラージュとして、不思議な内省的な世界観が用意されているんじゃないかと深読みしている。

ていうか、そういうメッセージであって欲しいと思っているから、そういう曲として受け取っている。


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タイトルに関しては村上春樹の小説「ダンス・ダンス・ダンス」が元ではなかったっけ。

ハマりたての時色々調べてたらそんな情報を見た気がする。

読んだ事無いので共通点があるかとか、分からないのですが。


これもライブでのコーラスがとても好きな曲です。

ダンス、というタイトルがついているけど、いわゆる"ダンスミュージック"ではないのが面白い。

ダンスのジャンルで言えば、ワルツだと思う。

3拍子でもないからイメージに過ぎないのですが、音が優雅だから。

ワルツは誰かと踊るものだけど、最終的に一人で踊る=一人でワルツを踊る という画は、孤独で綺麗なイメージ。


MVはコンテンポラリーダンスっぽい。

(コンテンポラリーダンス=表現形態に共通の形式を持たない自由な身体表現 だそうです。)


ライブで観客が各々、踊りたいように踊ったら面白そうだけど、本当にやったらとんでもない事になりライブハウスに尋常じゃない迷惑がかかりそうなので、みんな頭の中で踊ってるんだろうなぁ。

演奏中、観客それぞれの頭の中に違う景色があって、違うダンスを思い描いていて、それを数百人がひとつの音楽を楽しむという行為を通しておこなわれるのは、なんというか、豊かな時間だと思う。