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歌枕は LOVE AFFAIR 〜秘密のデート

歌枕という言葉があります。ウィキペディアで調べると

古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またはそれらを集めて記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしていう。

とあります。昔の和歌で詠まれた、名所の事のようです。

百人一首の歌の中にも、たくさんの歌枕が登場しますが、僕が住んでいるところからそう遠く無いところに、2か所歌枕の場所があります。しかも隣り合うように。

〇我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし (二条院讃岐)

訳:私の袖は、引き潮の時でさえ海中に隠れて見えない沖の石のようだ。貴方は知らないだろうが、涙に濡れて乾く間もない。

この方は女性です。何やら恋の歌のようですね。余談ですが、あの鵺退治で有名な源三位頼政の娘だそうです。

〇契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは(清原元輔)

訳:約束したのにね、お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら。末の松山(すえのまつやま)を波が越すことなんてあり得ないように、決して心変わりはしないと。

こちらも恋の歌です。末の松山を波が越すことはあり得ないと言っています。つまり、あり得ない事を表現する時に使うようです。西から日が昇る的な感じですかね。

で、これが名所と言われても、恐らく見たことがある!とか行ったことがある!なんて人は少ないと思います。観光地でもありませんし。むしろ住宅地の中にあってびっくりします。

まず沖の石ですが、こんな感じ。住宅地の中です。しかもすぐ近くに、末の松山の駐車場が見えています。

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ストリートビューで見ると、ドーン!

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住宅地のど真ん中に突然池が現れて、岩がちょっとある。周りは道路で囲まれていて、名所というより奇勝というか珍百景という感じです。
真ん中に由来を示す看板もあります。

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平安時代は、このあたりが海岸線だったという事なのでしょうか。

次は末の松山です。
左上の松が生えているところです。石碑に歌が彫られています。

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ちょっと引きの写真にしてみます。

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向こうに向かって少し上りになっています。おそらくこのあたりは小高くなっていたのでしょう。で、海岸線がこの近くまであって、波はここまでは越えないという場所だったのだと思います。

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これが今の地図。左側に末の松山がありますが、すぐ近くが沖の石。今の海岸線まででも2km無いぐらいです。
東日本大震災の津波も、末の松山は越えなかったようです。でも、下までは来ていました。沖の石のあたりも来ていました。

で、歌枕って、こんな風にパッとしないところ(天橋立とかに比べて)なのに、なんでみんなが歌に詠んでいたかというと、平安貴族は地方の行政官として、何年か赴任するわけです。
旅行なんてする人も、るるぶも無い時代、彼らがもたらす現地の話だけが情報源という中で「いやあ、〇〇の国の××というところは、それはそれは綺麗で、京では絶対に見られないものだ」なんて、ちょっと盛って吹聴していたのでしょう。

映像で見る事ができないので、行ったことの無い貴族は、想像を膨らませ、行ったことも無いのに歌にまで詠んで・・・それを聴いて、憧れてと妄想が妄想を呼んで、全国に素晴らしいと言われる歌枕の地ができていったのだと思います。

サザンの「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」を聴いて、マリンルージュって何だろう?シーガーディアンってお酒飲むところなのかな?と、行ったことも無い横浜に思いをはせていた僕と変わりませんね。

他の人が確認する術が無いからといって、平安貴族、話盛り過ぎだよ!というお話でした。

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