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甘粕事件 その3

宗一殺しを一度は認めたものの、証言を翻して知らないと言い出した甘粕、森も知らないと証言します。

ところがその翌日、軍法会議の検察官を務める法務部長の元へ、平井憲兵伍長、鴨志田上等兵、岡本上等兵の三人が自分たちが宗一殺しに関係していると自首してきたのです。

鴨志田が実行犯でしたが、甘粕と森が全責任を負いお前たちに累が及ばないようにすると言われていましたが、裁判で自分たちはやっていないと証言したことを知り、自首したのでした。

これが事実であれば、二人とも誰が宗一を殺したか知らないと証言したのは嘘になります。
念入りに予備調査が行われ、第二回公判が行われました。

-被告が部下に命じて宗一を殺させたのか

甘粕「森に野枝は殺すつもりだが、子供は殺さないと言った。森は、子供を生かしておくと二人を殺害したことが発覚する恐れがある。大尉がやらないのであれば自分がやると言った。結局森は、鴨志田を呼んで命じたのではないかと思う。自分は子供を殺すに忍びなかった」

-では、森が命じて鴨志田が殺したのか

甘粕「間違いない」

-上官として子供を助けようとは思わなかったのか

甘粕「申し訳ないと思うが、子供を帰すと犯行が発覚すると思った」

-被告は子供を殺した事には関与していないのか

甘粕「そうだ。手も下していないし、命令もしていない」

-予審で森、鴨志田、本多たちは被告から子供を殺せと命じられたと言っている

甘粕「自分は殺せと命じた事は無い」

-ならば、なぜ森が宗一を殺すと言った時止めなかった

甘粕「遺憾に思う」

裁判官は森が実行犯ではないかと質問の対象を森に変更しました。

-子供を殺すまでの経緯を説明しろ

森「大尉からお前が殺せと言われ、断ると平井はどうかと言われた。平井は家族があるから無理だと答えると、鴨志田がいいと言われた」

森「鴨志田を呼びに行き、事情を伝えると迷惑そうな顔をするので、大尉の命令だと伝えた。鴨志田が大尉に、本多も加えていいかと聞くと、それでは本多とやれと言われた」

甘粕が森を通じて鴨志田と本多に命令したというのです。

裁判官は甘粕を追求します。

-被告と森の陳述は食い違っている、どちらが正しいのか

甘粕「森がそういうならそうなのでしょう」

せっかくかばっているのに、人の思いを無にしやがってというような、投げやりな言い方だったそうです。

-その時の事をはっきり言え

甘粕「自分は軍人であります。命令しました」

それまで一貫して宗一殺しには無関係だと言っていましたが、この瞬間それは崩れたのです。

次いで宗一殺害の直接の実行犯である3人の審問に入りました。

-森に命ぜられたと言ったが、甘粕大尉の命令だと思ったか

平井「甘粕大尉の命令だと思った」

-鴨志田と本多はすぐに来たか

平井「はい」

-甘粕大尉はその二人と何か話したか

平井「ウイスキーか何かを飲みながら十分ぐらい話していた。自分は腹痛で廊下へ行き、しゃがんでいた。大尉に見張りを命ぜられ、廊下に立っていたため殺しについては知らない」

-大杉の死体は見たか

平井「菰に包まれているのを見た」

-大杉は裸だったか

平井「大杉は菰に包まれ、野枝と子供は裸だった」

休憩後、鴨志田の審問を行いました。

-平井が被告を呼びに行った時の事を述べよ

鴨志田「雑談をしていたところ平井伍長が呼びに来たので、すぐに甘粕大尉の部屋へ行った」

-甘粕から何を言われた

鴨志田「大杉はもうやった。これから野枝を俺と森がやるから、子供はお前と本多でやれと言われた。俺たちが野枝をやったら、すぐ子供をやれと方法を教えてくれた」

-森の命令だと思ったか、それとも甘粕大尉の命令だと思ったか

鴨志田「大尉の命令だと思った」

-野枝の部屋へはみんなで行ったのか

鴨志田「はい」

-それからどうした

鴨志田「大尉が野枝の首を押さえたので、子供を殺すために本多と隣室に行った」

-甘粕に言われるまま子供を殺したのか

鴨志田「はい」

-その方法は

鴨志田「首を絞めた。本多は子供の手を掴んでいた」

-被告が子供を殺したのは甘粕の命令だからか

鴨志田「はい」

-上官に命じられたからやったのか

鴨志田「はい」

-子供を殺せとなどというのは命令だとは思えないが

鴨志田「普段ならあり得ないが、大地震の混乱の時だったので命令だと思った」

-被告は嫌な顔をしたとの事だが

鴨志田「なんとなく嫌だった」

-上官の命令ならどんな事でもするのか

鴨志田「嫌な顔をしたら叱りつけられた。大尉も森もやるというので断れなくなった」

-死体の始末をしてから甘粕が責任を持つという話があったか

鴨志田「あった。このことは口外するなと言われた」

-司令官の命令だとは言われなかったか

この質問に法廷内は静まり返りました。個人の命令ではなく、軍として命令があったのではと問うたのです。

つづく

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